Interview | 夏の大△ | 大城 真 + 矢代諭史 + 川口貴大


“形容されない”という状況

 山岳の如く聳え立つ脚立。無造作に置かれたベンチレーション・ファン。ベアリングに誘われ遠心力を体現する材木。大気の移動をたおやかに、時に激しく視覚化するポリビニールやアルミホイル。思いついたように白煙を噴出すスモークマシン。モーターの痙攣的作動によって断続的に蠢く空き缶。そこかしこに張り巡らされた紐やダクトテープ。そして基本寡黙に、淡々と“作業”を続ける3人の男。それらが一見何の脈絡もなく配置されているかと思いきや……やはり脈絡なく配置されているようです。それが“夏の大△”。そこには“活動”や“状態”、“存在”といった抽象的かつ絶対的な概念が佇むのみ。一切のタグ付けを無に帰する衝撃的なパフォーマンス(“行動”と呼ぶほうが正確かもしれない)は、情報に絡め取られた鬱屈を取り払い、新鮮な感動をもたらしてくれます。

 自身の演奏や展示作品の制作のみならず、テニスコーツ諸作をはじめ、王舟、柴田聡子、三沢洋紀、三富栄治、惑星のかぞえかたなどの録音を手がけるエンジニアとしても活躍する大城 真。名門Erstwhile Recordsや宇波 拓主宰hibari musicなどからのリリースで知られ、ソロに加え自身率いるHelloや、宇波、村山政二朗、ユタカワサキと組んだoff-cells、ucnvバンドの一員でもある川口貴大。東京・八広は荒川沿いのオルタネイティヴ・スペース“Highti”を主宰し、ドラマー・中野恵一(2UP, hununhum)とのドラム + 自走ウーファー・バンド“MOTALLICA”での活動や、展示、イベントの運営などを展開している矢代諭史。自作のサウンド・デヴァイスを用いた演奏・展示活動を特徴とする3名により結成され、東京都内のギャラリー / アート・スペースを中心に活動してきた夏の大△が、昨年12月に三角形のパッケージを纏った映像作品『夏の大△』をリリース。竹田大純がデザインした気合の外装、梅香堂(大阪・此花)の堂主、故・後々田寿徳による解説や、フレームに収められているからこその視点と相まって、何が起きているのかをより楽しく感じられる作品となっています。リリース元“DECOY”のサイトに掲載されている畠中 実(NTTインターコミュニケーション・センター [ICC] 主任学芸員)の解説も併せて必読です。

 本稿では、非常な困難を伴う表現に果敢にも挑む3雄にお話を伺いました。


取材・文 | 久保田千史 | 2013年12月


――お3方はそれぞれ長く活動しているので、お互いの存在は認識されていた思うのですが、面識を持つに至った経緯は?

川口 「大城くんもヤッシー(矢代)も、名前自体はずいぶん前から知ってたかな。でも当時はやってる場所がみんな違ってたでしょ?だから名前は知ってても、なかなか会う機会がなかったよね」
大城 「そうだね。川口くんのことはね、たぶんcherry musicから出てるフィールド・レコーディングのコンピレーションで知ったんですよ。そのコンピレーションに、ものすごく変な音のが入ってて、“すごいなこれ”って思ってて。初めて会ったのは、Helloで円盤(東京・高円寺)に出ているのを観に行った時かな。2007、8年くらいだった気がするんですけど」
川口 「そうそう。打ち上げで“CD持ってる”って話しかけてくれたんだよね。大城くんの存在自体は知ってたんだけど、顔と名前が一致してなかったから、この人があの大城くんなんだ!って思って(笑)。2004年かな、BRIDGE(大阪・新世界 / 2007年閉店)でやってたでしょ?」
大城 「えっ!あれ来たの!? それ超レアだよ(笑)」
川口 「いやっ、結局行かなかったんだけど(笑)。僕は当時大阪に住んでいて、BRIDGEによく遊びに行ってたんですよ。そこで大城くんのTVを使ったパフォーマンスのチラシを見て、“こういう人、大阪にもいるんだな”ってずっと覚えてて。その後もBRIDGE絡みでライヴをやることは多かったけど、大城くんと一緒っていうことが全然なかったんですよね。あの頃は蛍光灯とか使ってたよね。電球だっけ?」
大城 「電球だね。蛍光灯は使ってなかった。会ってからはお互いLoop-Line(東京・千駄ヶ谷 / 2011年閉店 / 現・戸越銀座 l-e)に出るようになったんだよね。ヤッシーはたぶん、ネットで映像を観て知ってたんだと思う。実際に会ったのは僕が東京に来てからですけどね。梅田(哲也)くんていう共通の知り合いがいて」
矢代 「梅ちゃんとは、大城くんや川口くんと会う前から知り合いだったんですよね。大城くんは当時関西にいたからあまり接点がなかったけど、たぶん川口くんと同時期に知り合ったんだと思います」
川口 「僕がヤッシーと初めて会ったのはたぶん、HightiとFLOAT(大阪・安治川)のイベントの時だったと思うな」

