那倉悦生「鏡を抜けて」 第1話


「神経雨」

狂ったような外国の犬が一瞥をくれる。頭髪のない女性がガムを道端に吐き捨てる。私はウイスキーを飲んでいる。もうなくなってしまいそうだが、金がないのでこいつを夜までもたせなければならない。夜になればパーティーが開かれるのだ。身内の結婚祝いの集まりだ。それまでの時間を私は、この残りわずかなウイスキーでもたさなければならない。一旦帰宅するべきだ、硬いベッドに寝転がって睡眠薬を飲めば良い。私は踵を返して、並木道を狭い部屋に向かって進んでいく。女子高生の群れが、私の容姿をバカにしてヘラヘラと笑っている。サラリーマンは昼酒する私をゴミを見る目で一瞥する。自動ドアの開く音。私の敵の住処が開かれたのだろう。私の心にはいつも冷たい雨が降っている。酒はそれを癒さない。私は酔っ払いたくなどないのだ。帰宅だ。何が帰宅だ。酔いが回っている。ベッドは売ってしまったのだった。私は床に直接寝転ぶと、天井の模様を眺める。意味をなさない線の羅列。降下のイメージ。ポルノを垂れ流しにする。女優も男優も頑張って腰を動かしている。滑稽ではない。息子は頭蓋を守るヘルメットを今もかぶっているだろう、公式に一般と劣ると認定された脳みそをかばうために。私はこの、未来に現われるだろう息子のイメージを、自らの欠点の肥大したものと考える。女と交わったこともないというのに、私には未来の息子がいるのだ。息子は私をYと呼ぶだろう。睡眠薬を摂る。目が覚めれば、ささやかだが愉快なパーティーの時間がやってくる。私も友人も腰がくだけるほど飲酒するだろう。20ほどの視線が飛び交って、いい加減この酒乱と付き合うのはよせよと花婿に忠告が入るだろう。私は睡眠薬の効きの遅さに苛立つ。細い雨が軌道を青く光らせながら意識の中を斜行している。私の息子が姿を現わす。Y、どうして雨は止まないのか。私はヘルメットを引っ掴むと左右に強く振るう。お前に関係のあることか!ヘルメットが床に落ち、息子の脳髄が彼の顔面を滑り落ちていく。目がさめると、私は花嫁をファックしていた。彼ら新婚夫婦の新居のトイレだ。精液が飛び散る。便所が流れる。監視塔からついにあいつが降りてくる、私を殺しに来るのだ。網の目に錯綜する雨。一度死んで出直そう。次はきっと上手くいく。溺死している。

挿画: MAELEMENTS OF TOKYO」 2015 | 木製パネルにアクリルガッシュ, ペンキ, スプレー, マーカー, 油彩 605mm x 805mm 第8話 | 鏡を抜けて | 第2話