三富栄治

三富栄治

――それはTEASIに加入したことが影響しているのでしょうか。
 「逆ですね。アンサンブルがやりたいと思っていたタイミングでTEASIから誘いがあったんです。ベースは宅録でたまに弾いていた程度で、バンドでは弾いたことがなかったんですよ。だからベースっていう楽器や役割にも強くなれそうだし、TEASIがどういう風に曲を作っているのかを知りたいという気持ちも少しあったのは確かですね」

――その時の経験は今回のアルバムに活かされているのですか?
 「今回のアルバムに関してはそれほどない思いますね。TEASIはご存知のようにとてもスペシャルなバンドというか、比較したり、そこでの経験を応用できるようなバンドではないので。うまくは言えないんですけど(笑)」

――愛のために死すでの経験はいかがですか?
 「それもあまりないかなぁ。あれは、“ロックバンド”をやってみたかったんですよね。誘いがあった時に、乗らなかったら僕はこれからロックバンドをやることはないだろう……と思ったんです。どこかにロックの“衝動”みたいなものへの憧れがあって(笑)」

――やってみてどうでした?
 「すごく良い経験だったと思いますよ。だけど、やっぱり人間として僕が向いてなかったのかな、って思いました(笑)。当時の愛のために死すは身を削るような音楽をやっていたので、疲れちゃって。種目が違うんですね。しかもドラムだったし(笑)」

――やっぱり衝動よりもじっくりやるほうが合っていると。
 「そうですね。黙々と独りで積み上げていくものの方が向いてるんですよ。衝動みたいなものをぶつけるっていうのは良かったし、愛のために死すは本当に、めちゃくちゃかっこよかったと思うんですよ。やっていてそういう手応えがあって。すごく楽しかったけど、僕は1年も続かなかったから(笑)。(大口)弦人くんも、当時のギターのAdamさんも、2人ともセンスが良い人たちだったから、僕が入って3人でやったら何か面白いことになるだろうっていう期待があって」

――でも結局、独りの方が良いな~、ということで。
 「そうですね」

――それでもアンサンブルを取り入れたかったというのは?
 「前作を作り終えた時に思ったのが“これは売れないだろうな”っていうことだったんです(笑)。やりきったけど。もちろん、今でも良い作品を作れたって思っていますし、とても大事な作品です。でも、良い曲だったとしても、聴く人はやっぱり限られてくるでしょ。ソロ・ギターのアルバムを買う人って、CDを買う人全体の中でも相当限られていると思うんですよ。ギターだけで散々やってみて、僕自身はそれがすごく好きだけど、取っ付き難いっていうことがよ~くわかったんです。アンサンブルになったら少しその枠が拡がって、聴いてみようって思ってくれる人が増えると思ったんですよね。どうせそれをやるなら、思い切って演奏技術の高いメンバーでやってみたくて。どうなるのか見てみたかったんです」

――さっきおっしゃっていたような、“向き合って、引き出しを拡げ”た人たちということ?
 「ある意味そうだと思うんですけど、もっと単純に、上質なものをわかり易く返してきてくれる人。誰が聴いても、音が綺麗だね、って思えるような。当初はそういう構想でいました」

――ある意味、キャッチーなものを指向したんですね。
 「そうそう。聴き易いものを目指したんです。色んな人に聴いてもらえた方がいいっしょ!っていう感じ(笑)」

――そう考えるようになったきっかけは?
 「う~ん、家族の影響で、今まで聴いていなかった音楽を大量に浴びる機会が増えたんです。何でも聴くのは好きだったけど、今まで以上に色々な音楽が耳に入ってくるようになって。その中で、所謂“ポップス”の良さがわかるようになったんですよね。みんなを楽しませるって、すごいなって(笑)。それが体験としてどんどん増えてきちゃって、自分がやっていることは閉鎖的だったんじゃないかと考えるようになったんです。僕が作った音楽も、もう少し親切になったほうがみんなに喜んでもらえるのかなって。まだまだですけど。親とか、甥っ子とかね。そういう人たちが聴いてくれたら嬉しいなって単純に、思えるようになったんですよ」

――震災の影響もあったりするのでしょうか。
 「それはやっぱりありますね。震災のことも含めて、すべてがそういう流れになっていったんです。音楽でもう少し人とコミュニケーションが取りたくなったんでしょうね。今の自分に出来ることを充実させて、活き活きしていた方が、身近な人が良い影響を受けるんじゃないかと思ったんです。僕の場合は福島に行って演奏するとかそういうことではなくて、僕にできる方法で身近な人との関わり方を見直したいなと思って」

――『TRAIL』への出演もそういう気持ちがあって決めたらしい、というお話を監督にお伺いしたんですけど。
 「そうだね、映画も震災がなかったら、たぶん断ってたと思う。俳優なんてやったこともないし(笑)。だけど、震災があってから、自分で選んで思うようにやっていくよりも“自分が意図していない大きい流れの影響の方が大きいな”と思って。自分で無理に流れを作ろうと思うとすごい労力だけど、すでにそういう状況なら、その力を利用したほうが遠くまで行ける気がしたんですよ。面白そうなものが来たら、とにかく乗っかってみるというか」

――俳優業をやってみて、何か変わったことはありますか?
 「基本的には全然ないと思う。でも、今までだったらやらなかったことを開き直ってやってみたら、これまで知らなかった人が“音楽良かったよ”って言ってくれたりすることがあって。自分がオープンになれば、新しい人も取っ付き易くなるんだな、っていうのは気付きましたね。あまり拘らずに“どう受け取ってもらっても良いんですよ”くらいの感じで。音楽を作る上でも、それで気持ちがだいぶ楽になりました。今までは好きなものを作って“それが理解されなくてもいい”みたいなところがあったと思うんですよ。まだそういうのは多少あるんですけど、少し工夫すれば今まで届かなかった人にも届くかもしれないし、その人が聴いて良い気分になってくれたりしたら嬉しいじゃないですか。どうせリリースするなら、風通しの良いものにしたいというか」

1 2 3