夏の大△ '夏の大△', 2013 <a href="http://decoy-releases.tumblr.com/" target="_blank" rel="noopener"><span style="color: #ffffff;">DECOY</span></a>
‘夏の大△’, 2013 DECOY

矢代 「自分はHightiっていう工場を改造したようなスペースを運営してるんですけど、大阪にもFLOATっていう同じようなスペースがあって。そこと比較的仲良くしていて、イベントの交換とか、交流会みたいなことを当時やったんです」
川口 「今pool(東京・桜台)を運営してる人が僕の大学の同級生なんですけど、彼がよくHightiでイベントをやっていたんですよ。だからヤッシーのことは知っていたし、いつか会うんじゃないかと思ってはいたんですけど、そのイベントがきっかけで会うことができて」
矢代 「そうだね。川口くんのライヴ自体を初めて観たのはたしか、SuperDeluxe(東京・西麻布)で。キッチンタイマー?」
川口 「そう、改造したキッチンタイマー。それを100個くらい使って、色んなところに置くっていうライヴをやってたんですよ」
矢代 「自分も、そういうちまちましたものを配置するライヴをやっていたことがあって。だから音場の感じとか、鳴りがすごく新鮮で、“演奏が上手いな”って思った印象がありますね」
川口 「まあ、お互いその後は普通に、呑んだりするようになった感じで。今も呑んでるんですけど(笑)」

――そんな3人が一堂に会することになったのはどんなきっかけがあって?
川口 「それはヤッシーがきっかけですね」
矢代 「そうですね。2010年頃かな、FLOATに用事があって大阪に行った時に、FLOATのオーナーに“近くに新しいギャラリーがオープンしたんだよ”って教えてもらったのが梅香堂っていうギャラリーで。早速行ってオーナーの後々田さんと色々話をしていたら、“何かやってくれ!”みたいな感じでいきなり言われて(笑)。急だったので一度持ち帰ったんですけど、しばらく具体的な案が浮かばなかったんですよ。自分の個展はあまりやっていない時期だったし、やるなら裏方に回って誰かにやってもらおうかな、とも考えていたんですけど、その時に大城くんと川口くんのことが浮かんで。3人の展示をやってみようと思ったのが発端ですね」

――ひとまず3人で、という感じで?特にコンセプトもなく。
矢代 「ないですね(笑)」
大城 「本当にただ3人でやりました、みたいな(笑)」

――それでも、それぞれが当時やられていたことを想定した上で、ということですよね。
矢代 「それはそうですね。ある程度どういう活動をしているかは把握していたので、3人が集まったら面白いことができるんじゃないかなっていう。ちょっと、見切り発車で(笑)」
川口 「それをきっかけに、だんだん3人でやることが増えてきたんだよね」
大城 「その展示のタイトルが“夏の大△”だったんですよ」

