一種の、世界への抵抗
取材・文 | 久保田千史 | 2018年7月
main photo | ©Takehiro Goto 後藤武浩
――大学で環境学を学ばれていたという経歴が気になっているんですけど、具体的にどんな内容だったんですか?
「最初に言っておくと、真面目な生徒ではなかったんですよ(笑)。論文書いたり、授業もしっかり出席するような学生ではなくて(笑)。もちろん興味があることに関しては、本を読んだり、実際にリサーチなどもしていたんですけど、熱心に勉強していたというよりは、ひたすらインプットする感じでした。僕9月11日生まれなんですけど、ちょうど高校3年生の時の誕生日にNYのテロがあって。高校生の時って、政治や社会の仕組みに興味を持ち始めたりはすると思うんですけど、自分が物心ついてからテロのように大きな出来事はなかったんですね。そこから、なんでこんなことが起こっちゃったんだ、なんで世界はこうなってるのか、っていうのを調べ出したのが始まりでもあります。そういった関心から、環境問題と欧米の中東問題にも繋がってきます」
――“戦争経済”みたいな話ですね。
「まあ、そうですね。環境学と言っても、僕の専攻していたのは経済学の中での環境学なので、地球温暖化やリサイクルなどの環境問題を考えていくものなんです。最初はマルクス(Karl Heinrich Marx)から入っていったんですけど、数学的な側面より思想的な側面に興味があったんですね。環境経済学は、経済も環境の変化をリスクヘッジしつつ、経済を成立させようという論説が当時のトレンドだったんです。営利企業にとってのムダな要素、なんでこんなことしなきゃいけないの?みたいな余剰がないとダメだよね、っていうのが叫ばれ始めた時期で。今考えると、企業がアートに対して行っているメセナ事業とも考え方は近しいのかな、とも思ってます。現在はもっと進んでいるんだと思いますよ。そこに流れるように辿り着いた感じです」
――そこでの経験は音楽活動に繋がってゆくんですか?
「フィールドレコーダーとかカメラとか色々持って、フィールドワークしに行くんですよ。別に自然音の採取のために森の中へ行くわけじゃなくて、都市だったり、特定の場所に行って変化を調べるという、観察に近いです。それがきっかけですね。Chris Watson(CABARET VOLTAIRE, THE HAFLER TRIO)のようなフィールドレコーディングの作品が好きだったから、録音したものを音響的に解釈すると作品になる、っていうことは、なんとなく頭ではわかっていたんですよ。なので、そういった自然音というのも、人間が捉えることで音楽になるんだなぁ、って思っちゃってました」
――僕らの世代はわりと自然にそうなりがちですよね。
「うん。そもそも、(Raymond)Murray Schafer的な“サウンドスケープ”の考え方に興味があったので、そういう側面でもたぶん、フィールドワークすること自体に興味を持っていました。でも、バンドを組んだり、音を作ったりはしていなくて。レコード屋さんでアルバイトしてたくらいなんで、単純に自分が知らない音楽に興味があったのは間違いないですね」
――フィールドレコーディングの古典みたいな作品て、音楽というよりも美術、学術の側面で制作されたり、紹介されたりするものも多いじゃないですか。蓮沼さんは最初から“音楽”として接していたということですね。
「そうですね。当時の僕の耳の認識では、“音楽”というより“音響”に近いですかね。今の思考で考えると、レコーディングされた音自体はもう音楽だと認識しています。もちろん、所謂ポップスのような音楽とは違いますけどね」
――そういう、音響作品と平行して聴いていたような音楽はありますか?
「う~ん、インディペンデントな音楽とか、ブラック・ミュージックがすごく好きでした。その時々の新譜も。新譜チェックは今でも続いてますし」
――当時のブラック・ミュージックっていうとなんでしょ。COMPANY FLOWとか?
