Atom™

Atom™ / photo ©Renato del Valle

――1980年代のエレクトロニック・ポップ(まだエクスペリメンタルだった『Computer World』前後のKRAFTWERKを髣髴とさせます)をアップデートしたかの如き音楽性同様、「Empty」や「Stop (Imperialist Pop)」での主題もまた、80年代のトピックを現代に置き換えているように思います。これは意図的なものなのでしょうか。
 「概して自分が何をやっているかについて非常に意識的ですし、自身の音楽の中に、自分では気付いていない要素が存在することは全くないと言えます。その意味では、あなたが『HD』で聴くものは全て意識的に産み出されたものですし、参照先やそのソースからの文化的要素が含まれていることに対しても自覚的です。しかしながら、全ての芸術において“不合理”で“ミステリアス”であることを内包しているのは、非常に重要であり、パワフルな要素だとも考えています。これは料理に例えると理解しやすいかもしれませんね。料理では、材料、例えばスパイスなどを意識的に使う必要がありますが、その産地までを知る必要はありません。その材料がレシピの中で“効果的か”どうかを知っていれば良いのです。『HD』に話を戻すと、確かに私は、例えばKRAFTWERKと自分の音楽との関係や出典には気付いていますし、彼らの音楽が特定のスタイルや歴史的 / 文化的な資料を代表するものだとも考えています。私たちはもはや、全てが同時に現在である、という時代に生きています。そして芸術面 / 様式面でそれが効果的である限りにおいて、“全て(全てのスタイル、全ての言語など)”が本来の文脈から独立しているとしても有効であるということを、私の仕事は反映しているのだと思います」

Atom™ / photo ©<a href="https://www.renatodelvalle.com/" target="_blank" rel="noopener"><span style="color: #ffffff;">Renato del Valle</span></a>
photo ©Renato del Valle

――ことに「Stop (Imperialist Pop)」は、実名がばんばん登場する、かなり攻撃的なリリックになっていますよね。逆に、Schmidtさんが嫌悪感を抱かない“ポップ”とは、どのようなものなのでしょうか。
 「『HD』は明確に答を出してはいません……。そして、実のところ私も明確な答を持ち合わせていないのです。“ポップ”はたぶん50年前に比べると全く違うものになっていると思うのです。“Stop! (Imperialist Pop)”のような曲がきっかけで、答が出せれば良いのですが……。この曲が攻撃的なのは、私が現在の状況に満足しておらず、新たな状況への扉を開きたいと願っているからです。今の私の感覚で言うと、“ポップ”とはポスト資本主義のキラキラした表面の部分です。“有名な(Poplar = Pop)”という言葉本来の意味を反映する必要はなく、“大衆に(Masses)”与えられるものを意味します。ある意味で、現代における“ポップ”というものは、巨大な力 / 方法論を用いて人々に投げ込まれる情報の一形態、ということなのではないでしょうか。人々はそれから逃れられません。そして何度も反復され、様々な社会の階層に浸透した時、それは“ポップ”へと変化するのです。どんなに有名なブランドや商品も、多くの人がそれを選ぶからではなく、我々に他の選択肢がないから有名なのです。つまり、私がこの曲で呼ぶ特定の名前は“占有者”を指しています。あなたが昨今の“ポップ”の概念に照らして相応しいと思えば、それを他のどんな名前と代えても良いのです。これらの名前 / 人々はいつでも交換がききますし、ポスト資本主義の媒介手段として彼らが真にやりとりするのは、その価値観だけなのですから。例えば“Elvis”というメッセージは、彼が自分の曲に込めたメッセージではないのです。このことは全て忘れていただいて構いませんが、Elvisのメッセージとは“資本主義”なのです」

――Richie HawtinさんやRicardo Villalobosさん、Matthew Herbertさんなど、親交があるクリエイターにはポリティカルな意志を持って活動されている方が多いように思うのですが、Schmidtさんも音楽家として活動する上でそういった意志は必要だと考えていらっしゃいますか?
 「基本的に私は“政治”を“汚れた”言葉だと思っているので、自分の関心事を“政治的”と表現するのかどうかは分かりません。私はどのような種類の政治も信じてはいないので、“社会的”という見方をしていただく方を好ましく思います。さて、あなたの質問に答えると、私はアーティスト、特にミュージシャンが政治的な意図を持つべきだとは考えていません。私の意見では、政治や、(政治がほのめかすような)“現在の出来事”に関連する“言葉”は、残念な事にアートをとても“陳腐な”ものにしています。音楽の偉大な力とは、その神秘的かつ不合理な方法の中で、結びつく / 理解し合う能力です。言葉を使って社会的ステイトメントを発表するのはおもしろいことですが、それをアーティストが顕著にすべきだとは思いません。実際、あなたが言及した楽曲や『HD』のレコーディングは、私が自身のステイトメントを発表した最初で最後のものです。その理由は先ほどの説明と関連していて、例えば“Stop! (Imperialist Pop)”は、私が選ぶ言葉のひとつひとつではなく、正当なメッセージのための“態度”として理解していただきたいのです。一貫性のあるメッセージを持つということが、今日ではどれだけ困難であるかを私は自覚しています。私の言葉は一貫性を狙ったものではなく、態度をより良く表現するためのものです。今、ミュージシャンにとって私が重要だと思うことは、“何か”を言う関心と勇気を持つことでしょう。特にこのような時代は挑発的なステイトメントを必要としています。私はこれらのステイトメントが“マーケティング”チームによって生み出された良いフレーズからではなく、本物の人間が本物の関心を持つことから生み出されなければならない、という意味で、“リアル”であることが重要だと思います」