Lee Perryとの永遠に続く1週間
取材・文 | 久保田千史 | 2012年10月
通訳 | 若鍋匠太
main photo | ©Tom Thiel
P 「やあ、俺はAlex Paterson。雨の日の朝9時に生まれたんだ」
――……?
P 「それ以来、俺が行く場所行く場所、雨が降るようになっちゃってね」
――今日は良いお天気ですよ?
P 「(Felman氏を抱きしめようとしながら)それはThomasのお陰だね。俺の太陽なんだよね」
F 「そんなの、初めて聞いたよ……」
P 「口で言わなくても分かってるだろ!?」
――とても仲がよろしいんですね……(笑)。まず、最新作のことから聞かせてください。『The Orbserver In The Star House』はLee Perryさんとの共作ですよね。お2人にとっても非常にレジェンダリーな方だと思うのですが、そんな人物との共同作業はどのようなものだったのでしょう?
P 「1週間もの時間をLeeとひとつ屋根の下で過ごせたっていうのは、すごくラッキーだったな。今回はドイツの山奥でのレコーディングだったんだけど、何の邪魔も入らない場所だったんだよね。ホテルからスタジオへの移動が必要な場所だと、色々と誘惑があるだろ?何もなくて音楽に集中できる環境だったから、彼は俺たちのグルーヴをすぐに吸収してくれたし、自然に囲まれた環境だったってこともLeeの歌詞に反映されていると思う。そういうコネクションを生み出すには完璧なシチュエーションだったんだ。そこで俺たちは6日間作業して、7日目に家に帰った。聖書に書いてあるみたいだろ?」
F 「曲作りに関するきっかけが、ここそこに溢れたレコーディングでした。特に私が印象的だったのは、夕陽を背にして地面に落ちた私たち3人の影をLeeが指差して、“影は、肌の色なんて関係ないだろう?”と言っていたことです。その言葉からインスピレーションを得て作り始めた曲もアルバムには入っています」
P 「おもしろかったのは、作業する時間帯かな。Leeは夕方6時から朝6時までやろう、って言うんだよ。それはちょっとキツいです……って思った(笑)。間を採って朝2時まで作業することになったんだけど、それに対してLeeは特に何も言わなかったよ。あとはね、レコーディング中、Leeの映画を撮影しているクルーが入っていた関係で彼はずっとピンマイクを付けていたんだけど、お陰でレコーディングをしていない時に喋っていたことなんかも録音されていて。その素材を作品に使ったりもしたよ。Leeって、こっちから話題を変えない限りずっと同じことを考えて集中してるから。撮影クルーがLeeのお世話を色々してくれていてたのも助かったなあ。そんな風に、色んなことがすべてイイ感じに進んだんだよね」
――伝説的な人物が四六時中一緒にいるという状況は、緊張しませんでしたか?
P 「まあね。でも、緊張している暇っていうものがなかったかな。何が起こるか全く予測できない状況だったし、何を期待して良いのかも分からなかった。彼がベルリンの空港に着いたとしても、そのままその日に帰っちゃうかも……なんてことも考えてたし……彼に関する伝説的なストーリーって色々あるじゃない?だから、俺たちは前もっていくつかビートを用意してレコーディングに臨んだんだ。でも、用意していた分の曲っていうのはあっという間に完成してしまって。あと何日もあるね……という中で出来上がった曲を集めたのがあのアルバムなんだ」
――THE ORBは基本、インストゥルメンタルでのダイナミズムを重視していると思うのですが、今回はヴォーカルが引き立つプロダクションになっていますよね。
F 「今回は確かに初めてのフル・ヴォーカル・アルバムではあるのですが、ヴォーカルの扱いよりも、Leeの持つグルーヴを特に重要視しました。彼が与えてくれたものと、私たちが持っているものをどう組み合わせてゆくのか、という部分に意識を置いていたので、ヴォーカル・アルバムだからこうしなければならない、という制約は全くありませんでした。今回の作品は私たちにとって良い実験でしたね。THE ORBは長いこと活動していますから、良い意味でチャレンジがしたかったのです。だから、何が起こるか分からない状態からのスタートというのは本当に刺激的でした。Leeは私たちが想像していたよりもずっと多くのことを与えてくれましたし」
P 「Leeはいつも何かテーマをくれるんだ。“水を飲め”とか。それは“乾き”がテーマなんだけど。サッカーをテレビで観ながら“ボールを蹴れ”ってずっと言っている時もあったな。そういうのだけで十分曲が出来上がるような魅力が彼にはあるんだよ」
F 「そうだね。例えばCDなら74分の収録リミットがありますが、そこには収まりきらない音楽があるんだ、ということを再認識しましたね。今回はヴォーカル・アルバムの体裁を取っているので各曲4分程度の作品になっていますが、実際はいつまでも永遠に続くようなものだったんです。まるで未来の音楽を作っているような感覚がありました」
――お2人がLeeさんの音楽に初めて出会った頃、彼はまだシンガーにはなっておらず、天才的なプロデューサーとして活躍されていたと思います。そんな彼を、プロデューサーの立場で、しかもシンガーとして迎えるというのはどんな気分でしたか?
