Adrian Sherwood

Adrian Sherwood

On-U Sound 30th Anniversary

 2011年に創立から30年目を迎えたUK最重要レーベルのひとつOn-U Sound。1980年代、かつて未開の音楽だったレゲエという音楽を武器にパンク / ニューウェイヴ期を疾走し、現在なお良作のリリースを続けています。再発屋ではなく、真に現役で存在する80sレーベルという事実だけでも賞賛に値する同レーベルの総帥Adrian Maxwell Sherwoodは、レゲエの変革と共に歩み、シーンの推移を見つめてきた正に生き証人。2011年12月、東京・渋谷 SOUND MUSEUM VISIONにて行われたアニヴァーサリー・パーティ“Dub Sessions: On-U Sound 30th Special”出演のため来日した氏に、時を経ても情熱を絶やさないOn-U Soundの歴史と未来を語っていただきました。

取材・文 | 久保田千史 | 2011年12月
通訳 (thanks!) | 原口美穂
main photo | ©Tadamasa Iguchi 井口忠正

――30年前にOn-U Soundをスタートさせた時、レーベルの基本理念のようなものはあったのでしょうか。
 「正直言ってそういうのは全然無かったんだ。レーベルとして生き残っていければいい、っていう気持ちだけで」

――最初から“レゲエのレーベル”として始められたのですか?
 「最初はそうじゃなかった。1番最初にLPをリリースしたNEW AGE STEPPERSは厳密に言えばレゲエではなかったし、2枚目に出したTHE MOTHMEN……このアルバム(『Pay Attention』1981)は激レアだよ……後にSIMPLY REDになるバンドなんだけど、それも全然レゲエを演奏してはいなかった。“レゲエとはちょっと違ったものを出すレーベル”といったところかな。意図的にそうしたわけではないんだけど、On-Uの前にレゲエのレーベルはすでにやっていたからね。“4D Rhythms”っていうレーベルで、CREATION REBELの『Starship Africa』1枚しか出していないんだけど。“Hitrun”ていうレーベルもやってたし」

――NEW AGE STEPPERSが出てきた頃は“ニューウェイヴ真っ只中”という感じだったと思います。その環境にあって、Sherwoodさんはどんな音楽を聴かれていたのですか?
 「その頃からずっとレゲエ・ヘッドだよ。周りにいたTHE POP GROUP、Mark E. SmithのTHE FALLとか、そういうものは全部聴いてはいたんだけど、どれかにものすごくハマるってことはなくて。特に好きで聴いているものと言えばやっぱりレゲエだったよ。その頃一緒にツアーを回っていたのもTHE SLITSやTHE CLASHで、レゲエに近いものだったしね」

――レゲエに造詣の深いSherwoodさんには、周りの“レゲエ・フレイヴァ”なバンドはどう見えていたのでしょうか。
 「面白かったよ。最初の頃の、黒人たちが育ててきた第1、第2世代のスカやレゲエなんて、昔はレコード屋の隅っこで安売りされているような、言ってしまえば二流の存在だったんだ。初めが小さなものだっただけに、それが突然大きなものになってゆくのを見るのは面白かった」

――レゲエが大きな存在となるにあたり、やはりパンクの影響は大きかったのでしょうか。
 「UKレゲエにおいてはそうだろうね。それまで白人と黒人が同じステージで演奏するなんていうことはなかったんだけど、Bob MarleyやTHE CLASH、THE RUTS……THE RUTSはすごく大事なバンドだよ……彼らが出てきてからはそういうことはなくなったんだ。THE CLASH、THE RUTSはレゲエのフレイヴァがあるバンドだったけど、SEX PISTOLSのJohnny Rottenだってレゲエが大好きだった。SEX PISTOLSが解散した後に結成したPiLを見れば分かるでしょ?当時のUKでは“Rock Against Racism”や“Legalise Cannabis Campaign”みたいにポリティカルな運動も多くて、一緒になって盛り上がっていったんだよね」

Adrian Sherwood
©Tadamasa Iguchi 井口忠正

――On-Uのカタログを見ていると、ニューウェイヴィなリリースと、ルーツ寄りなリリースと2パターンありますけど、これも意図的にやったことではないんですか?
 「全く意識はしてなかったんだけど、僕はプロデューサーだからさ、様々なエリアのアーティストと出会う機会があって、みんなが色んなヴァイブスを持ち込んでくれたんだ。例えばPiLのKeith Levinはすごく良いギタリストでしょ?だから僕のレゲエのトラックでギターを弾いてもらおう、っていう風に。そうやってセッションを繰り返して、色んなものをミックスしながらスタイルを作っていったんだ。すごくおもしろい作業だったよ」

――単純な質問ですけど、そうやってレーベルを続けてゆく中で苦労したのはどんなことですか?
 「みんなから期待されるのがキツかったなあ。アーティストたちは“もっと売りたい”っていう思いを持ってたんだけど、アンダーグラウンドでやっていたから、なかなか応えられなくてね。そういうときは本当に悲しかったよ(苦笑)」

――今でも、制作はもちろん、発送などの作業もご自身でやられているんですよね。
 「始めたばかりの頃は5、6人でやっててね。前にやっていたレーベルの頃から引きずっていた借金の問題もあったりさ。Kishi(Yamamoto)がアートワークやビジネスまわりをしっかりやってくれていたから、すごく助かってた。最初の3年間はすごく大変だったけど、だんだん軌道に乗ってきたんだ。そうなってくると、もっとレコードを出せっていう話になるんだけど、なかなかそうもいかなくてね。でも“もっと良くなるはず”っていう思いは持ち続けてたから、良いアーティスト、作品を続けて送り出すことができたんだと思う」

――“もっと良くなるはず”という信念はどんなところから得られたものだったんですか?
 「“隣の芝は青く見える”って言うけど、僕は売り上げのことは気にしてなかったし、十分良いってことは分かってたからさ。金銭面でみんなからの期待に応えられないのはツラかったけど、“素晴らしいものをリリースしているんだ”っていう思いは変わらなかったから」

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