自分に偽りのない感じ
取材・文 | 久保田千史 | 2013年7月
翻訳協力 | 松浦 亮
――僕があなたのことを知ったのはCULTUREのシンガーとしてだったわけですが、あなたにとってCULTUREは最初のキャリアではないんですよね。CULTURE以前に在籍していたのはどんなバンドだったのですか?
「俺が一番最初にやっていたのはU.S. DECLINEっていうバンドだったんだ。15歳の時に、MIDGET STEWという名前で活動していた友達が新しいバンドを始めることになって、歌わない?って誘われたんだよね。ハードコアというよりもパンクっぽい感じのバンドだったよ。でも結局、俺が更正施設に送られてしまって、一緒にライヴをやることはなかったんだ。彼らは新しいシンガーを見つけて、すごく良いデモを作ったよ。次のバンドは後にSUNDAY DRIVER(Doghouse Records)でプレイすることになるAlex Martinezと一緒にやっていたINSISTっていうバンド。何回かライヴをやって、試しにデモも録ったよ。その後REACHっていうバンドで1度ライヴをやって、HANDOVERFISTっていうバンドに少しの間在籍してからCULTUREに加入したんだ」
――CULTUREにとってもあなたが初めてのシンガーではなかったと思うのですが、どういった経緯で加入することになったのでしょうか。
「John Wylie(CULTURE, MORNING AGAIN, UNTIL THE END, WHERE FEAR AND WEAPONS MEET ほか)のことは彼がバンドを始める前から知っていたし、CULTUREのデモが大好きだったんだ。当時ヴォーカルを兼任していたRich Thurston(BLOOD HAS BEEN SHED, TERROR, ONE NATION UNDER ほか)がギターのプレイに集中するためにヴォーカルを諦めて、Johnの誘いもあって俺が試してみることになったんだ」
――当時CULTUREはどのような音楽からの影響を受けていたのですか?CHOKEHOLDやUNBROKEN、EARTH CRISISなどは先だって活動を開始していたと思うのですが、彼らからの影響は大きかったのでしょうか。
「そんなこともないよ。初期CULTUREの頃に俺が好きだったのは、INSIDE OUTとか108、BLACK TRAIN JACK、DOWNCAST、OVERCAST、SPLIT LIP、INTEGRITYかな。EARTH CRISIS、UNBROKENも好きだったけどね。CHOKEHOLDを聴くようになったのはもっと後になってからだなあ」
――ヴィーガン、ストレートエッジのライフスタイルは重要な要素でしたか?また、Catalyst Recordsのようにポリティカルなスタンスのレーベルからシングルをリリースしていましたが、レーベルメイトのBIRTHRIGHTやABNEGATION、DAY OF SUFFERINGといったバンドとの交流はあったのでしょうか。
「俺が加入した時点では、CULTUREはヴィーガンでも、ヴェジタリアンでもなかったんだ。それぞれで学んだことを持ち寄って、お互いに影響を与え合った結果、最終的に全員がヴィーガンになっていたんだよね。そこからヴィーガンについてのメッセージを込めた歌詞を書き始めたんだ。ヴィーガン・ストレートエッジは比較的新しいサブジャンルだったし、俺たちは若くて怒りに満ちていたから、闘争に身を投じるということに興奮していたんだろうね。それからしばらくはそのライフスタイルが俺の重要なアイデンティティのひとつだったし、いくつかの要素を削った現在でも、世界の見方に大きく影響しているよ。ほかのヴィーガン・ストレートエッジのバンドで付き合いがあったのはEARTH CRISISだけだな。彼らは仲間としてCULTUREをすごくサポートしてくれた。ABNEGATIONやDAY OF SUFFERINGのメンバーと会うことはなかったなあ。俺には彼らのメッセージが極端過ぎるように思えたから、聴くこともなかった。唯一顔見知りのBIRTHRIGHTは、俺がAS FRIENDS RUSTにいた頃にヨーロッパでいくつかのライヴを一緒にやったよ」
――当初からあなたのヴォーカル・スタイルはオリジナリティに溢れるものでしたが、シンガーとして影響を受けたアーティストはいるのでしょうか?
「誰に影響を受けたかはわからないなあ。でも初期のスクリームしていた時代には、INSIDE OUTのZack de la Rocha(HARD STANCE, RAGE AGAINST THE MACHINE, ONE DAY AS A LION)以上にすごいスクリームはないだろうって思ってたよ。AS FRIENDS RUSTに入ってからは、SAMIAMの影響が少しあるかもしれない」
――当時はどんなバンドの共演する機会が多かったのでしょうか。また、フロリダのシーンは他の地域とどう違っていたと思いますか?