「COMPANY FLOWもそうですけど、もうちょっと後の、西海岸のインディ・ヒップホップとかですかね。Anticonも流行ってましたし。でも、ブラック・ミュージックに限らず一通りは聴いてました。USインディみたいなロックも。そういうのって、ルーツを掘ってゆくとだいたいソウルミュージックまたはハードコアパンクになるじゃないですか。さらに掘ると急にノイズとか現代音楽に繋がったりして。その辺りの音楽を少しずつ深めていった感じです」
――例えばフィールドレコーディング作品が好きになるきっかけって、ロック・バンド作品のイントロで使われてたとか、音が似てた、とかだったりしますよね。
「そうですよね。石橋英子さんの新譜(『The Dream My Bones Dream』2018, felicity)で、踏切と電車の音から始まる曲があって、その音がすごく綺麗に録れている上に、音楽的にも素晴らしかったです。所謂フィールドレコーディングから曲に入っていくんですね。よく聴いてます」
――あっ、やっぱり“綺麗に録れている”とか、好きなポイントとしてあるんですか。
「それも当然あります。ちょっと話が飛んじゃうんですけど、ブルックリンにUnionDocsっていうドキュメンタリーフィルムのインスティテュートがあって、去年そこの”Sound Ethnographies”というタイトルのワークショップに参加したんですよ。 “音の民俗学”みたいな内容で、フィールドレコーディングを扱うのが多かったんですけど、“最近のトレンドはナラティヴなんだ”って言うんですね(笑)」
――ああ、フィールドレコーディングのトレンドとして。
「そう。ひとつの世界でもトレンドがあるんですよね。音の良さとか、響きやドキュメントの要素だけではなく、フィールドレコーディングの音として“どう物語を作るか”というアプローチも多く採られているんですね」
――たしかに、フィールドレコーディングに限らず、昨今はより分かり易さが好まれているようには感じます。“難解なの聴いてるほうがかっこいい”みたいな時代もあったと思うんですけど(笑)。
「そうですね。僕はChris Watsonとかはポップな音楽のように聴いちゃってましたけど(笑)。実際に音の広がりも気持ちよくて、聴き易いですよね」
――ポップの捉え方も日々変化しますしね。
「そうですよね、それは更新されてゆくと思います。おもしろいですよね。それこそ(筆者が着ているTシャツを指して)ONEOHTRIX POINT NEVERですら、最新鋭のポップって言われるんですから」
――Daniel Lopatinはそういう変化に対してかなり意識的な感じがします。ただ、No FunとかMegoの頃を考えると、今の人気ぶりはすごいですよね(笑)。
「本当ですよ。まさかあんなになるとは思ってなかったです(笑)」
――でもまあ、我々はノイズ、即興からアンビエントまで、だいたいポップとして捉えられる時代に生きたわけじゃないですか。だから、今回のポップなアルバムに収録されている「off-site」という曲は、あのOff Siteのことを指しているのではないかと思っちゃって(笑)。
「あのOff Siteって、Optrumとかで活躍されてる伊東(篤宏)さんのOff Site(東京・代々木 / 2005年閉店)ですか。もちろんオンタイムで行ったことはあって、パフォーマンスも観ていました。この曲も変わった曲ですけど、伊東さんの活動のことを考えて作った曲ではないです。ラップしているのは環(ROY)さんなんですけど、リリックのコンセプトを僕が書いて、環さんがリライトしてラップをしています。去年NYにいる間、ずっとノートに散文を書き溜めていたんですね。僕自身が移民として生活する中で、毎日のように移民問題がニュースになることだったり、生活の中で感じたことを記した散文だったんですけど、そういうものを環さんに渡して出来たのが“off-Site”なんです。素晴らしいリリックだな、って思ってます」
――なるほど。でも、伊東さんのOff Siteも産業としての音楽からしたら、ある種イミグラントみたいな立場だし、リンクしてるんだな~って今、勝手に思っちゃいました(笑)。
「あぁ!言われてみると、たしかにそうですね。新しい視点ですね」
――OPNもそうですけど、蓮沼さんみたいにそういうアウトサイドなシーンを経験された方が今、おじいちゃんおばあちゃんも聴けるであろうポップミュージックを作っているというのは、どういうことなんでしょうね。