F 「正直あまりそういった考えは浮かびませんでした。Leeは近年プロデュース・ワークを行なっていませんし、私たちは私たちでトラックを作る、プロデュースする、という行為はごくごく自然なことですから。もし彼がトラック・メイキングに関して意見してくれることがあれば、もちろんそれをオープンに受け入れていたでしょうけど、今回はヴォーカルやアイディアの面に集中してくれていたのだと思います」
――FelmanさんはPALAIS SCHAUMBURGの頃からだと思いますが、THE ORBは当初からレゲエ / ダブを大きなエレメントのひとつとして持っていますよね。お2人のレゲエ初体験をお聞かせください。
P 「俺は、兄貴にPrince Far Iのレコードを聴かせてもらったのがきっかけだったな。俺の考え方が変わった瞬間だった。そこからJoe Gibbsが好きになったり、キングストンのレゲエをチェックするようになったり。その流れの中にもちろんLee Perryもあったわけだけど。でもまあ、俺の育った南ロンドンは、ジャマイカン・コミュニティが本当に大きくてね。うちの隣もジャマイカ人の家で、ミニLee Perryみたいな、放っておけばずっと何か喋ってるような女の子が住んでてさ(笑)。俺の通ってた小学校はドレッドの子ばっかりで、リトル・ジャマイカって呼ばれてたくらいなんだ。だから、そういう要素が俺の中に入ってくるのは自然なことだったんだよ」
F 「私はスイスの出身なので、ジャマイカン・ミュージックとの接点と言えばレコード・ショップしかありませんでした。その点私とAlexとは少し違います。レコード・ショップに通って知識を蓄えてゆく感じでしたから。だから衝撃という意味では、音そのものよりも、映画『Harder They Come』で知ったカルチャーの方が大きかったですね」
――世界的に見て、Patersonさんの住むロンドン、Felmanさんの住むベルリンという2都市は、音楽へのレゲエ浸透度が高い土地であるように思います。両都市には何か共通点があると思いますか?
F 「1970年代のベルリンはそんなことありませんでしたけどね。レゲエの種が世界中に蒔かれて、今のようになったのだと思います」
P 「ベルリンはBasic Channel、Rhythm & Soundがいたからイイ感じになったんじゃないかなあ」
F 「音楽の知識という点ではそうだね。彼らは知識の宝庫だし、文化を広めてくれた功績は大きいと思う。でも、それは生活にジャマイカン・カルチャーが根付いているロンドンとは全く別種のものなんですよ」
P 「そうかもね。アメリカで初の有色人種の大統領が誕生して大騒ぎになったけど、イギリスでは、バルバドス人とアイルランド人の間に生まれたJohn Archerっていう政治家が1913年に既に存在していたんだ。それくらい、ロンドンで有色人種の存在は当たり前だったんだよ。有色人種の捉え方に関して、これはすごく大事なことだけど、英国は吸収した、アメリカは区別した、っていう大きな違いがあると思うな」
F 「そういう部分は今のベルリンと近いところがあるかもしれない。私の友人でも何人かいるのですが、外国人と結婚する方が多いんですよ。異なる文化を受け入れる姿勢はロンドンに似ているのかもしれないですね」
――かつてTHE ORBはBill Laswelさん主催のダブ・コンピレーション(『Axiom Dub / Mysteries Of Creation』)に参加されていましたが、NYにもロンドン、ベルリンと似た環境があると思われますか?
P 「なんだっけ、それ……。あー、君なかなかイイことを思い出させてくれたね。そのコンピレーションに入ってるのは、THE ORBとしての曲じゃないんだよ」
――えっ?どういうことなんですか?
P 「勝手に“THE ORB”って書かれちゃってさ。当時Billも俺たちも同じレーベル(Island Records)に所属していた関係だと思うけど、何故かそういうことになってしまって」
――はあ……そうだったんですか……。
F 「NYついては、1980年代にヒップホップが全盛だった頃、レゲエをそこへ取り入れる動きが一部であったと思うのですが、私はそれがあまり好きではありませんでした。Clocktower Recordsからリリースされているものは気に入っていましたけどね。現在のこととなると私には全く分かりません。Basic ChannelはWackie’sとコネクションを築いていますが、その経緯もよく知りませんし……」
P 「まあ、なんだかんだで結局、実際にジャマイカに行かないとレゲエのあの感じは理解できないってことだと思うよ。ちょっとした会話がきっかけで生まれたものが、あっという間にカセットになってリリースされてるっていう、勢い。俺たちの常識では測れないものがあるんだよね。俺もそういう風になりたくて、パンクロッカーだった当時からジャマイカン・コミュニティに入り込もうとがんばっちゃってたんだ」
――KILLING JOKEに関わられていた頃のことですか?
