Interview | 水曜日のカンパネラ|コムアイ


すごく無力だった

 故Nujabes主宰Hydeout Productionsや、西原健一郎主宰Unprivate Acousticsなどからのリリースで知られるKenmochi Hidefumiによるトラックのエピックを相殺するかの如く、シンガー・コムアイが掃射する昭和感丸出しの下世話かつ飄々としたリリック。タフなのか、ふわっとしているのか、判別し難いアブストラクトな存在感を放つコムアイのパフォーマンスと、音楽のみならず落語から鹿の精肉までボーダーレスに共演する活動スタイルと相まって、独特の立ち位置を築いている音楽中心の不定形プロジェクト“水曜日のカンパネラ”が、3作目のEP『シネマジャック』を3月にリリース。コムアイのヴォーカルは表現力を拡張し、Kenmochiのトラックも多彩なBPM / ビートワークを聴かせ、過去作以上にカラフルな仕上がりとなっています。本作までの変化や、一見破天荒に思える活動の根底について、コムアイさんにお伺いしました。

取材・文 | 久保田千史 | 2014年3月


――大きな作品としては『シネマジャック』が3作目になるわけですよね。

 「そうですね、100円シングルとかはありましたけど」

――こんな言い方すると悪く聞こえるかもしれないですけど、歌い方がだんだんテキトーになってきていませんか?
 「ああ~。そうかもしれないです。なんか、諦めちゃったんですよね。『クロールと逆上がり』の頃は綺麗に歌おうっていう意識があったんですよ。でも、わたし歌上手くないんですよね、結局」

――そんなことないですよ(笑)。
 「本当に上手くないんですよ。それを逆に、気にしてもらえる要素にしてしまおう、っていうのはありますね。例えば、友人に薦められて水曜日のカンパネラのCDを聴いたとしますよね、“いや、これ、下手クソじゃん、無理だわ”って言い切った後に、なんだかちょっと糸を引く気持ちが残るような、そういう流れが作れれば」

――“下手クソ”だなんて思いませんけど、そういう勢いは出ていますね。やっぱり言い方が悪かったですね、“テキトー”というより“ライヴ感”と言うべきでした。ライヴをたくさんこなして学んだことが反映されているのではないかと思ったんです。
 「それはあると思います。ライヴだと、人がたくさんいる中で“ソーセージ!”とか大声で言うわけじゃないですか。本当に恥ずかしくて。ケンモチさんに辱められてる感じですね。むしろ上手く歌えちゃった時の方が恥ずかしいんですよ。“歌えちゃった~↓”みたいな(笑)。でもその辱めを超えないと、お客さんを盛り上げられないんですよね。そういう意味でテキトーになったんじゃないかな」

――そのぶん、歌い方の多様性が増していますよね。
 「そうですね。1stから2ndではかなり変わったとは思うんですけど、そう長くは持たないと思うんですよ。これも。だからケンモチさんと一緒に今後のことをちょっと考えて。“こう歌ってみて”とか“あれやってみて”って言われるままにやってみただけなんですけど(笑)」

――ケンモチさんのトラックが多彩になったのも、そういった意味合いなのでしょうか。
 「そうです。次のを出す時には、また、全然違うものになっているかもしれないです。実験しています」

――風変わりなリリックは、相変わらずですよね。先ほど“恥ずかしい”とおっしゃっていましたけど、歌詞に対してそういう気持ちはお持ちだったんですね(笑)。
 「そりゃそうですよ。めちゃめちゃ恥ずかしいですよ。ケンモチさんから歌詞が送られてくる度に、“今度はこれかあ~↓”って思うんですよね……。でも負けてられないんで!」

――ちょっとレイドバックしていて、ノスタルジックな題材を扱う内容が多いですけど、コムアイさんご自身は全然世代が違いますよね。
 「そうなんですよ。だから、何のことを言ってるのか全然わからないことも多くて。まあいいかな」

――ブルボンのお菓子は普遍性がある気もしますけど。
 「実はブルボンのお菓子も、『マリーアントワネット』を歌うまで、意識して食べたことなかったんですよ。おばあちゃんの家に行ったときに食べたりはしていたと思うんですけど」

――『キン肉マン』は読んだことあるんですか?
 「先日初めて全部読みました」

――一応読んではいらっしゃるんですね。いかがでしたか?
 「うん、まあ、おもしろかったです(笑)。最初の方はギャグも多くて、可愛らしい感じですよね。最初の頃の方が好きですね。だんだん、闘いばかりになってくるじゃないですか」