「どういうことなんでしょうね……。フィルに関して言えば、僕のエゴというよりも、メンバー全員が自由に存在できるためにはどういう音楽が良いか、みたいなことをずっと考えて作っているんですよ。僕が作曲するから、当然僕の音楽として存在するんですけど、あれを弾きなさい、これを弾きなさい、って僕の意思に絶対的に従えるような仕組みではないです。譜面や演奏のインストラクションというルールを渡した上で、どうやったらのびのびと存在して、活き活きと生きられるか、みたいなことを考えてやっています。おじいちゃんみたいな言い方しちゃいましたけど(笑)。集団で音楽をやるための“考え方”ですね。それがメンバー全員に対してできているかは僕もまだわかりませんが、メンバーが共有する僕の考え方は繋がってはいると思います。ただ僕は飽き性で、我慢もあまりできないし、頑固者タイプなので、生楽器のフィルばかりで活動していると、シンセサイザーで音を作りたいなあ、とか、環境音を録りに行ったりしたいなぁ、とか思ったりもしますね(笑)。どうしようもないですね」
――あっ、でも「4O」には808が入ってますよね。あれはデトロイトテクノをイメージしているのか、フットワークをイメージしてるのか……(笑)。
「あはは(笑)。今回のアルバムのインタビューで初めて”フットワーク”という言葉が出ました!結果そうなってる感じで、どちらも意識してないです。ただこの曲は音楽的にチャレンジした曲で、フィルで初めてシンセサイザーとリズムマシンを導入した曲なんですよ。ツインドラムのリズム隊にRoland TR-808が入って3つのリズムが絡まることで、複雑なリズムを組んでいる曲ですね」
――多角的な発想を並列に持った上で、それらとは全く異なる作曲をする人って、なかなかいない気がします。
「そうですかね?ジャズのコレクティヴだったり、90年代のシカゴ周りのポストロックやハードコアのシーンには存在していた印象ありますけどね。消費される音楽や、経済のためではない音楽を続けてきている結果ですね(笑)」
――でも、フィルだとメンバーたくさんいるから、みんなにギャラも払わなきゃいけないし……。
「メンバーで等分をする明瞭精算です(笑)」
――それに、“音楽の売り方”にも拘りを持っているように感じます。フィルは“集合知”のイメージでやっていらっしゃるそうですが、集合知を謳うタイプの人って、音源や素材をフリーでアウトプットしたり、MVをがんがん作ってアルバム全曲聴けるようにしちゃったりするケースが多い気がするんですよ。でも蓮沼さんは、パッケージを売ることに注力していらっしゃいますよね。
「注力しています」
――どうしてなんでしょう。
「う~ん、僕はレコードやCDに触れ合って育ってきたから、まず前提としてそういう意思があります」
――それは分かり易いです。
「うん。かといってSpotifyとかApple Musicみたいなものを否定しているわけでもなくて。普段も新しい音楽を聴いたりします。聴きたい曲が入ってないと嫌だなあ、なんて思う時もありますから。それこそヒップホップの新譜とか入ってないと、えっ?なんで入ってないの!て思っちゃう。だから、サブスクリプションはやらないでCDを届けたい、みたいな話ではないんですよ。ただ、これは音楽パッケージを届ける流通の話でもあって、経済の話にも繋がります。マーケットの場所や環境だったり、流通される音楽のジャンルにもよりますよね。そういうことを細かく考えていくことも大切ですが、そこまでストラテジーを立てて進めるわけではないです。本当に色んな人に聴いてもらいたいと思うならサブスクリプションでの配信も進めるべきだし、日本の場合はCDを所有したい人も多いし、面白い環境ですよね。なので、僕はできる限りのことを丁寧にやって、届けられる人に届けていきたい、と考えてます。だからこそパッケージにも拘るというか」
――それって、アルバムデビューの当初からそういう気持ちですか。
「そうですね。2006年はまだ、配信メインではなかったですけどね。iTunesはギリギリあったかな?新しいメディアやプラットフォームに対して僕は懐疑的ではないので、まずは自分でも試してみたいと思ってます」
――録音物を複数のメディアで不特定多数に届けるにあたって、理想とするリスニング環境とかってありますか?