P 「もっと前かな。1970年代後半だね。ジャマイカン・コミュニティで気に入ってもらえるように、レゲエのベースラインを入れた曲を作ってみたり。一度気に入ってもらえると、いつの間にか扱いがジャマイカンになってるってところがおもしろかったな。そういうやり方がTHE ORBのベーシックになってると思う。やっぱりロンドンに色んなカルチャーが溢れていたっていうのが大きいよ。KILLING JOKEのJaz Colemanはインド人だしね。ちなみに、ロンドンのカレーは最高。ロンドンで一番ウマい食べ物はカレーなんじゃないかな(笑)。インドに行った時に食べたのより全然ウマいよ」
――そんな(笑)。英国のカルチャーで言えば、THE ORBはPINK FLOYDのモチーフをよく用いていますよね。PINK FLOYD本人たちはともかく、彼らを支持したヒッピーと、レゲエやパンクは相反するカルチャーですよね。両者のミックスに抵抗はなかったのですか?
F 「アトモスフェリックな音作りなどからTHE ORBをPINK FLOYDからの影響だと評してくれている方もいらっしゃるようですが、それはかなり表面的な部分なんです」
P 「そうだね。俺たちの“Back Side of the Moon”(1991年のアルバム『The Orb’s Adventures Beyond The Ultraworld』に収録)なんて、本家が聴いたら怒るんじゃないかな(笑)」
F 「そうそう(笑)。音楽的に特別影響を受けたとは思っていません。初期の実験的な姿勢はとても好きでしたが、『The Dark Side Of The Moon』や『Wish You Were Here』の頃にはコマーシャル過ぎて興味を失っていました。まだ私が音楽を始めていない頃の話です。THE ORBは、Alexが持っていたパンクからの影響に、私が長年聴き続けているジャズの影響がミックスされたものが加わって誕生したと考えています」
P 「そうだね。空間的な音作りに関して名前を挙げるとすれば、Brian Enoかな。俺たちはあんなにシリアスではないけどね。彼がベルリンから持ち帰った“アンビエント”って考え方とか、アーティスティックな姿勢には衝撃を受けたよ。Cluster & Enoの素晴らしいアルバムなんかからね。だからPINK FLOYDよりもクラウトロックの影響の方が強いんだと思う。そこは俺たち2人の共通点だね」
――なるほど。先ほどPINK FLOYDのパロディのお話が出ましたが、THE ORBはユーモアも重要な要素のひとつだと思います。暮らす場所も、ご出身も異なるお2人ですが、お互いに笑いのツボがちょっと違うな……と感じることはありますか?
F 「私はスイス出身なので、ユーモアのセンスなんて微塵もありませんね」
P 「そんなことないって。ユーモアがないのはドイツ人だろ?俺はアンタの国の、頭にリンゴ載っけて射る話、結構好きだな。ウケる(笑)」
F 「(笑)。真面目な話に戻しましょう。今回はヴォーカル・アルバムなので特別でしたが、普段の私たちは曲の制作に際して、言葉をほとんど用いず音だけでコネクトしています。音に関するユーモアの共通点は、自然に発生してくるものなんです。ですからそのあたりは何も問題ありませんね。お互いが密かに織り込んでいたジョークに後から気付く、といったことはありますが」
――失礼かもしれませんが、小説家のようなFelmanさんとフットボールが好きそう(実際大好き)なPatersonさん、ルックスからしてお2人はキャラクターが随分違いますよね。THE ORBとして20年以上も仲良く音楽を続けていられる秘訣って何なんでしょう。
P 「そうなんだよな、確かに結構ルックス違うんだよな……。俺はベジタリアンで、Thomasは肉も食べるんだけど、レストランに行って注文して、料理が出てくるだろ?絶対俺の前に肉料理が置かれるんだよね(笑)」
F 「(笑)」
P 「たぶん、長く続いてる秘訣っていうのは、考える必要のないことなんだと思うよ。だってさ、それを考え始めたら、俺、何でこんな奴と音楽やってるんだ!? って気分になってくるだろ(笑)?」
F 「(笑)」
P 「ウソだって(笑)。何だろう、Thomasから学ぶことがなくならないからじゃないかな。常に新しいことを教えてもらって、吸収しているんだよ」
F 「それは私も同じですね。Alexから学ぶことが常に多くあります。離れて暮らしているのが功を奏してるのかもしれません。2人で会う時に毎回フレッシュな状態になっているというのは、長続きの秘訣と言えるでしょうね」