青春をこじらせて
取材・文 | 久保田千史 | 2012年8月
――今回が初めてのアルバムですが、音楽活動はいつ頃から始められていたのですか?
「意識し始めたのは中学校2年生の頃です。当時ダンスポップ……TM NETWORKとかあのあたりを聴いていて。avexのコンピレーションを買ってみたり。周りで聴いている人は少なくて、僕だけみたいな感じで恥ずかしかったんですけど(笑)。そういう音楽を作りたいと思って調べたら、どうやらコンピューターを使ってるらしい、ということで。父親に何度も何度もお願いしてコンピューターを買ってもらったんですけど、いざやってみると出てくる音がすごくショボくて。それで落ち込んで、しばらく何もやらない時期が続いて(笑)。高校1年生になってからまた本格的に始めました」
――高1の時に良い機材と出合ったんですか?
「そうですね、友達が良い機材を買ったんですよ。Rei Harakamiさんがずっと使っていたという、RolandのSC-88Proっていう音源モジュールですね。高校生だからバイトができるんで、お金を貯めて自分でもサンプラーを買って、その友達とテクノのユニットを始めたんです」
――その頃はどんな感じの音を作られていたのですか?
「その頃ちょうど90sテクノがメディア的にも盛り上がっていた時期で。Warp RecordsとかJeff Millsとか。所謂“ソニテク”時代ですね(笑)。僕はアンビエントが好きだったんですけど、相方は元々ロックをやっていたこともあってダンス寄りのものが好きだったんです。その中間をやりたかったんですけど、男子校だとアンビエントってすごく個人的なものになっちゃうから(笑)、僕もフィジカルな方に切り換えて。当時は深夜にやっていた電気グルーヴのラジオでAPHEX TWINなんかも流れてたんですよ。 名前を知ったら友達にCDを買わせて、それをディスクマンのイヤフォンを片耳ずつ使って2人で聴いて(笑)。その中で一番おっ!て思ったのがCristian Vogelだったんです」
――(笑)。TM NETWORKからソニテクに至るまでの道程も気になるんですけど。
「そうですねえ、小室ファミリーがカラオケ時代に突入していったんで、ちょっと自分を見失い始めて(笑)。中学時代はEnyaとかも聴いてて、“電子音とアンビエント感”というのが自分的なツボになっていたんですけど、中学3年生のときに『トレインスポッティング』(ダニー・ボイル監督, 1996)が流行ったんですね。深夜の『BEAT UK』っていう番組を録画して観ていたら(笑)、突然『Born Slippy』(UNDERWORLD『Born Slippy .NUXX』1995)が現れて。今までとは全然違う荒削りな感じ、静寂と汚くてぶっといリズムの組み合わせっていうのにグッときて。そこからだんだんSony Techno方面に。そこはだいたいみんな一緒ですよね(笑)?」
――たしかに(笑)。その後相方とはずっと曲を作っていらっしゃったんですか?
「高校3年生くらいまでですね。相方は元々やっていたロックバンドの比重が大きくなっていって。僕も、もう1度メロディやアンビエントに戻りたい気持ちがあったから、そこでちょっと流れが分かれた感じです。ただ、それでも彼と一緒に聴いていたCristian Vogel、SUBHEADとか、 “No Future”って名乗っていた変態ダンステクノはずっと好きで。Warp系も好きだったんですけど、よりダンスに拘っていたっていうか。音質に関しても、ベースドラムがすごく強かったし、やっぱりダンスが根本にあるんですね」
――その影響は今でも続いてる感じがしますね。Si Beggのリミックスも手がけていらっしゃいますし、資料にも“No Future残党”って書かれてますよね。
「それはあの、けっこう強気に、勝手に書きました(笑)。No Futureなんて言ってる人、今いないですからね」
――Cristian Vogelですら最近の作品にはNo Futureのロゴ付いてませんからね(笑)。
「そうですね」
――No Future内で言えば、近年はSi BeggやNeil Landstrummはベースミュージックとしての色合いが強くなっていたり、Cristian Vogelはハイアートに寄った複雑な作品も作っていたり、みんな変化していますよね。特にJamie Lidellの変貌ぶりが際立っていると思うのですが、PrimulaさんはLidellとは逆のベクトルにブッ飛んじゃった感じがします。
「えっ、どうなっちゃったってことですか?」
――Jamie Lidellはある種ビートミュージックであることを捨てることによって、外向きに解放されたと思うんですけど、Primulaさんは逆に、ビートミュージックに執着して内向きに収斂しちゃったというか(笑)。
「ああ、そうですね。青春をこじらせて(笑)。中学生の頃は毎日昼寝してましたからね」
――えっ?
