INOYAMALAND

INOYAMALAND, 1983

ちょうどいい距離間に存在する国

 1983年に細野晴臣と高橋幸宏が主宰するYen Records(Alfa Records)から発表した1stアルバム『DANZINDAN-POJIDON』が日本における“早すぎたアンビエント作品”として伝説的に語り継がれ、巻上公一率いるヒカシューのファウンダーとしても知られる井上 誠と山下 康のシンセサイザー・デュオ、INOYAMALAND(イノヤマランド)。結成から30余年強が経過した現在も活動を続け、2010年代に入ってからもASUNA主宰レーベル・aotoaoの名物コンピレーション『Casiotone Compilation』などに参加していた同デュオは、ONEOHTRIX POINT NEVER、EMERALDSらの出現やシンセウェイヴ / ヴェイパーウェイヴの勃興による80sアンビエント / 環境音楽 / ニューエイジ・リヴァイヴァルから10年以上が経過した近年、Spencer Doran(VISIBLE CLOAKS)が監修した米Light In The Atticの話題作『Kankyō Ongaku(環境音楽)』への収録を筆頭に、さらなる脚光を浴びています。

 その貴重な音源群を、かつてTransonic Recordsのオーナーとして3rdアルバム『Music for Myxomycetes(変形菌のための音楽)』(1998)のリリースを手がけた永田一直が主宰するExT Recordingsが続々とリイシュー。巻上主宰劇団・ユリシーズの1977年公演のために制作され、INOYAMALANDひいてはヒカシュー結成のきっかけとなったサウンドトラック『COLLECTING NET』の初音源化を皮切りに、山下の従甥にあたる益子 樹によるミックス / リマスタリングでオリジナル・マルチトラックからデジタル化された『DANZINDAN-POJIDON』、環境音楽制作会社・Sound Process Designが運営し、芦川 聡、吉村 弘らの作品も手がけたレーベルCrescentから1997年に発表した2ndアルバム『INOYAMALAND』のリマスター版、未発表テイクやライヴ音源などを収録した2枚組のエクスパンデッド・エディションとなった『Music for Myxomycetes(変形菌のための音楽)』、さらには1977年秋から1978年夏までの短期間、井上・山下が中心の即興演奏集団として活動した原初のヒカシュー“PRE HIKASHU”による天井棧敷館でのライヴ音源も、Transonic Recordsからのリリース時(1998)とは異なる内容で発売されています。5月15日には、1978年から1984年にかけての“昭和期”ライヴ音源をコンパイルした『Live Archives 1978-1984 Showa』も発売予定。井上自ら執筆したライナーノーツ、岡田 崇、MATERIAL(CARRE)が手がけるニュー・デザインなど、それぞれ初出とは少しずつ異なるアーカイヴァルな仕上がり。井上・山下の愛着、永田のオリジナルに対する敬意も伝わる好シリーズです。


 これを記念して、本稿では井上・山下両氏に出会いから現在までの軌跡を振り返っていただくと共に、“INOYAMALAND”とは何なのかを改めて分析していただきました。シリーズのライナーノーツと併せてご一読ください。


1980年代、ニューウェイブとアンビエントのはざ間にはユニークな音楽があったのです。その時期にリリースされた日本の音楽が、今世界で聞かれるようになってきました。イノヤマランドはその中でも希少な音楽として、忘れられることなく今に至ります。今から35年前にリリースに関わったままでしたが、失われた宿題の提出には新鮮な驚きがありました。イノヤマランドという地方の、天気予報を聞いているような、奇妙な心地よさは今も変わりません。
――細野晴臣 2018年7月11日”
(『DANZINDAN-POJIDON』リイシューにあたって)