――タイトルは皆さんで決められたのですか?
大城 「いや、ヤッシーが考えたんじゃない?3人で集まって、呑みながらタイトルを考えたこともあったけど、結局決まらなくて。ある日突然“夏の大△”っていうタイトルが付いてて」
矢代 「ちょうど夏だったんですよ(笑)」
川口 「だから本当は、その展示1回限りのための名前だったんだよね。別に継続する意思もなくて」
大城 「そうそう。その後ICCで3人一緒にやった時は、“夏の大△”っていう名前じゃなくて、それぞれの名義で告知してたんですよ。でも、何かの企画に3人で呼ばれた時にフライヤーに勝手に“夏の大△”って載せられてたことがあって(笑)。それからバンド名みたいになったのかな。僕たちは特にそういうつもりはなかったんだけど」

――でも名前があったほうがインパクト強くて良いですよね(笑)。ざっくり言うと、お3方共に“サウンドアート”と呼ばれるカテゴリに入る機会が多いと思うのですが、夏の大△ではそういうの、どうでもよくなっている印象を受けました。
矢代 「そうですね。それは3人とも、ずっとそう思ってるんじゃないかな」
大城 「“サウンドアート”って僕らが学生の頃に注目された分野で、たぶん3人ともすごく影響を受けてはいるんですよ。でも、“僕たちサウンドアートやってるぜ”みたいな気持ちはないんです。少なくとも僕に関しては」
川口 「全くないよ、そんなもの(笑)。自分で決めることじゃないと思うしね」
矢代 「個人的な意見で言うと、“サウンドアート”と言ってしまうと、やっぱり美意識が似てきてしまうと思うんですよ。ある種共通の美意識、様式美みたいなものがあるような気がしていて。そういうものを自ずと拒んでしまっているところがあるんですよね。かといってラディカルに突っぱねるみたいなスタンスを持っているわけでもなくて。そのちょうど真ん中あたりを行ってるのかな、と自分では思ってるんですけど」
大城 「だから梅香堂での展示の時も、後々田さんはキュレーターとしてキャリアを持っている人だから、説明として“サウンドアート”とか“インスタレーション”っていうのを最初は提案してくださったんですけど、やっぱり“サウンドアート”って嫌だな、と思って外してもらったんですよね」
矢代 「夏の大△に関しては、“音楽”みたいな感じでやってると認識してます。“美術”っていうより、“バンド”みたいな。ライヴ感のある」
大城 「そうだね、“バンド感覚”に近いね。ソロの活動になるとちょっと曖昧になってくるんですけど、大△は完全にバンド感」

夏の大△, 2014

――でも大△、むしろソロでやられている時よりも“音”の要素が薄まっていますよね……。
矢代 「それも、“バンド”でそういうことをやる、という試みでもあったりするかもしれないですね。何て言ったら良いかわからないんですけど(笑)」
大城 「音は出ていなくてもバンド、みたいな。必ずしも音が出ている必要はなくて」
矢代 「そう。そういう感じになってきてますね。最初は出音も気にはしていたんですけど」
川口 「別に出なくてもいいかな、っていう。だから、ソロでやる時とは全然違う感じです。ソロではみんな、完全に“音楽”っぽい感じでライヴをやることが多かったりするけど、同じような機材を使っていても、3人集まると“音”の部分だけ欠落するっていうのがおもしろい。普通、音楽って色んな機能があるわけじゃない?僕たちは機能だけないんだからさ(笑)」