「塾に行く前とか、15分だけ布団に入って、アンビエントを流して」
――あ~、インナートリップ。
「そうそう、インナートリップ(笑)。まあ当時は、そこまでの感覚なかったですけど(笑)。団地住まいだったので、周りに色んな家族が住んでいて、昼下がりになると子供たちが遊ぶ声が窓越しに聞こえてくるんですよ。廊下を走ってる音とか。それがちょっと壁に反響していたり」
――なるほど。それが15分間というタイム感が良いですね。
「そうですね、微睡んでる感じで」
――その間、どんなことを考えていたんですか?
「えーと、好きな子のこととか(笑)。悶々とした男子的なアレですけど、ヘンなことは考えてないですよ(笑)」
――本当ですかね(笑)。インナートリップ用の音楽は?
「まあ色々あるんですけど、SEEFEELとか、Rephlex系。あと『Selected Ambient Works Vol. II』(APHEX TWIN, 1994)」
――『II』だったのがまた良かったんでしょうね。
「いや、『Selected Ambient Works 85-92』(APHEX TWIN, 1992)は友達が買ったから持ってなかっただけです(笑)。でもたしかに、『II』のほうがより内面的な感じはありますね(笑)。高校に入ってからはTerre Thaemlitzですね。当時NYのInstinct Recordsから、今で言うエレクトロニカの走りみたいなアンビエントのコンピレーション(『Ambient Systems 2』1996)が出ていて、緑色の雫が垂れてるみたいなアートワークの2枚組だったんですけど、その中に他と全く毛色が違う、ちょっと聴いただけでは電子ノイズみたいな曲が各ディスクに1曲ずつ入っていて。良いな、と思って名前を見たらどちらもTerre Thaemlitzだったんですよ。これは絶対間違いないと思ってずっと聴いていました」
――そのThaemlitzさんに、どんなきっかけで直接お会いしたのでしょうか。
「雑誌か何かでTerreが日本に住んでいるらしいって知って、20歳の頃にやっていた自分のイベントに呼んだんです。そこからだんだん仲良くなって」
――Bullet’s(東京・西麻布)に勤めていらっしゃったそうですが、そのイベントもBullet’sで開催されていたのでしょうか。
「そうです」
――イベントは長い期間続けられていたんですよね。
「そうですね。module(東京・渋谷)ではTerreがNYでやっていたイベントを再現した“Deeperama”っていうイベントにも出させていただいてて。当時はDJをやっていたんですけど、どうもDJって向いてなくて。DJ機材も持ってなかったし、毎月かける曲を買うのも大変じゃないですか。イベントの管理、運営も大変で、毎月やるのに疲れちゃって。若者の甘えなんですけど(笑)。DJをやるよりも、自分で曲を作りたいんだ!っていうことを再確認して、イベントやDJはやめたんです。ちょうどエレクトロニカとかグリッチなんかが日本でも盛り上がってきていた頃だったんですけど、どうもみんなコンピューターから音を出してるみたいだぞ?ということで、コンピューターを買って」
――デジャヴですね(笑)。
「中2のときとは違うコンピューターを買いましたよ(笑)。そこからもう1度ちゃんとやり始めたんです。それが2001、2年くらい」
――けっこう前ですね。
「けっこう前です(笑)。10年経ってやっと、って感じなんで」
――今回のアルバム、言ってしまえば中学時代から10数年分の集大成という感じですね。
「そうなんですよね(笑)。でも、作り始めたら作り始めたで、制作中は良くできてる!って思うんですけど、改めて聴くと幻滅することが多くて。友達に送って聴いてもらって、アドヴァイスをいただきながら潜伏してました。三富栄治さんは音そのものじゃなくて全体的な雰囲気や時間の感覚について感想をくれて、“自分がやりたいように作るといいよ”って言ってくださって。意外なところでは、Dub Master Xさんに聴いていただける機会もあったんですよ。“SonarSound”にDub Master Xさんがいとうせいこうさんと一緒に出ていて、そのときに自分の曲を渡したんですけど、“曲の作り方は大丈夫だけど、全然オリジナリティが伝わってこない”って言われたんですね。オリジナリティが自分では出せてると思ってたから、それはすごくショックで。でもそう言ってくれてるからには何か殻を破らなくちゃいけないんだな、って思っていたときに、渡邊(允規)くんと久々に会って話をしたら、“思春期の水風船を投げつけられたような気分になる音楽”って言われて。“自分でも見たくないような恥ずかしさ”みたいなことを。そこに中2の頃の昼寝なんかが繋がってきて、思春期を軸にしてやってみることになって(笑)」
――まさに厨二ですね。
「そうそう!そうなんですよ(笑)。そうやって今まで自分は過ごしてきたんだな、って。後ろを振り返りながら楽しんでいたというか。音楽や芸術に携わる人って、振り返ることは避けて、今の自分を表現するものを作りたいっていう欲求があると思うんですけど、逆の人っていないじゃないですか(笑)。もう20代も後半だし、それで吹っ切れちゃおうと思って。思春期と高校時代のテクノを組み合わて、自分に素直になれたんです」
――今のスタイルは、90sの空気を出すためにあえて少々レイドバックした感じにしているんですか?