「う~ん、これは意見が色々あると思うんですけど、僕はなんでもいいんじゃないかなぁ、って思ってます。でも、悪い音環境でもいいよ、っていう意味ではないです。理想的には、僕はハイレゾリューションで聴くのが好みです。蓮沼フィルの生楽器の構成は、ハイレゾリューションと相性が良いんですよ。自分の楽曲以外でも、ヴァイナルで聴くことも当然あるんですけど、ヴァイナルだって、カートリッジやアンプなどが変わるだけで全然音が変わってしまいます。電源を変えるだけでも変化するし、時間帯によっても音が変化します。聴く人のコンディションだって異なるから、同じ音環境は存在しないんですよね。なので、リスニング環境は各々が良いと思ったもの、自由でいいと思うんです。生活していて小さいラジオデッキから流れてくる感じもその人の音楽環境ですし、スマートフォンでBluetoothのイヤフォンを使って外を歩きながら音楽を聴くのも良いです。どう思います?」
――僕もそうですね。何でもいいです。何でもいいというか、音楽によって聴きたいフォーマットが違うかもしれないです。ジャンルやスタイルによってもそうですし、最初に聴いた思い出とか、思い入れにも左右されると思います。
「そうですね。フォーマットに即した音楽ってあるかもしれないですよね。おもしろいもので、僕は現代音楽とか20世紀のクラシカル音楽は、あまりSpotifyで聴く気になれないんですね」
――そうそう、聴く気になれるか、なれないか、みたいな。
「ですよね。聴く気になれない理由は、結局自分が持っているCDとかヴァイナルで聴くことが多いから、ということもあるのかもしれないですけど。でもまあ、ソウルミュージックや90年代のヒップホップは全然Spotifyでも聴けますね」
――90sヒップホップだったら、僕けっこうヴァイナルじゃないとダメかも(笑)。でも初聴がCDだったりすると、CDで聴くほうが好きだったりもします。最初にCDで好きになった音楽をハイレゾで聴くと、疲れちゃったりするし。
「音の情報量が多過ぎると、耳に負担がかかり過ぎちゃうんでしょうね。録音物としての情報量が。今回はヴァイナル、CD、ハイレゾの3タイプを作りました。マスタリングもフォーマット毎に行いましたし」
――考え過ぎても、音楽家の負担が増えるばかりですしね。3フォーマット作るだけでも大変じゃないですか?マスターひとつ作るだけでも大変なのに。
「大変ですよね。でも、音に携わることは楽しいですよ!2年くらい前に、Sound & Recording Magazineの主催でハイレゾの公開レコーディング(”HIGH RESOLUTION FESTIVAL” at SPIRAL)をやったんです。真ん中にバイノーラルマイクを立てて、360度で録音して。それを聴いてもらうためにコンバートしてゆくわけですけど、何通りかダウンコーンバートの方法があって、試してみるとひとつひとつ音が違うんですよ。その時はそういう耳で集中して聴いてるので、自分の耳の解像度が高くなっているということもあるんですけど、“このヴァージョンは高音が少しだけ潰れてるね!”とか、かなり微細な変化がわかったりしました。通常のポップスのような音楽で、そこまでの解像度が必要かはわかりません。方や、ヴァイナルだって、プレス工場が違ったり、カッティングマシンの針の調子ひとつで音が変わってきます。生き物みたいなものですからね」
――そうなると、原音という意味でライヴに視点が移る人もいると思うんですけど、ライヴと録音物の関係ってどう考えていらっしゃいますか?
「基本的には全くアプローチが違いますけど、同じ音楽なので気持ちは一緒です。拡大解釈でもありますけど、録音物だってリスナーに渡って再生された時点で、ライヴ空間になると思ってるんです。各々の環境で再生されるっていうは、その時間と空間でのライヴですよね。音の響きとかそういうことではなくて、記録された複製物にもアウラが存在しているのではないのか?と問い直していく必要はあると思ってます。ベンヤミン(Walter Benjamin)は怒ると思いますけど(笑)。制作者として現代に生きる作家は常に環境が変わる中で、過去の研究に対して受け入れるだけではなくて、問い直していく作業もとても大切です」
――気持ち、ですか。蓮沼さんて、勝手に思ってたよりもずっとエモい人なんですね。もっとスクエアな人かと思ってました(笑)。
「それ、本当によく言われますね。なんでそうなっちゃうんだろ(笑)。あまり外に出て社交してないからなのかな……」
――(笑)。