――それは少年漫画における“バトル化”という現象ですね。闘いを中心に据えることによって、長く連載できるんですよね。
 「そうなんですね!勉強になりますねえ」

――いえ、知らなくても大丈夫なことだと思います……。『北斗の拳』は読まれました?
 「OTOTOYの企画で出来た曲なので、お題で出て2006年の映画『北斗の拳 殉愛の章』だけ観ました。でも、『キン肉マン』の方がわたしは好きでしたね。『北斗の拳』はちょっと……」

――どのあたりが苦手だったんですか?
 「まず、登場人物がことごとくマッチョじゃないですか。 “拳で語り合う”って言うんですか?あれが全然理解できないんですよ。脳味噌まで筋肉になっちゃってるんじゃないの?って思っちゃって。言葉で解決できることじゃないですか。ちゃんと話し合えばいいのに。いや、それ以前ですよ。ケンシロウの幼少期に、シュウが自分の目を犠牲にしてケンシロウを救うんです。目の前で目つぶしされたら絶対トラウマになりますよね。なのに大きくなってから目に傷があるおじさんに出逢っても、“誰だこいつ”って真っ向から拳を飛ばすんですよ。アホか。名乗れよ。無駄な血を流すな」

――ああ~(笑)。でもそれ言っちゃうと成立しなくなっちゃうプロットなんですよね……。そういう発想って、コムアイさんのポリティカルな信条から出てくるもののように思うんですが、水曜日のカンパネラとポリティカルなスタンスの折り合いってどういう風につけてるんですか?“3,000ポッキリでぇ~す”とか、普段コムアイさんが考えていらっしゃるようなことと対極にあるようなリリックだと思うんですけど(笑)。
 「そうなんですよね(笑)。わたしのポリティカルなところと水曜日のカンパネラの活動は繋がっているんですけど、音楽の部分は分けて考えていますね。例えばShing02さんみたいに、音楽とポリティカルなことを同時にできるような頭のよさがわたしにあれば、そうしているとは思うんですけど。どうしてもできないんですよ。難しくて」

――音楽と一緒に表現できないから、機会を作るために水曜日のカンパネラをやっているということ?
 「そうです。例えば、田我流のライヴ観たことあります?この間、夜中のUNIT(東京・代官山)で若者たち相手に“選挙に行こう、選挙に行こう”って延々コール&レスポンスさせていて、お客もなぜかノってて、すげーー!と思いました。なにそれ!って。都知事選前で、田我流さんは山梨だから直接手を出せないぶん、そういうアクションを……。ネタとかじゃなくて本気でそういうライヴをやっているところがすごくかっこいいと思うんですけど、わたしがやるとたぶん、引かれちゃいます(笑)。そこまで巻き込む力量が無いから。だから、まずは音楽でおもしろいことをたくさんやって、気にしてもらうのが大事なんですよ。少し名前が知られるようになって、最近はコラムなんかも書かせていただけるようになったので、ポリティカルなことはそこで出していけばいいと思っていて」

――“引かれちゃう”なんてことないと思うんですけど……。そう思うようになったきっかけが何かあったんですか?
 「高校生の頃に六ヶ所村の再処理工場に反対する運動をやっていたんですけど、そういうのって周りから変な子扱いされるんですよ。わたし自身は全然、フツーなんですけど。たぶんそれは、わたしが有名だったら違う反応だったんですよ」

――六ヶ所村の反対運動だと、坂本龍一さんの取り組みが有名ですよね。
 「そうですね。でもわたしは教授みたいに有名じゃないから、すごく無力だったんですよ。だから有名になりたいんです。デモに参加している中で考えたことも、きっかけとして大きいです。同じ思いの人が集まって運動しているのはすごくいいことなんですけど、結局そこ止まりなんですよね。その場にいる人たち以外のところには拡がっていかないから。ケンモチさんはデモに参加しているような人ではないんですけど、似たようなことを考えていたらしくて。音楽ひとつ取っても、ケンモチさんのソロのインストの曲ってすごく綺麗じゃないですか。でも震災後に“綺麗だな”で終わってしまう音楽は拡がらないし、聴きたくなくなったって。だからわたしにヘンな歌詞とか歌わせてるんですよ(笑)」

――なるほど……。でも“鹿の解体”は、単なるパフォーマンスではなく、食肉に対する問題を提起する直接的な取り組みのひとつですよね。
 「そうですね。山村では鹿が増え過ぎてしまって、農作物を荒らす害獣として駆除されているんですけど、殺されると山に埋められるだけの鹿が多くて処理しきれていない。“だったら食べた方がよくない?”っていうのがスタートとしてあるんですけど」

――食肉に関する行動として “食べる”という選択をするのがおもしろいですよね。“食べない”という方向性の方はけっこういらっしゃると思うんですけど。
 「不買運動とかっていうことですよね。そうですね。フォアグラ生産工場のビデオとか、観たことあります?薬として熊の胆汁を採る工場とか」

