やりたいこと全部やりたい
取材・文 | 久保田千史 | 2015年1月
main photo | ©Ryo Mitamura 三田村 亮
――まずは定石の、お2人の出会いから聞かせてください。中学生の頃からの間柄なんですよね。
テンコ 「そうです。中2で同じクラスになって出会って……ん?違うか」
滝沢 「違うよ。最初に会ったのは笠間先生の数学の授業の時だよ」
――笠間先生知らないです(笑)!
テンコ 「ですよね(笑)。同じクラスではなかったのか?な?」
滝沢 「最初は違うクラスだったんですけど、気にはなっていて」
テンコ 「そうだ。それから中2で同じクラスになったんだよね」
滝沢 「席も隣か後ろかだった気がする」
テンコ 「そうだったっけ……」
滝沢 「早速記憶のすれ違いが(笑)」
テンコ 「でもその時はお互いにまだ、仲良くしようとはしてなかったんだよね(笑)」
滝沢 「色々難しいですからね、女子校は」
テンコ 「そう。“違うグループ”みたいな感じで」
――“グループ”。ありますよね、女の子って(笠間先生は何だったんだろう……)。
テンコ 「そうなんですよ。だからそんなに話してはいなかったんですけど、なんか気になって。まあ、わたしが一方的に気になっていただけで、滝沢さんはどうだったかわからないけど」
――(笑)。どのあたりが気になっていたんですか?
テンコ 「滝沢さんのことは“絵が上手いやつがいるぞ”ってウワサになっていたんですよ」
――滝沢さんは美大に進学されたんですもんね。その頃から絵を描いていらっしゃったんですね。
テンコ 「そう。中学の頃から絵が上手で。それで“いいな”と思って」
――どんな絵を描かれてたんでしょうか。
滝沢 「うーん、何だろう……でも結局○○ちゃんのほうが絵は上手いんですよ(笑)」
テンコ 「ちょっと!○○ちゃんて!その呼び方やめてよ(笑)!」
滝沢 「あっ、ごめん。テンテンコさんだよね(笑)。実際はテンテンコさんのほうが絵が上手なんです」
テンコ 「いやいや、そんなことないでしょ!それで描いてもらったんですよ。絵を」
――何の絵?
テンコ 「その頃わたしRIP SLYMEが好きだったので、RIP SLYMEの絵を描いてくれって頼んで」
滝沢 「あ~、やたらRIP SLYME描いてた気がする(笑)」
テンコ 「それがめちゃめちゃ上手かったから、すげー……って感動したんですよ。そこからだんだん仲良くなった気がする。手紙のやり取りも始まって。女子校ならではの感じで。授業中は手紙書いてるみたいな」
――ちっちゃく折るやつですよね。
テンコ 「そう。折るやつ(笑)。それを続けているうちに、一緒にライヴに行ったりするようになって。色々行ったよね」
滝沢 「うん。でも一番最初に行ったの、何だったか思い出せないんだよね……」
テンコ 「わたしは覚えてますけど」
滝沢 「えっ、すいません(笑)」
テンコ 「SPARTA LOCALS観に行ったんだよ」
滝沢 「ああ~、Bessie Hall(北海道・札幌)かあ」
テンコ 「そうそう。SPARTA LOCALSが中学生くらいの頃に流行って……はいないか」
滝沢 「流行ってはいなかったよ(笑)」
テンコ 「うん(笑)。彼らが札幌に来ることになって、“観に行ってみようか!”っていうのがたぶん初めて。それから2人で色んなところに行くようになったんです。高校生になってからはフェスに行ったりね。本当は中学生の時から行きたかったんだけど」
滝沢 「そう。親に中3の時にダメ!って言われて、1年間待って(笑)。初めて行った時、怖いこともあったよね」
テンコ 「あったね~!テントを持っていかなかったが故に、知らない人のテントに泊まるという……」
滝沢 「両腕にすごい刺青入ってる人だったんだよね(笑)」
テンコ 「怖かったね。危ないことしたよね」
滝沢 「でも良い奴だったんだよ」
テンコ 「うん、良い奴だった。テントはびちゃびちゃだったけど」
滝沢 「2回目は自分たちでテント作ったんだよね」
――毎年行ってたんですね。
テンコ 「はい。大学生になってからも行ったよね」
滝沢 「行った行った」
テンコ 「でもだんだん体力が追い付かなくなってきて……出てるバンドもわからなくなってきちゃったし(笑)。あれ?みたいな」
滝沢 「そうなんだよね(笑)」
――行き始めた当時な何を目当てに行っていたんですか?
