波田野州平

波田野州平, 2012

“24時間自分”の絶対的不自由

 短編を中心に制作を続け、東京・立川に構えるアート・スペース「gallery SEPTIMA」の運営や、ライヴ映像シリーズ『Night People』、テニスコーツとJad Fair(HALF JAPANESE)のツアー・ドキュメンタリー『Enjoy Your Life』などの制作で音楽ファンにも知られる映像作家・波田野州平が、昨年初の長篇映画『TRAIL』をクランクアップ。役者としては全くの素人である画家・山口洋佑、ミュージシャン・三富栄治、詩人・藤本 徹を現実そのままのアートフォームと実名で主演に起用。チャンス・オペレーションとでも言うべき手法で撮影され、拡散と収斂が同時進行しながらも一貫した印象を残す一風変わった作品に仕上がっています。同作を制作した動機と過程について、波田野監督に伺いました。

※本稿には『TRAIL』のネタバレが多く含まれています。


取材・文 | 久保田千史 | 2013年6月

――映像作品はいつ頃から作られていたのでしょうか。
 「出身が鳥取県の倉吉っていうところなんですけど、高校を出てから東京に出てきて、一浪して国分寺で予備校に通って、上野毛にある大学の映像学科に入ったんですよ。そこで映像の勉強をして」

――学校で勉強されていたんですね。
 「そうですね。でも映像学科とは言っても、小説を書く人がいれば、ダンスや演劇やる人もいたり、現代アート寄りの人もいたりで、まあ基本何か表現すれば良い、みたいなところで。映像の機材は一応揃ってるんですけど。8mmとか16mmとか、フィルムが使えて。ちょうどメディア・アートみたいなものが出てきた時代だったんですけど、俺の通っていたところは元々夜間だったということもあってか、ちょっと雰囲気も暗くて、アングラっぽかったんですよ。だから先生も、実験映画の人が多くて。映画の技術とか映画史とかよりも“表現とは何か”みたいな授業が多かったんですよね。そこで実験映画とか、個人映画みたいな、所謂商業映画ではないものを知って」

――卒業してからは?
 「渋谷の映画館で映写技師のバイトをしていました。藤本(徹)くんとはそこで知り合いました。彼が受付をやっていたんですよ。当時の彼は髪が長くて、ほっそいズボンでヘナヘナしてて、ちょっとトガった感じだったんですけど。Bobby Gillespie(THE JESUS AND MARY CHAIN~PRIMAL SCREAM)みたいな(笑)。でも好きな音楽も近かったりで話が合って、仲良くなって」

波田野州平 'TRAIL', 2011

――彼はその頃から詩を書かれていたのですか?
 「彼は最初、音楽をやっていたんですけど、曲に言葉を載せるっていうのができなかったらしくて。どうしても言葉先行になっちゃうみたいなんですよ。だったら言葉だけにしたほうが良いと思って、という話はチラっと聞いてます」

――就職は考えていなかったのでしょうか。
 「しぶとく就職せずにがんばろうと思って(笑)、色んなバイトをしていました」

――あえてそうしてたんですか?
 「なんでだろう(笑)。俺の通っていた学科の就職率がとにかく低かったんですよ。みんな就職活動なんかしていなくて。たぶん先のことなんか考えてなくて、そういうところに逃げてるだけだと思うんですけど(笑)。それで色んなバイトを転々とをして。まあ今もバイトもしてるんですけど」

――映画の制作は継続されていたのでしょうか。
 「そうですね。ずっと自主制作で。まあ今回もほとんど自主制作なんですけど。短編を撮ったり、ライヴの映像を撮ったり。別に“やらなきゃ”っていう感じでもなく。撮るのを止めるとか止めないの問題じゃなくて、何かにつけ映画のことを考えちゃうんですよ。だからまあ、短編は結構作っていて」

――現在観られる作品は、YouTubeでも公開されている“Night People”シリーズや、テニスコーツとJad Fairのツアー・ドキュメンタリー『Enjoy Your Life』とか、音楽に関係したものが多いですよね。映画への入り口として、音楽の影響が大きかったとか?
 「そんなことはないです。音楽はすごく好きだから、自然とかな。でも、音楽の人たちって、なにかとみんな繋がってるじゃないですか。ツアーが組めるくらいに。俺はそれがすごいな、と思って。映画ではそういうことがないような気がしてたんです」

――たしかにそういうイメージないですね。
 「ね。なんか映画ってもっと、変な言い方だけど、バチバチしてるっていうか(笑)。そういう感じがちょっとしていて。俺が知らなくて、そこに居ないだけで、そんなことないのかもしれないですけど。音楽の人が、次は姫路でライヴ、じゃあ今度名古屋ね、みたいな感じで動けるのが羨ましくて。映画もそういう感じで作っていけたらなあ、って考えていたんです」

――バンドみたいな感じで。
 「そうそう。バンドワゴンじゃないけど、そういうのに憧れて」

――今回の映画の構想はいつ頃から?
 「アイディアというか、核みたいなもの自体はずっと昔からあったんです。たまたま鳥取の知り合いが、鳥取力創造運動支援補助金ていう県の助成金のことを教えてくれて。“鳥取力”をアピールできれば良いっていうアバウトな感じなんですけど(笑)。審査はなかなか厳しくて。それに通ってある程度予算に目処が付いたから、そろそろ長篇というものを作ってみようと」

――審査ではどんなプレゼンをされたんですか?
 「まあ、鳥取で撮ろうとは思っていたんですよ。別に選んでというわけではなくて、鳥取じゃなくても撮れたとは思うんです。自主制作なんていうのは、誰に頼まれるでもなく撮るわけじゃないですか(笑)。スポンサーがいるわけでもないし。だから結局自分の中にあるものを重視して」

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