「まあ、それとはちょっと違った考えでのライヴだと、フィルに関して言えば、葛西(敏彦)さんというエンジニアもメンバーです。葛西さんは僕らのライヴの出音も作るし、レコーディングも彼がマイキングからミックスまで行なっています。彼に話を聞いたらおもしろいかもしれないですね。僕にも思想はあるけど、葛西さんも技術的なアプローチの方法がたくさんあると思います。フィルは色々な環境で演奏をするので、ライヴハウスのような場所ではなくて、本当に何もない空っぽな箱のようなところに、サウンドシステムを持ち込んでやることもありますね」
――どんな会場でも対応できるというのは、それこそOff Siteみたいな場を経験しているからと言えそうですね。フィルって大人数ですけど、めちゃくちゃスモールな会場でもやれそうですし。
「それは本当そうですね。先輩たちの影響はあります。様々なアーティストの試みから影響を受けて、今の自分の発想が作られているはずです。メンバーの大谷能生やイトケンさんから学ぶことも多いですし、伊東さんたちとも繋がっていますよね。たくさん勉強させてもらっています」
――そういう先輩が近くにいるのは心強いですね。でも、僕が蓮沼さんの音楽に初めて触れたのは『POP OOGA』(2008, HEADZ)だったのですが、その時はとても孤独な印象を受けたんですよ。
「あー、そうですか。実際そうですよね。作品の中でゲストはいませんし、すべて独りで作り上げたアルバムですからね」
――でも、今はこんなにたくさんの仲間に囲まれて。
「友達が増えたっていう……」
――単純にそういうことなんですかね(笑)。
「『POP OOGA』を作ってから、自分独りでは満足するライヴ・パフォーマンスができなくなってしまったんです。そもそも僕は、人生で初めてアルバムを制作した時だって、まさか自分がライヴをやるようになるとは思っていなかったんですよ。当時は、大学を卒業して、特に何もしてなかったので、毎日ずっと音楽を作ってたんです。ガンガン電子音のパッチ書いたりして音を作って(笑)。そういう作業の毎日で、まずは音源ありきで制作していたので、ライヴのことを考えていなかったんですよね。僕はやっぱり、演奏することではなくて、録音物を作るところから自分のキャリアが始まってるんです。“レコードを作ったのに何でライヴやらないの?”と多くの人に言われてですね。あぁ、そっか、ライヴしなきゃ……と思って(笑)。音源をどうやってライヴにしてゆくか、みたいなことを考えて、完全に独りで作った録音物『POP OOGA』を全部生演奏に置き換えて演奏しようと思ったんです。それが『wannapunch!』(2010, HEADZ)というアルバムに繋がって、蓮沼執太チームを作りました。それがフィルの前身ですね」
――そこで良い感触を得たから、それ用に曲を書き始めたということ?
「その通りです。バンドのためだけの曲を書くようになっていきます。楽曲制作の目標が変わっていくんですよね」
――めちゃくちゃ自然ですね。
「とても自然ですよ。こうなりたい、こうやりたいっていう青写真を作ってから、よしやるぞ!みたいな感じではないですね。どちらかというと、制約がある中で、仕方ないから、みたいな感じも多いです(笑)。でも、制約がある中での制作は色々な部分が鍛えられます」
――でもフィルは、“やりたいこと”が先にあるようなイメージもあります。
「その時々のコンセプトによってアプローチは異なるかもしれないです。蓮沼フィル結成のきっかけは、Oval(Markus Popp)が来日した時に、蓮沼チームのバンド編成に管弦楽器を増やした編成でライヴにしてくれない?というオファーからだったんです」
――HEADZのオファーで。
「そうです。佐々木 敦さんに言われて。その時に“蓮沼フィル”っていう名前をつけたんです。でもそのライヴは、満足できるようなリハーサルを組めなくて、惨憺たる結果だったんです。それがとても悔しくて。そして、翌年に“ニューイヤーコンサート”っていうのをVACANT(東京・原宿)でやったんです。その公演に手応えを感じて、これは可能性がある、と思ってゆっくり続けていこうとしました。だから、仕方なく、というよりは前向きかもしれないですね」
――蓮沼さんてバンド編制の時、“バンド”と呼ばずに“チーム”って呼称しますよね。
「そうですね、今は便宜上“バンド”って言いましたけど」
――それはどういった理由からなんでしょう。
「なんでしょう……。別にバンドじゃないなぁ……って思ってましたからね、当時」
――どういう意味において?