――パフォーマンス中は、バンドっぽくお互いのプレイを意識しているような感じなのでしょうか。
矢代 「意識はほとんどしてないですね(笑)。場所が空いてないから違うところに行こう、くらいの感覚しかないですね」
大城 「例えばヤッシーが何か組んだら、“そこに何か自分のものを足せるよね”とか、川口くんのが何か重なってるから“そこに何か載せよう”みたいなのはあるんですけど」
川口 「僕は普段インプロの人とやることが多いんですけど、それは“個人と個人が何かを一緒にやる” 感じなんですよ。でも大△では、自分と他の2人との距離とか境界がどんどんなくなってきている気がする。そこにある何かが自分の置いた物であっても、この2人の置いた物であっても、全然気にならないというか。」
大城 「そうだね。やっている途中で“どれが大城くんの作品なの?”って聞かれたことがあったんですけど、“いやもう、わからないっすよね”って言うしかなくて(笑)」
矢代 「お互いに、影響し合うような、し合わないような。影響する部分と孤立した部分が同時にあって、 “何かひとつのものを作ろう”っていう意識はなくても、自然とできてる。最初の頃は、3人で何かを構築していく感じも少しあったんですけど。それぞれのデヴァイスに何かしら関係性を持たせて。トリガーがあって、それが電気信号だったり、物理的な振動だったりで繋がっていくような」
川口 「そうだね、初期は繋げようとしてる感じがあったね。でもそれを続けていると、全部プラスみたいな状態になって飽和してくる」
矢代 「そうそう。静かに始まって、大きくなって、発散するカタルシスに繋がって終わりっていう。その構造自体がすごく音楽的だよね。そういうのから離れたいっていうのがあるのかもしれない」
大城 「こうしたらこうなるよね、みたいなね」
川口 「それ1回やっちゃったら、次からはそれこそ本当に“やり慣れたバンド”みたいになるでしょ。やり口を変えて“ただやる”みたいになったら最悪だからね。そういう風になっちゃったら、もう終わりだと思う」
矢代 「だから最近はむしろ“構築しない”、“目標を同じところに定めない”ようになってきていて。それぞれ違う方向を向いていて、やってることも違うし。何かを作り上げようとしてる感じではないと思います。すごく抽象的で、感覚的な話になっちゃうんですけど」
川口 「でも、それはすごくバンドっぽいよね」
矢代 「あと、一応“そろそろ終わるか”みたいな(2人を交互に見ながら)感じはあるね」
大城 「そうそう、終わりは共有できるね(笑)」
矢代 「そういうところは“バンド”でもあるし、“音楽”でもあるのかな、と思いますね」

―― “究極のバンド”というか……。
一同 「笑」
矢代 「それ大丈夫ですか?文字にしたら訳が分からない感じになりませんか(笑)?」
川口 「スピってるっぽい(笑)」

――いやいや(笑)、DVDを拝見していても、今おっしゃっていたような“バンド感”をすごく感じるんです。お互いの干渉や音なしで “バンド感”のみ存在しているというのは、ある種エクストリームな“バンド”だと思うんですよ。
矢代 「そうですね。ただ、“何がやりたいのか”っていうのは実はそんなに明確に言えるものではないんですよ。逆に、“何がやりたくないか”っていう部分の方が大きいのかもしれない。“ヴィジュアルアートみたいになりたくない”とか、“彫刻的なインスタレーションにはなりたくない”とか。かと言ってすごく捻くれた、ラディカリズムの極北を行くようなこともやりたくないというか。本当に普遍的な何かを用いて、新しいことをやりたいという漠然とした思いだけはあるんですけど」

――それって相当に困難なことですよね。
矢代 「難しいと思います。自分たちにできているのかどうかはわからないんですけど」

――それを、こういう言い方は的確ではないかもしれませんが、ポップに観られるというのがすごいな、と思っていて。
川口 「ああ~。たしかに、ライヴはすごくポップなんじゃない?」
矢代 「そうですね。じっと黙って座っているようなものじゃないから。京都の古い廃校でのフェスティヴァル(高尾小フェス)に呼ばれて出演した時は、小さい子供とか普通のオジさんも観に来てくれて。何かしら動いてたりすると、子供はやっぱり食い入るように観ている感じはありましたね」
大城 「その時は教室をひとつ与えられて、5時間くらいずっとやってたんですよ(笑)」
川口 「普通に音楽のフェスティヴァルだから、決まった時間に色んなところでライヴをやってるんですけど、自分たちは1日中ずっとやってるから、人が来たり、来なかったりで。ちょっと観てつまらなかったら帰ったり、おもしろかったら何回も来てくれたり、長い時間滞在してくれる人もいて。そういう状況だったんで、初めは教室の中だけでやっていたのが最後の廊下まで増殖していって(笑)」
矢代 「廊下と教室の間に窓があって、そこを何かが貫通していたりとか。重力に逆らったような造形が生まれたり(笑)」
大城 「廊下は誰も通れなくなってたよね(笑)」
矢代 「たまにプシューって煙が出て。客観的に観たらポルターガイストでしょ」
川口 「廃校だし、あれは単なるおばけ屋敷だよね(笑)」

