黒電話666

黒電話666

座談 “Accumulation” 黒電話666 + 那倉太一 + 西山伸基 + 平野Y

 東京を拠点に活動し、幾多のエフェクトペダルに古風な回転ダイヤル式電話機をカスタムしたオシレータを繋ぐ唯一無二のスタイルで注目を浴びるクリエイター、黒電話666が、初の全国流通作品『Accumulation』をリリース。大きくはハーシュノイズにカテゴライズされるであろうテクスチャの内部には、“ハーシュ”から連想されるウォール・オブ・ノイズとは異なる躍動感とマッシヴな低域、“音楽”的なダイナミクスを伴うアーキテクチャ、Kyoka、ENAを起用するリミキサー陣の人選からも伺える、テクノやハードコアパンク等とフラットにリンクする活動の所以であろう“音”へのスタンスがひしめいています。

 本稿では黒電話666(以下 黒電話)に加え、親交の深いENDONのフロントマン・那倉太一氏(G.G.R.R. / 以下 那倉)、黒電話666のホームのひとつとなっている東京・落合 soupのエンジニアを務める西山伸基氏(元Warszawa, HEADZ, FADER / 以下 西山)、リリース元[…]dotsmarkのオーナー・平野Y氏(以下 平野)を迎えて『Accumulation』を大解剖。黒電話666が“新しいノイズ”たる理由を突き止めます。


進行・文 | 久保田千史 | 2016年1月
main photo | ©Ryo Fujishima 藤島 亮

――今回が初めての正式リリースなんですよね。
黒電話 「そうです」

――当初から黒電話を用いたスタイルだったのでしょうか。
黒電話 「当初はDJをやっていて、その名義が“黒電話666”だったんです。電話を使うよりも名前が先」
西山 「なんでその名前にしたんですか?」
黒電話 「家で黒電話使ってたからというだけで。ただ“黒電話”だけだと味気ないので黒い数字を沿えました」

――DJではどんな音楽をスピンしていたんですか?
黒電話 「ミクスチャーとかですね」

――そこからノイズ / アヴァンギャルドに興味が移るきっかけがあったのでしょうか。
黒電話 「Digital Hardcore Recordingsです。学生の頃にATARI TEENAGE RIOT『Live At Brixton Academy 1999』(2000)を聴いてからノイズとか実験音楽を知って、DJでもかけるようになりました」
那倉 「初めてDJでかけたノイズって覚えてる?」
黒電話 「MerzbowかMASONNAのどっちか。そのうちに自分でも何かやろうと思って、名前は引き継いでDJを止めて、録音を始めたんです」
那倉 「じゃあ自分の名前に引っ張られるように、電話で何かするようになったんだ。それは面白い」
西山 「ノイズを始めるにあたって自分の発信機を製作する段階で、名前が“黒電話666”だから電話で作るべきだろう、ということ?」
黒電話 「いえ、始めた頃は電話は使っていなくて。ギターだったり、シーケンサーにディストーションかけたりしてました。平野くんはその頃も知ってますね」
平野 「黒電話は使ってなかったね。サンプラーとか使ってた」

――電話スタイルに移行したのはいつ頃のことなのでしょう。
黒電話 「2004年です。その数年前にCDRっていう友達と知り合ったんですけど、彼がheavysick ZERO(東京・中野)でやるイベントに誘ってくれて。その日初めて電話にマイクをぶっこんで使いました」
西山 「それは今使ってるのと同じ電話?」
黒電話 「違います。その時はダイナミックマイクを入れてました。それを使ってheavysick ZEROの地下で、30分くらい音をガーって出したのが始まりです」
那倉 「DHRもそうだし、heavysick ZEROっていうところに黒電話の出自を感じます。ノイズ以外の、MURDER CHANNELとかとの繋がりはそういうところだもんね」
黒電話 「MURDER CHANNELなしに今の自分はないですね」