「初期のCULTURE(1993~95)はTENSIONと一緒にやることが多かったよ。彼らは南フロリダの兄弟みたいな感じ。フロリダのシーンは、ほかの地域よりちょっと怖い感じだったんじゃないかな。ダンスがかなりハードだったんだよね。ハードコアだけじゃなくて、パンクやスカ、インディ・ロックなんかも同じショウに出てたっていうのも特徴かもしれない」
――SHAI HULUDにも一時在籍していましたが、CULTUREと掛け持ちで始められたのですか?あなたが在籍していた時期のデモ、最高ですよね。
「同じ時期にCULTUREとSHAI HULUDに在籍していたことはないよ。1994年にCULTUREを辞めてから、Matt Foxと俺とでSHAI HULUDを始めたんだ。9曲か10曲書いて、十分にライヴをやってから6曲入りのデモを作ったんだけど、それにRevelation Recordsが興味を示したんだ。でも、その時点のメンバーで続けていくのが困難であろうことは明らかだったから、俺は辞めて、Chad Gilbert(NEW FOUND GLORY)を彼らに推薦したんだ」
――その後MORNING AGAINへと加入されるわけですが、MORNING AGAINの結成ラインナップは大半がCULTUREに在籍していたメンバーですよね。音楽性はもちろん異なりますが、ご自身ではCULTUREとMORNING AGAINの違いは何だったと思われますか?
「CULTUREを辞めてすぐにJohn Wylieが違うバンドを一緒にやろうって誘ってくれたんだけど、そのとき俺はストレートエッジやヴィーガンのメッセージを持たないバンドがやりたいって主張したんだ。ライフスタイル自体に変わりはなかったけど、その手のバンドのシーンが行き過ぎになっていると感じていたから、それに対処しなければと思ったんだ。だから、俺がいた頃のMORNING AGAINとCULTUREの大きな違いは、そういうトピックを扱わなかったっていう点だね。MORNING AGAINは結局、俺が辞めた後にヴィーガン・ストレートエッジ・バンドになっていくんだけど」
――続いて在籍したBIRD OF ILL OMENは、かなり風変わりな音楽性のバンドでしたよね。当時はどんなサウンドを生み出そうとしていたのでしょうか。
「BIRD OF ILL OMENでは、カオティックで不定形な何かを本気で目指していたんだ。決してテクニカルではないけれど、異常で、ダークで、不快なやつ。BIRD OF ILL OMENでのライヴは、俺がこれまでやった中で一番めちゃくちゃだったと思うよ」
――BIRD OF ILL OMENのJoseph Simmonsさんと加わったAS FRIENDS RUSTでは、あなたのヴォーカル・スタイルがかなり変化しますよね。ああいう風に歌えるということに、ご自身で、いつ気付かれたのですか?個人的にはPhil Lynott(THIN LIZZY)を思わせるソウルフルな歌い口で大好きです。
「本当に!? 今まで聞いた俺のヴォーカルについての比較の中で、一番嬉しい意見だよ!ありがとう!どうやってこの歌い方を発見したのかは覚えてないんだけど、自然と音楽的にもっとメロディックなヴォーカルを求めていたから、やってみたんだ。スクリームするヴォーカルにちょっとうんざりしてたとこともあって」
――AS FRIENDS RUSTはそれまで在籍したバンドと比べて格段にメロディがキャッチーです。何か心境の変化があったのでしょうか。
「AS FRIENDS RUSTでは、よりパーソナルで、内省的なアプローチができるようになったんだと思う。俺たちは怒ったり、独善的であることに疲れていたし、休憩が必要だったんだよね。あまりグローバルではないトピックや、非難すべきでない対象に焦点を絞ることによって怒りのレベルを下げたのが、音楽的な変化に反映されているんじゃないかな。それでも俺たちにとってはハードコア・バンドだったんだよ。だから、DAG NASTYとかGORILLA BISCUITSみたいにメロディックなバンドを手がかりにはしたよね。メロディと、ファンな要素が欲しかったんだ。シリアスでも、若気の至りでもなく、自分に偽りのない感じでね」
――近年では、AS FRIENDS RUSTがさらにディープになったようなDAIMEN DONEのほかに、かなりシンプルなハードコアに寄せたON BODIESでも活動されていますし、SHAI HULUDの最新作にもゲスト参加されています。再び所謂ハードコアへの情熱を取り戻したのには何か理由があるのでしょうか。
「そうだね、SHAI HULUDの最新アルバムでゲスト・ヴォーカルとして少し歌ってる。DAMIEN DONEはAS FRIENDS RUSTが解散(2002)してすぐに始めたんだけど、リリースはまだ何もないんだよね。情熱や興奮は、2008年にやった1週間限りのAS FRIENDS RUSTリユニオンの時から戻ってきた気がする。やり残したことがたくさんあるのに気付いて、やらなきゃいけないって思ったんだ。ON BODIESは俺の一番新しいバンドなんだけど、すごく良いんだよ。ずっと友達だったCULTUREのRichとまた一緒にバンドができるっていうのが本当に嬉しい。俺が今までやってきたバンドの中で一番“ハードコア”なんじゃないかな。速くて、ギャング・コーラスがいっぱいあってさ。最高だよ」
――CULTUREの復活はディスコグラフィのリリースとタイミングを合わせてのものだったのでしょうか。
「逆かな?リユニオン・ショウのお誘いを受けた時に、未発表曲や廃盤になっている作品をまとめて出すのに良い機会かもしれないなって思ったんだ」
――現在のCULTUREはいかがですか?再びの活動は楽しい?
「楽しいよ。CULTUREは俺の心の中で重要な位置を占める存在だから……俺が初めてスタジオで録音をしたバンドだし、州外の大きなショウで初めてプレイしたバンドでもあるし、初めてのヨーロッパ・ツアーもそうだね。CULTUREというバンドで色んなことを学んだんだ。メンバーのことも大好きだしね。彼らとまた一緒にステージに立って歌えるなんて、本当に嬉しいよ」