――あります。あれはかなり辛いですよね。
 「ですよね。わたしもああいうのを観ると本当に嫌だな、って思うんですよ。だから“食べない”っていう選択はもちろんあると思います。食べるにしてもストレス・フリーのお肉を選んで食べるとか。もちろんこれは畜産に限ったお話で、わたしがやっている鹿は獣肉だから、戦って、食べて終わりではあるんですけど。全部食べないっていうのは淋しいし、美味しいんですよ肉は」

――そういうことを考える原点はどんなところにありますか?生産効率のために苦しみを生むシステムへの反対表明とか、単純に“動物がかわいいから”とか、人によって理由も様々だと思うんですけど。
 「う~ん、両方ですね。動物かわいいです。家で犬も飼ってますし。本当は猫派なんですけど(笑)」

――“動物かわいい”が根底にあると、鹿に対する取り組みってコムアイさんにとって辛いものになりませんか?鹿かわいいですよ。
 「そうなんですよね……かわいいんですよ……。だから、死んだ瞬間から“肉”になるまでに、 “絶対食べられない”って思う瞬間は何度もあるんです。でもだんだん“肉”に近づいてくるにつれて、“おいしそうだな”って思っちゃうんですよね。これは本当に不思議なんですけど(笑)。最近は、家で犬を触っても“ここを切れば、ここが外れるな……”みたいなことがわかる自分がいて、いかんいかん!て思ったりします(笑)」

――そういう思いが込められたものをステージで見せるわけですけど、その捉え方もまた人それぞれですよね。コムアイさんみたいに素敵な女性がやっていると、“肉を切り裂く美女”的な色モノとして観る向きだって絶対あるわけじゃないですか。
 「それはそれで全然いいです。観たものを持ち帰って、その人がどう考えるかは自由だと思うので。楽しんで観てもらえるのが一番ですよ」

――初めてライヴで鹿を解体することになった時、正直どうなることかと思ったんですよ(笑)。
 「そうですよね(笑)」

――でも “ウワ……”みたいになることもなく、みんな真剣に観察していましたよね。感心している感じというか。やっぱり、実際に観ると印象が全然違うんですよね。
 「それはありますね。もっとたくさんの人に観て、知っていただけるように、鹿の解体はこれからも続けていきたいです」

水曜日のカンパネラ / コムアイ, 2014

――イベントでは鹿の解体だけでなく、落語や漫読といった文化も積極的に取り入れていますよね。それもやっぱり実際に“観て、知って”もらえるようにということ?
 「そうです。“落語が好き”って言うと、なぜか“サブカル女”っていうことになっちゃうんですよ。それがわたしは不満で(笑)。文化的な側面も大切ですけど、実際に観ると、単純にエンターテインメントとしておもしろいじゃないですか。それを感じてもらえたらいいな、っていうのがあって」

――水曜日のカンパネラのイベントには音楽だけでも、毛色の異なる面々が多数出演しています。例えば、NATURE DANGER GANGのファンに活弁の魅力が届くといいな、というようなことは考えていらっしゃるのでしょうか。
 「わたしなりに考えてはいます。基本的には好きなものを集めているだけなので、傍からはめちゃくちゃに見えると思うんですけど(笑)」

――でも、ひとつ筋は通して集めているんですよね。
 「それはそうですね。“水曜日のカンパネラ presents オトトイの地下室”だったら、ちょっと品がない感じで統一しよう、とか(笑)。色んな表現方法を確立している人がいるよ、っていうところで」

――そうですね。しかもそれぞれのファンが違うフィールドもしっかり楽しんでいる感じがしたので、成功していると思いました。
 「そうですか?それならよかったんですけど……。裏ではしっちゃかめっちゃかなんですよ(笑)。もっとしっかりやらなきゃきゃ!と思っています。水曜日のカンパネラはわたしだけじゃなくて、ケンモチさんやDir.Fも含めたみんなで作っていくものなので」

――ライヴ・パフォーマンスだけではなく、展示なんかも観てみたい気がします。
 「そうですね、そういうこともやってみたいです。鹿を解体して食べるだけじゃなくて、食べた鹿の角や骨で何かを作るとか。わたしたぶん、歌を歌うよりもそういう方が得意な気がするんです(笑)。でも歌は歌で、みんながちゃんと楽しめて、自分でも納得できるものを作っていきたいんですよ。だからまずはライヴや音源が先決ですね。がんばります」

水曜日のカンパネラ Official Site | http://www.wed-camp.com/
コムアイ Instagram | https://www.instagram.com/kom_i_jp/