――(笑)。そういうのって、所謂“アート”とか“美術”の視点で見てしまうと、笑うのは憚られる気がするんです。
矢代 「そうですね、“パフォーマンスアート”と言われたらそうなのかもしれないんですけど、舞台があって、客がいて、という構造ではないのかな、って思うんです」
大城 「“これをしなきゃいけない” みたいな決まり事が特にないんですよ。やろうと思えば、3人とも何も持って行かないで現場にあるものだけで何かやるとか、歩き回って終わりとか、そういうことでも成立しちゃうというか。DVDでもそういうところがあるけど(笑)」

――そうですね、三浦海岸で撮影されたものはほとんどそうですよね。
大城 「最初の2編で、普段やっていることは撮れちゃってたんですよ」
川口 「ライヴってほとんどが室内じゃないですか。ちゃんと四隅のある空間で。そうじゃない場所で一度撮ってみよう、っていうのがあったんですよね。あとは何もないところに行ってみて、何ができるのか試してみるとか」
矢代 「そうね。機材がないと不安になってしまう症候群から逸脱したい思いもあったのかもしれないですね」
川口 「さっき言った“やり慣れたバンド”と一緒で、それぞれソロでたくさんライヴをやっていると、だんだん“持ちネタ”みたいなものができてくるじゃないですか。これを持って行って、これをやったら最終的に絶対にウケるっていう(笑)。時間がなかったりすると、どうしてもやっちゃうんですけど、そういうことはもう止めたいって思っていたんですね。でも実際に行ってみると本当に何もなくて、ものすごく困りましたけどね(笑)」
大城 「外だから色々落ちてるかな、って思ったら……」
矢代 「すごく綺麗な海岸で、落ちてる物がほとんどなくて(笑)。撮影の前に3人でお弁当を食べてたんですけど、ちょうど上に鳶が飛んでいて。鳶って、人が食べてるおにぎりとか、襲うって言うじゃないですか。だから鳶が来たらいいな、と思って唐揚げを置いておいたんですけど、来なくて(笑)」

――石を割ったり、素振りとかもされてましたよね(笑)。
大城 「あれしかやることなかったから(笑)。最初はまさか割れるとは思ってなくて、投げて当たったら割れちゃったみたいな(笑)」
川口 「全部結果の話でしかないっていう(笑)。完全に思いつきだよね」