「ワザと出してるというよりは、今精一杯やって90sの感じになっちゃう(笑)。もっと勉強すれば、もしかしたら細かい音響とかもできるのかもしれないですけど……」
――さっきおっしゃっていたように、2000年前後って所謂“エレクトロニカ”とか、グリッチィな人たちがたくさん出てきてたと思うんですけど、そっち方面にはあまり魅力を感じなかったんですか?
「そうですね……たくさんいたからっていうのもあるし、魅力を感じなかったのもあるかもしれないですけど、それを自分がやるっていう時間はなくて、もう“思春期とテクノ”で作るしかないんだって思ってたんで。だから、自分の理想とするものを、失敗しながらやってきた感じですね。最初の頃はデカいキックを入れるのすら嫌な時期もあったんですけど、青春時代の衝動を思い出しながら作っていって」
――プロフィールにコメントを寄せているKid606なんかは、初期はかなりグリッチィでしたけど、00s半ばにはパーソナルかつチャイルディッシュでシンセティックなアルバム(『Resilience』)をリリースしていますよね。あの感覚にちょっと近いのかな、と思って。
「どうなんでしょうね。電子音楽をやっている人って、そういうところがみんな少しあるのかもしれないですね」
――ノスタルジックな音楽って、過去のハッピーだった記憶を懐かしむようなものも多いと思うんですけど、Primulaさんのは決して明るくはない感じがしますよね。
「あー、はい。まあハッピーではなかったですね(笑)。子供って、大人から見るとハッピーの塊に見えますけど、よくよく思い出すと大人と同じように子供なりのリアルがあるし、大人よりも辛いと感じていることがあるんですよね。だからやっぱり、ハッピーだけにしたくないっていうのはちょっとありました。例えば10曲目の“A Mountain on Her Mind (Just Like a Grown-Up)”とか、タイトルの英語はTerreに直してもらったんですけど(笑)、“心の中の山”を乗り越える、成長するっていう感じで。子供にもそういう、すごく大変なことがあるんですよね」
――アルバムは“青春をヴィジュアル化したブックレット付き”という仕様ですが、これも一般的には、できれば避けたいところですよね(笑)。
「これ、最初は知り合いの子供にお願いしようと思ってたんですよ。でも、電子音楽に特有の“作り手のイメージを邪魔しない作り”ってあるじゃないですか。そういうのとは違った感じにしたくて」
――ビミョーにガチムチな感じとか、すごいですよね(笑)。ヒラメ筋とか。
「僕、最近まで“ガチムチ”っていう言葉を知らなくて。知ってはからそうなのか~って思ってますけど(笑)。最近自転車で移動することが多いからか、いつの間にか筋肉がついてちゃって(笑)。お腹周りに絶妙に贅肉付いちゃってるのも良かったんですかね」
――半ズボンの短さもハンパないですね。“ショートパンツ”じゃなくて、あえて“半ズボン”と言いたい。
「あれは古着屋で普通の膝丈のジーパンを買って、股下1cmで裾上げしてくださいってレジでお願いしたんですよ。そうしたら奥から裾上げ担当の人が出てきて、“裾から1cmではなくてですか?”って言われちゃって(笑)。上は子供服です」
――ゲイ・カルチャーを匂わせる雰囲気もあります。Thaemlitzさんのリミックスも収録されていますし。
「ああ~。僕自身は違いますけど、そう思われること自体は全然問題ないですよ。Terreがやってくれたリミックスには、そういうテーマもあるらしいんですけどね。彼なりの少年期の気持ちを、今のフィルターを通して反映しながらやってくれたみたいです」
――思春期ならではの混沌は、ジェンダーを超越したものもありますしね。撮影場所は団地のようですが、ご実家の近く?
