波田野州平

波田野州平, 2012

――原風景というか。
 「そうですね。そういうところからアイディアが出てくるから、どちらかというとすでに決まっているという感じで。ちょうどその助成があるというので、まあ結構無理矢理な理由付けをして。よく“映画で町興し”みたいな話ってあると思うんですけど、あれって本末転倒じゃないですか。映画が良ければこそ、その土地に行った時に思いが広がるわけで。全然大したことない風景だったとしても。アピールしたい観光名所をネタに映画作っても意味がないと思うんですよ。そういうのでオッケーなのって寅さんくらいじゃないですか?なんとなく(笑)」

――寅さんは別格(笑)。
 「そうそう(笑)。だから有形文化とかよりも無形文化、まあ民話だったり、生活だったり、そういうものをテーマにして映画を作りたい、というようなことはプレゼンで言いました。 “富士山”みたいなキャッチーさはないけど、全国で上映して鳥取を発信できます、ということで。実際そっちのほうが届くような気がするし。大変だとは思うけど」

――鳥取を盛り上げたいっていう気持ちから撮ろうと思ったわけでは全然ないんですよね。
 「全然ないですね。やりたいことさえ出来れば、場所は結構どこでも良いと思うんですよ。例えば(ロベルト・)ロッセリーニの『イタリア旅行』なんかは観光名所がバンバン出てくるんです。でも主人公夫婦の関係がメインだから、そこさえしっかりしていれば何が出てきても成り立つんですよ。最後2人が抱き合った瞬間に、あー、よかった……って思えるわけです。何故抱き合ったのか理由は分からないんですけど(笑)。だから別に鳥取だろうが、立川だろうが、撮れるとは思うんですよね」

波田野州平 'TRAIL', 2011

――でもやはり鳥取が撮り易かったということですよね。
 「そうですね。土地を知っているっていうのは、やっぱり大きかったです」

――それは民話や生活に関して?
 「はい。今回は人形峠っていうところの民話を入れてるんですけど、それは元々入れたかったものなんですよね」

――その民話は実際に伝えられているんですか?
 「そうなんですよ。岡山県との境にある峠で、子供の頃から変な名前だな、って思っていたんですよ。昔々、巨大な蜘蛛が出て、旅人なんかが襲われていたんですね。それを退治するために人形を置いて、蜘蛛が人間だと思って食おうとしたところを、弓か何かで殺した、っていう伝説が残っていて。なんか割とグロテスクな内容の民話が、日常生活の中に名前として残っているということに違和感があったんです。でも色々調べてみると、そういう土地って全国各地にあるんですよね。それがすごく面白くて。いつか何かの形で映画にしたいなと思っていたんです」

――現代の生活と、民話とのギャップみたいなものが映画の核になるような感じだったのでしょうか。
 「それは少し違って、言ってしまうのはアレかもしれないんですけど、この映画で俺が描きたかったのは、メインの3人でも、森でもなくて、抽象的ですけど“時間”なんですね。短編を撮っていた頃から時間を描きたいってずっと思ってるんですよ。時間を描くのは当然だろ、って感じですけど(笑)」

波田野州平 'TRAIL', 2011

――まあ、経過という意味で言えば……。
 「そうそう。でもこの映画を作るにあたって“時間を描く”っていうことだけがあって。そのひとつのモチーフ、過去から現在に続いている、繋がっているものとして民話を入れてみたんです。本当にあったかどうかも判らないくらい昔のものが、今に繋がっているっていうことを知ると、過去に襲われている感覚になるんですよ。主人公を3人の芸術家にしたのも同じような理由で。例えば、絵だと描いてた時間がそのまま定着するわけじゃないですか。時間を感じ易いんですよね。それこそゴッホみたいな、教科書でしか見たことがないような絵を生で見ると、内容どうこうよりも、まあ筆のタッチとか、100年前の人がここを筆で触ってたんだな、っていうのが直に伝わるじゃないですか。絵ってそういう力があると思うんですよ。博物館的な、古代の土器と同じような感覚というか」

――では3人の芸術家は経過を描けるような芸術家でなければダメだったっていうことですよね。写真家とかではなくて。
 「どうなんだろう。でも写真家は想定していなかったですね。画家2人、詩人1人で最初考えてたんですよ。ただ2人目の画家がなかなか見つからなくて。どう違う人物を見つければいいのかで悩んで」

――なぜ画家が2人必要だったのでしょうか。
 「それも元々、鳥取に実在した芸術団体をモチーフにしているからなんですよ。それをそのまま描くんじゃなくて、半分事実、半分フィクションみたいな感じで描けたらな、って最初は考えていたんですね。例えば民話って、事実をディフォルメして長持ちさせるということかな、って思うんです。劣化した事実を、フィクションで補完するというか。困難な峠越えを大蜘蛛で表したりね。そういう方法の方が核が抽出されて伝わり易くなることがあるんじゃないかと思っていて。芸術団体もそうやって描こうと思っていたんですけど、だんだん縛られる感じで重荷になってきて。それより、魅力的な主演3人をそのまま撮ったほうがいいや、っていう気持ちになってきたんです」

波田野州平 'TRAIL', 2011

――2人目の画家ではなく、音楽家に落ち着いたのは?
 「ふと、画家に拘らず音楽だったら誰だろう、って考えた時に浮かんだのが三富さんだったんです。以前SEPTIMAで演奏してくれたことがあったんですけど、音楽をちゃんと座って聴いてはいなかったんですよ。外でバーベキュー用の炭に火を熾したりしていて(笑)。その時のことをすごく思い出して。三富さんの音楽って、空気を思い出す雰囲気なんですよね。音楽自体も含めて“その時の音楽”みたいな感じがあって。フラッシュバックする記憶って“時間”に通じるな、と思ったんです。三富さんとはほとんど喋ったことがなかったんですけど(笑)、声を掛けたら快諾してくれて」

――藤本さんはそれまでにお付き合いがあったわけですけど、山口さんはどうしてオファーすることになったのでしょう。
 「山口さんは、オファーするまでに2度くらいしかお会いしてないんですよ。最初はJad Fairのライヴの時に紹介されて、絵をチラっと見せてもらったくらい。その後、友達が住んでいた平屋が取り壊されることになって、そこに皆で絵を描こうっていう話になったんですけど、山口さんに声を掛けてみたら来てくれて。当日絵を描いているところを撮ってたいたら、魅力的だったんですね。映画での姿が浮かんだので、急に呼んで口説き落としたんです。山口さんの方も大蜘蛛の話に釣られたらしくて乗ってきて(笑)。藤本くんは、俺がずっと映画撮ってるからっていうのも少しあったんじゃないかな。すぐに引き受けてくれて」