――単に“活動”というか。それを“アート”と呼ぶかどうか、みたいなところだと思うんですけど。
川口 「確実にアートではないと思うよ(笑)」

――これまでお話を伺った限りではそうですよね。ただ、こうして“作品”として世に出るからには、やっぱりそういう視点も少なからず入ってくると思うわけです。一般的には、と言うとアレですけど、何かしら意味付けをしたがるものじゃないですか。
矢代 「そうですね……」
大城 「う~ん、そうだなあ……。拒絶してるわけではないんですけど、自分たちから“これは何です”って言うのはやっぱり、すごく難しい。そういうことは、大袈裟なことになってきたら、ちょっと考えるかもしれないけど……」
川口 「あはは(笑)」
大城 「まあ、どう捉えられても構わないんですよ。“アートだよね”って言われても良いと思う。ただ、それが独り歩きし始めたら、もしかすると危機感みたいなものを感じるかもしれないですけど。自分で言うのもアレだけど、今のところ大袈裟な反応が返ってくることはないと思うから(笑)」
矢代 「自分は、このDVD観てくれた人が “アートだ”って言ったら、その人が何でアートだと思うのかを、聞いてみたいですけどね。そういうのが楽しみ」
大城 「それそれ、本当にそう」
川口 「結局、自分たちにもわからないっていう(笑)」
大城 「そうだね。その状態の方が、色々やり易かったりもするし」
矢代 「ただ、DVDというパッケージになったことで、説明し易くなった感じはありますね。今まではすごく説明し難かったし、言っても伝わらなかったりしてたんで」
川口 「そうだね。東京以外だとあまりライヴもやってないし、言葉で言っても絶対わからないもんね」
矢代 「親とかに理解してもらえない感じ(笑)」
川口 「親は不可能でしょ。たぶん“がんばりなさい……”って言われて終わるよ(笑)。親じゃなくても、普段一緒にライヴをやっているような身近な人でも普通に難しかったりするし。どう思われてるのか全くわからないんですよね」
矢代 「何かパンチラインがあれば良いんだろうけどね」

――でもパンチラインのなさが良さだったりするわけじゃないですか。
矢代 「そうですね(笑)。仮に“これはフリー・ジャズです”と言ってしまえばフリー・ジャズになるのかもしれない。でも、“形容されない”っていう状況を経験してみたいんですよね。“何なんだ!”って怒られるくらいの。“こっちはお金払って観に来たのに!なんだこのザマは!”みたいなこと言ってほしいよね、逆に」
大城 「“クソだったね”みたいなツイートとか見てみたいけどね。“あんなヒドいもの初めて観た”とか」
川口 「“殺すぞ”とか言われたらちょっとビビっちゃうけど(笑)、“これ何なの?”みたいなこと言われたら、“何なんでしょうね”って話し合ってみたい。そうしたらすごく、やって良かったなあって思えるんだけどな……」
矢代 「そうね、何も反応がないより、良いにしろ悪いにしろ、何かしらリアクションがあるといいな、っていう思いはありますね」
川口 「そうだね、“悪い”っていうので全然良いんで」

――日本だと、形容し難いものを個人的に判断するという土壌があまりない印象はありますね。
矢代 「そういう意味では外国でやってみたいかな」
大城 「そうだね、反応がもっと直球で来るんじゃないかな。それこそ罵声とか来るんじゃないの(笑)?」
矢代 「外国には日本とは違う素材がありそうだ、っていう期待もあるし(笑)。落ちているものが違うなあ、っていう」
川口 「おもしろいかもね。何かきっかけがあれば良いけど。僕が知っている限りでは、外国で大△みたいなライヴをやる人っていないし。似たような感じになってきている外国の知り合いは何人かいるんですけど、やっぱり“音”ありきで、演奏としてやっているものが多いんですよね」

――とは言え、大城さんの“石を投げる”とかって、実際にやると単純におもしろいじゃないですか。そういう感覚は普遍的な“ポップ”に繋がっている気がしました。最近じゃ“石を割ってみよう”とか、子供でも考えないんじゃないかな、なんて思ったり。
川口 「そういうのはあるんじゃない?ヤッシーの回るやつとかさ」
矢代 「最近回るのがマイブームで。机をひっくり返して回すとか」
川口 「ただそれを文字や言葉で “矢代くんは机を回している”って言ったら相当ヤバいし(笑)、“机は回るんだな”って思うところまで行ってもそれで終わりだけど、実際に回ってるのを見るとけっこう“おお!”って感動するんだよね。僕は」
大城 「それはあるね」
川口 「それと大城くんの“石”も、“ああ、そのスピードであの石を投げると、割れるんだ”っていう(笑)」
大城 「実は、石を投げるライヴは大△の前からやってるんですよ」