「えっ、なんか“蓮沼バンド”とか嫌じゃないですか(笑)」
――そういう理由(笑)。
「ネーミングのニュアンスもあるし、2ドラム、2ギターに僕で、所謂“バンド”と呼ばれる編成ではないんですよね。僕のイメージでは、“バンド”の基本構成はギター、ベース、ドラムがいる、例えばTHE BEATLESのスタイルであるべきだと思うんですよ。蓮沼フィルにおいても、いわゆる西洋音楽的なフィルハーモニック・オーケストラではないのに、自分流の編成であることで“フィル”って呼んでるのと同じ発想だと思います」
――“バンド”だと“運命共同体”みたいだけど、“チーム”だと出入り自由みたいな、そういうイメージなのかな?って思ってました。
「たしかに。そういう一面もあると思います。“運命共同体”という発想も、音楽業界が作り上げている虚構に思えたりもしますよね。でもチームのみんなとは、今もフィルのメンバーとして一緒に音楽をやっています。イトケンさん、Jimanica、サイちゃん(斉藤亮輔)、石塚くん(石塚周太 / detune.)」
――そうですよね。だから、“チーム”と呼ぶことによって、持続する力も生まれるのかな?っていう気もして。
「う~ん……。例えば、“将来こうしたい”みたいな話をすると思うんですけど、僕はあまりそういう未来予想図を持ってないんですね。そもそも“将来こうしたい”っていうのがないために、その都度その都度、“今”が大切なんだ、というアプローチでやっていて。だからみんなも協力してくれるのかもしれないです」
――さっきおっしゃっていたように、“あれ弾け、これ弾け”じゃなくて、各々の変化を善しとしているところも“チーム”っぽいです。
「“あれ弾け、これ弾け”は僕の活動においては、できないですね。仮に、オーケストラ団体の委嘱みたいなことがあったらチャレンジしたいですし、そういった場面では僕とミュージシャンの関係性も異なりますよね。フィルの場合、これだけ弾いとけ!というトップダウン型の指示をすること自体が僕には想像できないです。それは僕がそうしているというよりは、メンバーがそうさせてくれているのかもしれない。メンバーの存在感、キャラクターや音楽性がユニークなんですよね。それらは自由に存在している形が一番しっくりくるんだと思います」
――なるほど。“チーム”と呼ぶ感覚には、人が入れ替わっても蓮沼さんの曲は生き続けるみたいな意味も含まれているのかと思っていたのですが、違うっぽいですね。それぞれが大事で、替えが効かないというか。
「そうですね。『アントロポセン』では、当て書きというか、より意識的に演奏するメンバーに対して作曲していきました」
――それはすごく“バンド”っぽいですね。
「まあね、それは“バンド”かもしれないですね。でもやっぱり“運命共同体”ではないかな(笑)。1日のスケジュールのために集まって、終わったらバラバラになって帰ってゆく感じなんです。さっぱりしています。僕にはそれがけっこう魅力的ですね。例えば、コンサートをわくわく楽しみにして、ある一夜に観に行って、ああ良かったね、って家に帰るみたいな。それくらいの出来事でいいじゃないですか。音楽を聴く側も演奏する側もそれくらいの方がいい。運命共同体で、世界取るぞ!とか、売れるぞ!みたい考え方は、やっぱり経済の話ですよね。本質的に音楽の話ではないですよ」
――そっかー、なるほど。おもしろい(笑)。
「もちろん、そうも言ってられない場合があるのもよくわかりますけど。リスナーに聴いてもらって初めて音楽が人に繋がるわけですから」
――フィルって、曲作りにあたってメンバーとの意見交換とかあるんしょうか。
「ありますよ。もちろん」
――それもちゃんと“バンド”っぽいですね。
「譜面は書いてますけどね。もちろん譜面を使わない人もいるんで、そういう人には録音した状態のものを渡して。デモも作ります。譜面作りのプロではないので、完成度は低いかもしれないですけど、譜面を基にデモ音源を聴きながら頭に入れて、じゃあ練習してみましょう、みたいな感じが最近のベーシックなスタイルになってます」
――ある程度の骨子はあるにせよ、みんなガチで自由にやっているのかと思ってました。
「それはないですね。あるフレームだけ作って、そこの部分は自由に、良い感じにしてください、というアプローチはやってないですね。その方法の良い部分と悪い部分は、はっきりしています。良い部分は演奏家の多様性を認める意味でもあるし、作曲家が中心から外れる環境を作ることで、作曲家にとって偶然性が生まれます。悪い部分は、その偶然を自分の音楽に取り入れて搾取に近いような状況を作ってしまう。劇伴などで、本当に時間がないようなレコーディングで行われたりもしますけど、僕は今の蓮沼フィルの状態で、すべてセッション的な自由を渡すことはしないですね。細かいアーティキュレーションの判断を相談して決めていったりはします」
――えーっ、そこまでプレイヤーのことを考えてくれるコンポーザーって……他にいるんですかね?
