HELLCHILD

HELLCHILD

――でも、何かを境に全体的な雰囲気が大きく変化したような印象も受けます。
鈴木 「最初のデモはほとんど勢いだけで作ってた感じだったんですよ。真面目にバンドをやるというよりは、“とにかく激しいことをやってやる”っていうノリだったんです。でも2ndデモを作っていた頃、大学2年くらいかな、その時には“音楽でやっていきたい”みたいな気持ちになっていたんですよね」
Jumbo 「2ndデモを出した頃、こいつが“もう速い曲はあまりやりたくない”たいなことを言っていたのを覚えてますよ。むしろもっとミドルテンポの曲を作りたいって。2ndデモは、そういう感じの曲調になってますよね。変わってきた。最初聴いたときは、遅くね?って思ったけど」

――“音楽でやっていきたい”という気持ちと、ミドルテンポへの変化にはどんな関係があるのでしょうか?
鈴木 「やっぱり、速いだけだと能がないな、って思って(笑)」
Jumbo 「当時EXPLOSIONで一緒にやるバンドは、基本みんな速いじゃないですか」
鈴木 「うん。速いと埋もれちゃう。それに、もっと内面から出てくる熱いものを表現したかったんですよ。あとはやっぱり、“良い曲”が書きたくて。ただ速いだけじゃなくて、練った曲を作るという考え方になりましたね」

――『…to the Eden』リリース時に、関根成年さん(C.S.S.O., BUTCHER ABC / Obliteration Records / galeria de muerte)が発行されていたファンジン『Circle of the Grind』のインタビューでは、PARADISE LOSTやCONFESSORがお好きだと発言されていますよね。スローダウンにはそういう影響もあったのでしょうか。
鈴木 「それは相当あったと思います。CONFESSOR、ハマりましたね。今でも好きでよく聴きますし」
Jumbo 「CONFESSOR好きだったね。PARADISE LOSTの『Gothic』も当時、相当ハマってたよね」
鈴木 「PARADISE LOSTは1stから好きだったんだよ」
Jumbo 「この人はそういう遅い、ちょっとドゥーミーなものに反応するのが早かったと思いますよ。遅くなったAUTOPSYのシングル(『Retribution For The Dead』1991)にも反応してたし。俺は遅っせー!と思ってたけど。こいつは“それがかっこいい”って聴いてましたからね」

HELLCHILD '...To The Eden', 1992
HELLCHILD ‘…To The Eden’, 1992

――調べてみたら、AUTOPSYとHELLCHILDって結成年が一緒なんですよね。
鈴木 「あっ、そうなんですか(笑)」

――やっぱりHELLCHILDはすごかったんですよ。
鈴木 「たまたま東京に住んでいたから、情報が早かったというだけだと思いますよ」
Jumbo 「それにまあ、AUTOPSYのドラマーは、その前にDEATHもやってますからね。DEATHの2ndあたりはかなり聴いたよね」
鈴木 「うん。3rdも好きで、4枚目くらいからちょっとアレ?って思うようになって(笑)」

――4枚目というと、『Human』ですか。
鈴木 「そうですね。僕の中では3rdが最高ですね。僕的にはあれがDEATHの完成形かな(笑)。デスメタルに関しては、そこまで深く聴かなかったんですよね。周りの人はトレードとかしてテープとか聴いてたけど、僕はJumboにダビングしてもらう程度で。自分から買い漁ったりはしなかったですね」

――初期HELLCHILDのスローパートって、今聴くとCELTIC FROSTに通じる部分が多々ありますよね。
鈴木 「でも、CELTIC FROSTはあまり聴いてないんですよね……」
Jumbo 「メンバー間でCELTIC FROSTの話が出てきた記憶はないですねえ。僕自身も出てきた当時はそんなに聴いてなかったです」

――メタルクラストなんかにはハマらなかったのでしょうか。やっぱりAMEBIXとか、ある種近いムードがあるように思うのですが。
鈴木 「AMEBIXは好きですけど、聴いたのはだいぶ後になってからなんですよね。周りに好きな人はいましたけどね。ANTI AUTHORIZEのGoくんとか」
Jumbo 「SEDITION~SCATHAみたいなものを聴くようになったのは全然後になってからですね」

――でも、CONFESSORにハマったとしても、当時日本で、実際にスローな音楽をプレイするに至ったバンドはあまりいなかったのではないでしょうか。
鈴木 「うん……。でも結局、僕自身も遅さに拘ったわけではないんですよ。単純にかっこいいと思ったものを、スポンジみたいに柔軟に取り入れていきたかっただけで」

――そこにTsukasaさん(原川 司 / 現・SWARRRM)が加入したということも、変化に影響を及ぼしたのでしょうか。
鈴木 「それはありますね。自分の色を持っている奴だから。曲が変わっても声が変わらないならHELLCHILDは色んな捉え方ができると思って、それまでとは違うことをやり始めたところはあると思います」

――たしかに。Tsukasaさん加入直後のHELLCHILDも、『Wish』の頃のHELLCHILDも、音楽性は全く違うけれどHELLCHILDであるということに全くブレはないですよね。
鈴木 「うん」

――Tsukasaさんとの出会いはどんな感じだったのでしょうか。
鈴木 「司は大学の後輩なんですよ。僕が副部長をやっていた軽音楽部に、メタル小僧がギターで入ってきて。John Sykesとか、Adrian Vandenbergとか……」