滝沢 「ゆらゆら帝国かな」
テンコ 「そうだね。かっこよかったな、夜のゆら帝」
滝沢 「あとは特に何が目当てということもなかったけど、フロリダの名前の由来はフェスでの出来事なんだよね」
テンコ 「あ~!サンパウロね!そうそう。それを目当てにしていたわけではなかったんですけど、The SunPauloっていう、佐藤タイジさん(THEATRE BROOK)がやってるバンドが出ていて、すげーかっこいいと思ったんですよ。夜中に小さいステージでやっていて、独特の世界観で」
滝沢 「ちょっとボヘミアンで、民族っぽい感じなんだよね」
テンコ 「衣装もそういう感じでね。夜中だから人もそんなに集まっていなかったんですけど、めちゃめちゃかっこよかった。高校時代は他にも、色んなところに行ったよね。お芝居とか、変わったお店とか。2人ともチャリ通だったから、自転車を乗り回して。札幌中の路地を」
滝沢 「市電も乗り回してね(笑)」
テンコ 「市電ね!そうそう。札幌のヘンなところは行き尽くそう!みたいな感じで、気付いたらけっこう深いところに辿り着いていて……。今振り返ると、2人ともたぶん、若くて怖いものなんか全然なかったんですよ。これはわたしの捻くれた解釈なんですけど、若いだけでチヤホヤされるぞ!っていう。今も当時の捻くれた性格は若干残ってますけど(笑)」
滝沢 「そうだね、どこかに行くだけでチヤホヤされる(笑)」
テンコ 「地方独特のものなのかもしれないですけど、みんな優しくて、おもしろがって色々教えてくれてくれるんですよ。それを今吸収しないと!って思ってましたね。実際色んなものに興味があったし」
滝沢 「そうだね、今何かやらないと!って思ってたよね。今“盗んでやろう”くらいの感じで」
――そうなんですね、滝沢さんちょっとイメージ違うかもしれないです。
滝沢 「ゴリゴリだったんですよ(笑)」
――どんなところによく足を運んでいたんですか?札幌って、独立したカルチャーがたくさんありますよね。例えば……SCHCとか。
滝沢 「COUNTER ACTIONみたいなシーンには行かなかったよね」
テンコ 「そうだね、ハードコアは行かなかったね。何だろう……テニスコーツがよく札幌に来ていたから、そういうのに行ってました」
――テニスコーツと一緒にやられていた高橋幾郎さん(光束夜, 血と雫, 不失者, MAHER SHALAL HASH BAZ ほか)は札幌の方ですもんね。
滝沢 「そうですそうです。二階堂(和美)さんとさやさんのやつ(にかスープ&さやソース)とかも観に行きましたね」
――昨年の12月にフロリダは夏の大△を迎えてクリスマス・イベントを開催していましたけど、メンバーの大城(真)さんはテニスコーツのエンジニアとしてもご活躍されていますよね。実は札幌時代からお知り合いだったとか?
滝沢 「いえ、そんなことはないです。でも札幌でライヴは観たことはありました。大城さん、ディジェリドゥ吹いてた気がする。すれ違いながら、ずっと近くにはいたのかもしれないですね」
――それからお2人とも東京の大学に進学されるわけですよね。
滝沢 「わたしは1年間浪人したので、○○ちゃん……テンテンコさんから“先に東京行くねー”みたいなメッセージをいただいて(笑)」
テンコ 「そう、わたしが先に東京に出てきたんですよ」
――札幌時代、一緒に音楽活動をすることは無かったのですか?