「いると思いますよ」
――でも、“自由にやってください”が搾取に価するって考えられるというのは、良いコンポーザー、良い関係性ですね。
「複数の人間でものを作り上げる時に、搾取にならないように、注意深く制作を進めていくのには意識的です。もちろん人数が多くなればなるほど、難しい作業になっていきますよね」
――そうなんですね。それによって蓮沼執太という人物よりも曲や演奏が先行している部分と、逆に蓮沼執太という人物がクローズアップされる部分が並走しているような気がしておもしろいです。
「ああ。特に蓮沼フィルでは、僕の名前に“フィル”が付いているんですけど、できる限り自分が中心にいない方法を考えたりしています」
――蓮沼さんは、ご自身で作曲された曲について、“蓮沼執太の作品です”というシグニチャを欲するタイプ?それとも個を消して作品のみでの評価を欲するタイプ?
「う~ん……まず、前提として名前が“残ってしまう”っていうのがありますよね。残ってしまうし、仮に名前を入れなくても、その音楽が流れた時に残り香みたいなものが入っていればいいかな、と思うタイプですね。例えば武満(徹)さんの音楽を聴いていて、あっ、これは武満トーンだ、と思うような感じ。ずっと同じ機材だけを使って、いつまでも変わらない作品を作り続けていく作家ではないですね。その時々の自分の関心だったり、世界の変化に合わせて作品をどう作るのか、というのが僕の活動です。その上で、独りで作った電子音や生演奏でのフィルであっても、一貫した残り香が生まれるといいなと思っています。それが“蓮沼印”みたいなものにならなくてもいいですね」
――蓮沼さんの手を離れた楽曲が、他人の手で演奏されても“蓮沼印”だと確認できるかどうか、フィルで実験しているとかは(笑)?
「ないない、そんなの全然実験していないです。すごく正直なこと言うと、僕がソロで作った音楽は、完成した瞬間に全く聴かなくなっちゃうんですよ。完成までにはたくさん聴くんですけど。でも、U-zhaanと一緒に作ったアルバム『2 Tone』は、完成した今でも聴けるんです。それはたぶん、U-zhaanの成分がアルバムに半分あるからだと思うんですよ。フィルに関してもずっと聴ける。つまり音盤に自分の要素が少ないと聴けるみたいなんです。自分印100%の音楽は完成した後はもう聴けない。フィルだと16人分のメンバーの要素が入ってると思っているんです。メンバーによっては、“ミュージシャンとして音源に参加した”くらいの気持ちで思い入れもないかもしれませんけど(笑)。それでも僕としては16人分の顔が見えるようなアルバムを志して、自分もその1/16だって思えるんです。自分のソロアルバムだと、完成したと同時に作品が親元を巣立っていくような気持ちになるんですね。なので、そもそも作品と自分が切れてるんだと思います」
――例えば、ある種の民謡みたいに、テキストでは作曲者のシグニチャが完全に喪失している音楽ってあるじゃないですか。それが口頭伝承だったりするわけです。つまり旋律だけが残るわけですよね。近年の蓮沼さんのモードが、『メロディーズ』にせよ、フィルにせよ、旋律を主体にした音楽になっているのは、そういう存在への憧憬もあるのかな、って気がして。
「なるほどね、そうですね……。そうなればいいな、っていう部分もありますけど、まだできていないとも思っています。旋律を主体とした音楽作曲という視点では、口頭伝承で引き継がれていくという考えよりも、演奏家の各々が主旋律を持つことで音楽的な主役を作らない、という意味合いが込められています。メロディやリズムの複雑さの追求だったり、既存の音楽の文法を壊して新しい音楽を作ることが目的ではないんですよ。空間の中にどう音響的な奥行を出していくか、っていう面も大切にしています。今考えられる録音芸術、記録される音楽の一番先頭に立っているようなものであるように、と意識しつつも、その音楽自体は、文脈・歴史のある一点での“今”だという認識で作っています。ただ新しさを追い求めているのではなくて、自分の音楽が過去に作られた音楽とどう繋がっていくのか、みたいなことのほうが意識しています。これは音楽だけではなくて、自分が作る作品全般に言えることです。過去へのリスペクトがあるからこそ、新しい音楽を作る気になるわけです。今って、昔の音楽も“知らなかったら新譜”じゃないですか。何でも並列に扱われるし、Mavin Gayeと蓮沼フィルが並列に扱われたら勝てるわけないんだけど、僕が高校生の時は新譜は新譜だったんで。文脈は丁寧に扱っていきます。過去を知らないで、新しさを誇張するのは滑稽ですよね。蓮沼フィルにおいては、メンバーがそれぞれの音楽畑から参加してくれているバックボーンの豊かさも素晴らしいな、と一緒に演奏をしていて感じます。そのぶん、音楽的なニュアンスを揃えるのも大変だったりしますけど(笑)」