HELLCHILD

――えっ!全く想像つかないです!
Jumbo 「あいつギターだったんだ(笑)。僕も今知りました」
鈴木 「うん。その頃ちょうどHELLCHILDはヴォーカルをチェンジする、しない、みたいな話になっていたんですよ。細野っていうのはちょっと、いい加減な奴でね。まあ、今日も仕事で一緒だったんですけど(笑)。それで司にやってみない?って声をかけたら、たまたま力を発揮してくれて。水泳をやってたから肺活量がすごかったのかな、たぶん」

――水泳!
Jumbo 「あいつHELLCHILDに入ったばかりの頃は、家で枕に顔埋めてデス声の練習してるって言ってたよね」
鈴木 「うん。言ってた(笑)。下の階の人に“怪獣飼ってるんですか?”って言われたらしいです」

――(笑)。でも一番の驚きは、すごいヴォーカリストになるという前提でオファーしていなかったという点です。
鈴木 「たまたま近くにいたから(笑)」
Jumbo 「でも実際そのおかげで、周りの評価が一変したよね。僕も含めて。すごくなってないか?みたいなことになってましたね」

――Tsukasaさんが加入された頃は、日本でもすでにデスメタルが発生してきていた時期だと思います。一般的にHELLCHILDもデスメタルとして認知されていますが、当時周囲にはデスメタルで言えばどんなバンドが存在していたのでしょうか。
鈴木 「MESSIAH DEATHは地元が一緒で、仲良くしてましたね。あとはNECROPHILE(*4)、CRUCIFIXION、TRANSGRESSOR(*5)かな。DEATHPEED(*6)も名前は知ってた。XENOLITH OGERっていう、女の子4人組のバンドがいたんだけど、今思うとあれもデスメタルだったかもしれないね」
Jumbo 「当時はスラッシュって言われてたけどね。ただ、MESSIAH DEATHもNECROPHILEも、ライヴをそこまで頻繁にやるバンドではなかったから、対バンが多かったわけではないんですよ」
鈴木 「そうだね。一緒にやるのはGENOA、IDORA、GABISHとかが多かったかな。あとなんだっけ、『Break Confusion』ていうデモ出してた……」
Jumbo 「DISGRACEね」
*4 現・ANATOMIAのメンバーが在籍 / 元ギタリストの松永氏は一時HELLCHILDのベーシストも務めた
*5 現・ANATOMIAのメンバーが在籍
*6 現・UNHOLY GRAVE / Grind Freaksの小松氏が在籍

――DISGRACEってどんなバンドだったんですか?
Jumbo 「LAWSHEDのベースの吉田(拓)さんがLAWSHEDの前にやってたバンドです」
鈴木 「KREATORの2ndをもっと速くした感じのバンドですね」

――イイですね!
Jumbo 「めちゃめちゃかっこよかったですよ」
鈴木 「当時はとにかくGENOAの勢いがすごくて、アクティヴに色々やっていた時期だったんですよ」
Jumbo 「GENOAは“Thrash Lives in Savagery”っていう企画を月1でやっていて。その企画にHELLCHILD初回から出てるんです」

HELLCHILD

――HELLCHILDの軌跡を辿る上で、MULTIPLEXの存在も欠かせませんよね。合体バンドFORCEも結成しているくらいですから。
鈴木 「そうですね。同世代ということもあって、がっちり組んでやっていこうぜ、みたいな感じでしたね」
Jumbo 「夏目くん(夏目陽一郎 / MULTIPLEX, FORCE)とはバイトで仲良くなったんですよ」

――えっ!たまたま?
Jumbo 「たまたまというか、MESSIAH DEATH / 『Deathrash Mayhem Zine』の小久保くんが夏目くんの大学の先輩だったんですよ。小久保くんが周りの人を集めて渋谷の東急のアルバイトに連れて行っていたんですけど、そこに僕も夏目くんも呼ばれて」
鈴木 「Jumboが始めた企画も、MULTIPLEXと一緒にずっと続けてたんだよね」
Jumbo 「でも、企画のアイディア自体は、元々細野が考えたんだよ。細野がHELLCHILDを辞める前、まだ“Thrash Lives in Savagery”が終わってない頃かな、相模原の工場で一緒に働いていたんだけど、その時に細野が新しく企画を始めるって言い出したんだよ。しかも、アンチ(Antiknock, 東京・新宿)、屋根裏(東京・下北沢 *7)と2万(20000V, 東京・高円寺 *8)で月3本やるって。そんなのあっという間に客が入らなくなって、ダメじゃないですか。でも細野は、その内の2万をJumbo仕切ってほしいって言ってたんですよ。そうこうしている間に細野はHELLCHILDを辞めて、企画も頓挫して。その後、司が加入したHELLCHILDを聴いて衝撃を受けたわけですけど、当時はまだレーベルを始めていなくて、ファンジン(『Total Gore zine』)しかやっていなかったから、そのすごさを人に伝えようにもファンジン以外の手段がなかったんです。そこで2万での企画の話を思い出して、始めたのが“Indrawn Stage”なんですよ。MULTIPLEXとかJESUS SAVE、EXPLOSIONでも一緒にやっていたVARAMっていうバンドとか、そのへんが集まって新しい企画を始めて。MULTIPLEXは札幌のSATANIC HELL SLAUGHTERとか、名古屋のGIBBEDみたいなバンドとの繋がりがあったんで、色々拡がりました」
*7 2015年3月に閉店
*8 2009年に別階での火災のため閉店 / 現・東高円寺 二万電圧

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