――電話を使おうと思ったのはやっぱり、何かしらのアクションを伴うほうが好みだったからなのでしょうか。
黒電話 「そうですね。“シャカシャカ”が欲しくて」

――MASONNAで言うところの(笑)。
西山 「サクマドロップスの缶にあたるものとして選んだのが黒電話だったわけですか(笑)」
黒電話 「そう。やっぱりあれがやりたかったんですね。それまでにもサンプリングのソースとしてベルの音を使うことはあったんですけど」
西山 「でも、名前のほうが先にあったという事実は意外ですね。てっきり“電話でノイズを出す”という行為が先にあってこその名前だと思ってました」
黒電話 「よく言われます。“黒電話”に縛られすぎるのを避けるために、昔ほどそれを推さずに近年は活動してます」

――GUILTY CONNECTOR(GUILTY C.)だって今はシバいてないですもんね。それと一緒ですよね。
黒電話 「そうですね」

――当時GUILTY CONNECTORの存在は黒電話さんの目にどう映っていましたか?
黒電話 「“雑誌の中の人”みたいな存在でしたね。たしか同い歳なんですけど、僕が始めた頃、彼はすでに海外でもライヴやってましたし。行動力がズバ抜けてる」
平野 「彼は同世代の中でもデビューが早かったし、国際的な展開も早かったですよね。すでに人気者で」

――黒電話さんと同世代だと、GUILTY CONNECTORを除けばアクションを交えたパフォーマンスでノイズをやっている方って当時は少なかったように思うんです。
黒電話 「どうなんですかね」
平野 「暴れたいだけに見える感じの人が何回かやって、気が済んで消えるってパターンが多かったのかな?あの頃は若い人自体が少なかったよね」
那倉 「アクショニズムとは違う、ハーシュノイズをレッスルするスタイルだと、同年代ではないけど兎にも角にもやっぱりINCAPACITANTSだよね」
平野 「初期のdestructionistiesとかもそうだったかもしれないけど、彼らが出てくるのはもう少しだけ後だから」
那倉 「そうだね。当時SETE STAR SEPTもやっていたSAKAIさんと葛にゃん(SELF DECONSTRUCTION)がdestructionistiesをやっていて、黒電話がいて、Kazuma Kubotaがいて、みたいなところに僕はどちらかというと後から接近していったわけだけど、電子雑音とかの周りの、例えば帝都音社系の人たちとはちょっと違うと思ったわけ。Kazuma Kubotaくんも、ああいう人だけど、アクションがあるじゃん。僕みたいにバンドの人からしてみると、そのほうが親和性が高くておもしろいな、って近づいていったわけよね。僕が界隈に入っていったタイミングはすごく象徴的で、田野(幸治 / MSBR)さんが亡くなった年だったんだよ。黒電話は出てなかったけど、20000V(東京・高円寺)で田野さんの追悼イベントがあって。僕らの世代は、ハーシュノイズとかカットアップに、プラスでアクション。身振り手振りでレッスルするみたいなのが流行りというか」
黒電話 「関東の僕ら世代は電子雑音の読者 / お客さんで、中央線沿線で細々と自発して育った雑草が多いんじゃないですかね」
西山 「黒電話はどういう影響でライヴでの身体表現的要素を取り入れるようになったんですか?ノイズの文脈として、ひとつの様式として、ということ?」
黒電話 「激しいバンドとか好きな人って、動きも求めるじゃないですか」
西山 「でも出自がDJなら、そこは逆に取り入れないという選択肢もあったりしませんでしたか?」
黒電話 「ブレイクコアだとラップトップを前に動く人はたくさんいますけど、やっぱり昔のATRの影響です。Nic Endoが後ろでブシャー!ってやって、前方に煽る連中がいて。跳ねたリズムも動きに通じるし。とにかくアーメンブレイクが好きで、アーメンで何かをやろうとしていたのにノイズになってしまった」

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