取材・文 | 久保田千史 | 2018年9月

――突然『COLLECTING NET』のような作品が出来上がるとは到底思えないので、それ以前の遍歴をお伺いしたいです。
山下 「だいぶ昔なんで、井上くんと僕とで記憶にズレがあるんだけど……(笑)。先に話すと、僕は1976年に、黙示体っていう劇団のスタッフをやっていたんですよ。黙示体の芝居は、知り合いが出演していたからArs Nova(アルス・ノーヴァ / 東京・阿佐ヶ谷)ってところに観に行ったことがあって。そこの音響スタッフの募集が“ぴあ”に載ってたんだけど、普通はなかなかそういうの載らないから、恐る恐る電話してね。座長(行田藤兵衛さん)と会うことになったんですよ。そこで“次回の芝居の準備ができているから、手伝ってください”って言われて」
井上 「ふ~ん」
山下 「そのときに藤兵衛さんがね、“うちにはすごい音響スタッフが揃ってる”って言うの。ひとりは膨大な量のエアチェックのテープを持っていて、もうひとりはとんでもなく高い楽器を持ってるって。後から考えれば、その膨大なテープを持ってるっていうのが……」
井上 「海琳(正道)くん(三田超人)?」
山下 「そうそう。高い楽器を持ってるのは井上くんのことだったんだよ」
井上 「あはは、黙示体のスタッフでもなんでもないじゃん。勝手にスタッフにされてたんだ(笑)」
山下 「そうそう(笑)。それは、その芝居に役者として出てた巻上(公一)くんが、藤兵衛さんに吹き込んだネタだったんだよね」
井上 「それを藤兵衛さんが、知り合いの知り合いは全部俺のスタッフ、みたいに(笑)?」
山下 「そんな感じ(笑)。それで数日後に事務所に行ったら早速“歌が1曲欲しいから作ってくれ”って言われたんですよ。歌詞を黙示体の脚本家だった花輪あやさんが書いていて、メインテーマになる曲だったから、これはすごいな、って思って。そのとき、練習が終わって事務所に戻ってきた人たちの中に、巻上くんがいたんですよ。“役者です”って紹介されて、何気なく話してたら、Brian Enoの話になって。僕もEno大好きだから盛り上がってさ」
井上 「巻上くんはその頃、ROXY MUSICのファンクラブの会長だったんだよね(笑)」
山下 「うん(笑)。それから少し経って曲が出来たからカラオケを録音することになって、そのときに井上くんに会って……」
井上 「いやっ、それは山下さんの記憶違いだよ。僕、その演奏に参加してないもん」
山下 「うん、演奏には参加してない。井上くんの楽器を借りて、僕が弾いたわけ」
井上 「ひょっとしたら挨拶くらいはしたかもしれないけど、会ってもいないかもしれない」
山下 「会ったって!井上くんのCrumarを借りたんだもん」
井上 「巻上くんが来て持っていった記憶はあるんだけど……まあいいや(笑)。それだけ短期間に色々あったっていうことだよね」
山下 「そうそう。僕が劇団のスタッフになってから、井上くんとセッションするまでにはそんなに間がないんだよ」

INOYAMALAND

井上 「思い出した。僕はその頃、東京キッドブラザースっていう劇団で舞台監督をやっていたんですよ。それで巻上くんが持っていたWurlitzerのエレピをキッドに貸してもらったりしていたんですけど、一旦返してくれって言われて、キッドの事務所から練馬まで返しに行ったんだ。……練馬で録音したでしょ?」
山下 「練馬はリハーサルかな?録音は西荻窪のスタジオでやったから。Crumarを借りに行ったときに井上くんもいて、そこにメロトロンがあったんだよ」
井上 「もうメロトロンあった?」
山下 「あった。そのとき井上くんがいきなり、Robert Wyattの曲を弾き始めたの」
井上 「“O Caroline”?」
山下 「そう。それで、こいつちょっと只者じゃないな、って思ったんだよ(笑)」
井上 「もし『ゴジラ』の曲を弾いていたら、今の関係はなかったわけね(笑)。それが初対面だったの?」
山下 「うん、たぶんね。井上くんはカラオケの演奏には入ってないけど、芝居には舞台美術で参加してたんだよね」
井上 「うん、幅6mの巨大な龍の屏風絵を描いた。19歳か20歳の頃だよね」