「実家は東京なんですけど、これは横浜にある団地で撮影しました。学校で遊んでいる写真は、僕がすごく好きな『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』(岩井俊二監督, 1995)っていう映画に出てくるプールのシーンで使われている学校で。千葉の犬吠埼のちょっと手前なんですけど、1泊2日でロケしに行きました(笑)」
――ミュージック・ビデオがまた何とも言えない仕上がりです。
「ありがとうございます。海外からも“More sexy dance”とか“You are the king of monsters”なんて書き込みがあったりして(笑)、けっこう反応あるんですよ」
――ダンスはどこで会得したんですか?
「習ったりはしていなくて。実家にいた頃、自室でヘッドフォンしながら1人で踊りまくってただけです。そこに母親が“ごはんよ~”って入ってきて焦る、みたいな(笑)。」
――それであの動きはすごいですね(笑)。
「いや~、やってるときはそういう気分なんですけど、後から自分で観るとキレがないな、って思ったりしますよ(笑)」
――習ったりしたら、キモい感じがなくなっちゃうかもしれないですね(笑)。
「そうですね(笑)。後半の衣装が変わるところは“マイケル・ジャクソンのバックで踊っていた経歴を持つダンサー”っていう設定なんですけど、夢が叶った感じでジーンときてしまって。それを糧に今も生きてます(笑)」
――常に独りで遊んでいる映像で、孤独感もありますよね。
「そうですね、孤独な感じはありますね。でも中学のときはちゃんと友達いましたよ(笑)」
――誰でも考え事をするときは孤独ですからね。
「そうなんですよね。ダンサーの設定も“少年の妄想”っていうメタ設定があったりするんですよ。彼はたぶん頭の中で独りで遊んでいるんです」
――先ほどお名前が出てきたRei Harakamiさんもノスタルジックなテイストを持っている方だったと思うんですけど、ここまであからさまではなかったですよね。
「そうですね……。でも、もし僕が10年前にアルバムを出せていたら、こういうことはしてなかったかもしれないですけどね。若いと何かとかっこつけたくなるし」
――そういえば、釣りがお好きなんですよね?
「はい。夜中に幅50mくらいの川に胴長を履いて真ん中まで行ったりしますね」
――釣りと音楽は、どんな関係なんでしょう。
「なんでしょうね、釣好きのミュージシャンって多い気がしますけど。どちらも没頭はしてますね。興味のない人から見たら、何の役にも立たないことに集中しているというか。釣りはとにかく感動がものすごいんですよ。それ以上ないくらい。大人になって“手が震える”ってなかなかないじゃないですか。魚の写真を撮ろうとしても、手が震えて撮れなかったりするんですよ。鼓動がすごくなっちゃう。少年部分を釣りで維持してるところもあるかもしれないです。あと、音楽と釣りのどちらかがダメになると逃げたりするかも(笑)。音楽でダメだ~!って思ったときに釣りに行くと、全部忘れて切り替わりますね」
――今は釣りと音楽、どちらの比率が大きいですか?
「今は音楽(笑)。でも釣りは本当に好きで、以前は釣具のメーカーに勤めていたんですよ(笑)。転勤で大阪に行っていたんですけど、営業の仕事が辛くなってきてすぐ辞めちゃって。でもそのまま大阪から地元に帰るのはかっこ悪いし、すぐ近くに琵琶湖があったから、ビワコオオナマズを釣るまで帰らないことにして。しばらく滋賀に住んでいました」
――レーベル面にプリントされてる鯰はそういう意味なんですか?
「そうです。自分と鯰って、見ていてもすごい親近感があって」
――どのあたりが?
「鯰ってヌボ~っとしてて気ままな感じなんですよ。昼間はじっとしていて、夜になると動き出すところとか。でも肉食っていう」
――Primulaさん肉食系なんですか。
「いやっ、違います(笑)。そんな自信はないです……」
――結局ビワコオオナマズは釣れたのでしょうか。
「釣れました。琵琶湖のあらゆる場所を周ったんですけど、結局自宅前の川で釣れたんですよね」
――その頃もうご結婚はされていたんですか?
「いや、まだ結婚はしてなかったんですけど、“いつ帰ってくるんだ”ってずっと言われていて。ビワコオオナマズが釣れるまでは帰れないって返事してました」
――ロマンでしかないですね。
「ロマンです。子供の頃の衝動、夢みたいな」
――“ロマン”って、往々にして白々しく響くものですけど、Primulaさんからはガチロマン感じます(笑)。それが音楽にも現れてるんですね。
「そんなこと言われると意識しちゃうじゃないですか(笑)」