――それを伺うと、フィルのオフィシャルサイトに掲載されたステイトメントにある“現在における新しい音楽”という一文が誤解を招きそうな気がしてきます。
「どういうことですか?」
――おじさんが考えるところの“最新型”みたいに捉えられちゃうとか。そういうのとは全然違うってことですよね。
「はい。欧米のトレンドを取り入れて作りました、ということを最新型って言う人はある程度いるかもしれないですけど、それは僕には表層的過ぎます。蓮沼フィルにおける“現在の新しい音楽”への志というのは、他ジャンルに跨って性別や世代も異なるミュージシャンを集めて、時間をかけて音楽を作ってゆくプロセス自体にあると思っています。完成された音楽も大切ですけど、それが作り上げられる構成要素やプロセスが”新しさ”として受容される音楽だと思うんです」
――それを伝えてゆくのってなかなか難しそうですね。
「うん……。全員に伝えるのは難しいですよね。でも少しずつ活動しながら、続けていくしかありませんね」
――蓮沼さんて、度々“時間”のお話をされていますよね。今回も、再び「TIME」が収録されていて、時間への執着が窺えます。蓮沼さん自身の作品以外でも、過去に音楽を担当された『Y時のはなし』や『5windows』が時間に関係した内容だったりして、宿命めいたものも感じますけど。
「そうですね。映画とか小説とかだと時間が作品の中で自由に操作できていて非常に嫉妬します。瀬田(なつき)さんの映画作品『5windows』も、あるひとつの時間の前後がオーヴァーラップしたり、色んな角度から時間を見るっていう映画なんですね。音楽は始まりがあって終わりがあるだけなんですよ」
――その代わりに、さっきおっしゃっていたMavin Gayeと蓮沼フィルの関係みたいに、文脈で時間が扱えるんじゃないかな~、なんて思ったんですよね。
「そうですね。そういった視点も時間との関わり方ではありますね。僕は、展示作品においては本質的に時間について向き合っています。展覧会の空間において、作品の始まりと終わりを設けないでノンリニアな流れを導入していく。もしかしたら僕が他ジャンルに嫉妬しているような時間の操作も、展覧会では可能になるのでは?と思っています」
――ただ、時間の感じ方、扱い方というのも、日々変化していると思います。そういう変化に対して思うところが、活動に反映されることってあるんでしょうか。
「そうですね。変化してゆくことに対して肯定的であるべきですし、変化する環境の中でどのように作品が社会に機能していくかを考えることは必要です。変化に対して思うところがあるから、フィルをやってる意味があるかもしれないです。合理的にどんどん進んで、これだけ時間が速い世の中なのに、フィルは基本的に非効率だし、色々な手間もかかる。メンバーによっては全然規格外ではないとも言ってくれますが、それが一種の世界への抵抗っていうか、僕ができるアプローチのひとつだと思っています。メンバーも、現状ついてきてもらっているし、理解してくれているような気がしますけど、もっとコミュニケーションをとらなければ、と感じています。そういった意味でも自分のことだけではないので、仮説と立証は必要になってくるのだとも思います」
――なんでも、ご自身で確認してみるのが好きなんですね。
「そうなんですかね。でも、まずやってみなければ結果はわからないよね、とは思ってます」
――「TIME」や「the unseen」のように、過去の楽曲をフィルで演奏してみるのも、単にアレンジというより、経年変化を試す意味合いに思えます。
「ああ、そうですね。それはありますね」
――だから、今回のアルバムを、全く同じメンバーで何年後かにもう一度作ってみるのとか、おもしろそうですよね。
「それはおもしろいでしょうね。楽しい企画になりそう。自分でもびっくりしたんですけど、フィルには特有の音が出来上がっているんです。“蓮沼フィルの音”が。新曲を演奏をすると、そのオリジナルのカラーで音楽が返ってくるんですよ。そのカラーも、時間が経てば当然変わっていきますよね。フィルは“その瞬間”を大切にしているプロジェクトでもあるので、瞬間の経過が束になっていくのも楽しみです。この瞬間でしょ!を思い切り大胆にやるのがフィルの魅力だと思うので。時間の経過と共に、人間性の変化を音楽で表現していくのも楽しそうですね」
蓮沼執太フィル Official Site | https://www.hasunumaphil.com/