――黙示体の劇中曲を作る以前にも、作曲の経験はあったんですか?
山下 「僕は小学生の頃から友達とバンドをやってたわけ。最初はカレッジ・フォークから始めて。マイク眞木みたいなのとか。そこからすぐにジャズに興味が移って」
井上 「でも編成はフォークのままなんだよね。アヴァンギャルド・フォークになっちゃう(笑)」
山下 「フリー・ジャズも好きになるんだけど、ジャズもどきのセッションをやるきっかけになったのはね、Antônio Carlos Jobimだったの。“イパネマの娘”にいたく感動して。ジャズ・セッションといっても、インチキなやつなんだけどさ(笑)。こないだ、その頃の友達の家に50年ぶりに遊びに行ったら、“山下、こんなの出てきた”ってテープを聴かせてくれたんだよ。中学2年のときのセッションを録音したやつ。彼はドラムで、ドラムっていうかスネアとハイハット。あとギターと足踏オルガン、リコーダーだけで“イパネマの娘”を演奏してるの。リコーダーで入って、途中でサビが難しいからラララって口でやって、そこから足踏オルガンでアドリブになるんだけど、それをやってるのが僕らしいんだ(笑)。記憶にないんだけどさ、彼が“どう考えても山下しかありえない”って言うの」
井上 「それは破壊力すごそうだね(笑)」
山下 「ところがね、今と全然変わってない(笑)」
井上 「わかるわかる(笑)」
山下 「本当に、全く、何も変わってない(笑)。この頃にもう、こういうことをやってたのか……って思ったよ」
井上 「それもCD出しましょうよ(笑)」

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INOYAMALAND ‘COLLECTING NET

――(笑)。井上さんは『COLLECTING NET』以前から、演奏はされていたのでしょうか。
井上 「いや、演奏らしい演奏はやっていなくて、最初はメカニックへの関心から電子楽器が好きになったんですよ。東京キッドは生のロック・バンドが芝居のバックで演奏するスタイルだったから、楽器のセッティングの手伝いをするようになって、楽器のことや音響のノウハウなんかを色々勉強したんです。そういう中で、東京キッドがメロトロンを使い始めるんですけど、これはすごくおもしろい楽器だ!って惹かれていって。演奏したい楽器というよりは、中に録音したテープが入っていて、それを再生するっていう構造がね、魔法の箱みたいに感じたんです。でもメロトロンは定価で100万円くらいする高嶺の花だったから、僕は最初、安いCrumarっていうメーカーのストリングス・キーボードを買いました。その後、巻上くんたちと練馬で共同生活を始めた頃に、新品のメロトロンがものすごい安値で売られていることを知って即座に購入したんです。どうやらその頃に山下さんと知り合ったようですね。それからRolandが普及タイプのパッチ式システム・シンセサイザーを出してくれたので、それも手に入れて。当時、東京キッドは大きな仕事もしていたからギャラは良かったんです。シンセを買ったのも、波形をいじって色んな音が出るっていう機械的なおもしろさからですね。鍵盤を弾くというよりはパッチをグニュグニュやって遊ぶみたいな。おもしろくて仕方がなかった。そんなことをやっていたら、イギリスのプロのバンドにもそういうシンセ弾きがいるらしいって話を耳にして。巻上くんに教えてもらったROXY MUSICにいる人だってわかったんです。その人は最初、“エノ”って呼ばれてたんですよ」

――“エノ”?? ああ~(笑)。
山下 「そうだよね、日本盤のオビには“エノ”って書いてあったよね(笑)」
井上 「そう、そのエノさんっていう(笑)、派手なお化粧をした、オジさんだかオバさんだかわからない人が、どうやら鍵盤を弾かずにグニュグニュやって変な音しか出さない、変な人らしいって知るわけです。それで興味を持つようになってからすぐに、安斎儒理さんていう、エノのファンクラブをやっている女性とも知り合って。だから、シンセを手に入れて最初に録音したテープが実は今でも残ってるんですけど、いきなりグニャグニャ。良く言えばアヴァンギャルド。ただただ変な音を出して遊んでいるだけ、みたいな。そこから少しずつ曲になっていったんですね。演奏から始めるのとは逆のパターンだったんです」
山下 「実は僕ね、初めて巻上くんと会った日の数日後に、今話に出てきた儒理さんの家に電話をかけてるんですよ。音楽雑誌の一番後ろの、メンバー募集みたいなところに、“Enoのファンクラブを始めたいと思います”みたいなのが載ってて」