――そうなんですか??
大城 「ソロ名義でもやったことがあって。それも話すと長くなるんですけど(笑)。Eddie Prevost(AMM)とJohn Butcherの対バンで呼ばれて大谷採石場(栃木・宇都宮)っていうところで河野 円さんとのデュオでライヴをやった時に、楽器は持って行ったんですけど、ちょうどライヴが多い時期だったから毎回自分の楽器を演奏するのがつまらなくなっていたんですよ。自分で結果が見えているというか。採石場だから石がたくさんあるし、もう、石投げよう、みたいな(笑)。まあ、実際はそこまで短絡的でもないんですけど」
川口 「あと財布の中身を出してぶん投げるやつでしょ」
大城 「川口くんと昔デュオでやってた時さ、一時期空き缶を並べたりとかもしてたよね。その空き缶を並べるのと、石を投げるのは僕的には同じなんですよ。ワッシャーを投げて床に当たる音でライヴをやっていたこともあるんですけど、投げるのをやめて転がしてみたり、色々やっているうちに音が出なくていいや、っていう風になってきて。石だと、音が出たり出なかったりするし、投げたら何が起こるかな?みたいなところもあったりする」

――そういう感覚を体感として与えようという意図でやっているわけではないんですよね?
矢代 「“やってみたからそういうことが起きた”というだけで、そういう意図はないですね。自分で習得して“次はもっと上手く回してみよう”とか、“もっと大きい物を回してみよう”とか、そういう感じです。川口くんは積むのがマイブームなんだよね(笑)」
大城 「あれ積み過ぎると危ない感じだよね(笑)」

――あっ、そういうこと考えていらっしゃるんですね(笑)。
川口 「それはめちゃめちゃ考えてるよね(笑)」
大城 「“固定しなきゃ!”とか」
川口 「誰も怪我しない、何も壊さない、って思ってるから。でもまあ、それも、崩れた時に音が出たりはしますけど、音にフォーカスしているわけではないし、積んだ状態が美的どうの、っていうことは何もないんですよ。ただ“積んでいるところ”が“積んでいるところ”だとわかれば良いんです。“何か”として捉えられるよりは、ただ“そういう作業がそのままある”ということの方が重要な気がする。鈴木昭男のパフォーマンスでさ、バケツに物を入れて階段の上から落とす、っていうのがあったじゃない?」
大城 「うんうん、あったね」
川口 「でもさ、ヤッシーの“机回ってる”とか、大城くんの“石が壊れる”とかって、“美術”でも“音楽”でも何でもないじゃん。それがすごい良い。“ただ回る”とかさ。僕はそこがすごくおもしろいと思いますね」

矢代 「たぶん、“目的があってやる”というよりは、“できちゃった”的なところが発端となっていることが多いんじゃないかな。バンドのモチベーションもそこにあるような気がするんですよね」
川口 「完全にそうだと思うよ」
大城 「“状態”っていうかね」
矢代 「頂上に立つことが目的じゃなくて、山に登ること自体が目的っていう感覚ですね。登山で言うところの」
川口 「登山で言った(笑)」
大城 「それスピった発言だよね(笑)」
一同 「(笑)」
矢代 「なんだかわからない方向になってきた(笑)」

――今後、ものすごく広い場所でやってみるのとか、いかがですか?
川口 「ああ~、良いね!倉庫とかね」
矢代 「やってみたいですね!」
大城 「それはぜひやってみたいなあ」

――幕張メッセとか。
一同 「(笑)」
川口 「逆に森みたいなところでもやってみたいんだよね。めちゃめちゃ“色々ある”ところ。木が生えてると縦も使えるから」
矢代 「ちょっと標高が高いところの森が良いね」
川口 「何で?空気薄いほうが良いの(笑)?」
矢代 「標高によって植生が変わってくるんですよ。2,000以下だとスギが多いからつまらなくて。それ以上に行くとブナとかシラカバなんかが生えてきて、横に伸びるタイプも増えてくるんですよね」
川口 「何の話をしてるんだ(笑)」

大城 真 Twitter | https://twitter.com/ooooshiroooo
川口貴大 Official Site | http://takahirokawaguchi.tumblr.com/
矢代諭史 Official Site | http://www.ss846.com/