テンコ 「カセットを作って売ったりしたよね」
滝沢 「何本か作ったね」
テンコ 「リリースと言えるような感じのものでもないんですけど。作ったものをそのまま売ってたので、2人とも今は持ってないんですよ。札幌にweird-meddle recordっていうお店があったんですけど、そこに置いてもらっていて。わたしたちが色んな音楽を知るきっかけになった場所でもあるんですけど」
――テープの内容はどんなものだったのでしょうか。
テンコ 「おもちゃの音とか、お菓子食べてる音とかを録音して……」
滝沢 「食べた食べた。ポテチね。あとお金の音とかを録って、ピンポン録音して」
――NURSE WITH WOUNDとかTHROBBING GRISTLEみたいな……?
テンコ 「あー、そうですね」
――そういう音楽がお好きだったんですか。
テンコ 「当時ちょうどTHROBBING GRISTLEのBuddha Machine(FM3『Gristleism』)が出た頃で、めちゃめちゃ衝撃を受けたんですよ」
――今でもフロリダのライヴではBuddha Machineが使われてますよね?
テンコ 「そうです、Buddha Machineの元ネタになった中国の“念仏機”っていうのを使ってます。本当はフロリダのBuddha Machineを作りたいんですよ」
滝沢 「そうだね。テープはそういう発想で作ってました(笑)」
――当時、ライヴはやっていたのでしょうか。
テンコ 「ライヴは全然考えていなくて。ただ作りたいから作った、っていう感じでした」
――なるほど。ワンショット、ワンオーナーのノイズテープ作りみたいな感じだったんですね。その時のお2人の名義は?
テンコ 「フロリダ」
――えっ!フロリダってリユニオンだったんですか!歴史長いんですね(笑)。
滝沢 「そうなんですよ、再結成なんです。実は(笑)」
テンコ 「5、6年潜伏して(笑)」
――しかし、滝沢さんは現在のソロでの音楽性を考えると、お菓子食べてる絵面とのギャップがハンパないですね。
滝沢 「たしかに。お菓子のことは今の今まで忘れてました(笑)」
――フォーキーなスタイルになったのには何かきっかけがあったんですか?
滝沢 「本当は、お菓子食べる流れでやりたかったんですよ。ちょうどTENORI-ON(Yamaha)が発売された頃で、お店に置いてあるのを見て、こういうのを使ったらおもしろいだろうな、とか思ってたんですけど。Phewさんとか好きだったし」
テンコ 「でも今めっちゃギターでやってるじゃないですか(笑)!」
――そうですよねえ。なぜギターを手に取ったのでしょう。
滝沢 「やっぱり東京は違ったんですよ。東京に来てから、同じようにおもちゃの音とかで音源を作ってみたんですけど、人に聴かせた時の反応が全く違って。札幌だったらすぐにおもしろがってもらえたんですけど。そもそも他の人がみんな上手で。ヤベー……って思って、ギターを持った感じですね(笑)」
――Linda Perhacsとかね、そういうイメージでやっていらっしゃるのかと思っていたんですけど、そういうこともなく?
滝沢 「全然そうじゃないですね。憧れのギタリストや歌い手がいるわけではなくて。なんか……焦ってやりましたね」
テンコ 「あはは(笑)」
――テンコさんは東京に出てきてから、pool(東京・桜台)によく足を運ばれていたんですよね。
テンコ 「よくというほどでもないんですけど、近かったんで。家が」
――それはやっぱり、エクスペリメンタルなものが好きで、ということ?
テンコ 「そうですね、なんかおもしろいところがあるな、ってずっと気になってて。でも初めて行くときって勇気が必要じゃないですか。ああいう場所って。札幌でもないし。だからなかなか行けなかったんですけど……初めて行った時って、たぶん一緒に行ったよね?」
滝沢 「うん、アー写で使ってるのって、初めて行った時の写真だと思うよ」
テンコ 「そっか。そこから少しずつ行けるようになって」
――最初は何を観に行ったんですか?
滝沢 「最初の時は、紐泡霧のbikiさんが出てたよね」
テンコ 「うん、神田(聡)さんも出てたと思う。あとゆら帝の柴田(一郎)さんもいた気がする」
滝沢 「いたよね、うんうん」
――その口調だと、その頃もゆら帝はお好きだったんですね。
テンコ 「好きだよね~」
滝沢 「うん」
テンコ 「世代もあると思いますよ」
滝沢 「それは間違いないですね」
――テンコさんはその頃、バンドを始められたんですよね?
テンコ 「はい。一瞬なんですけど。滝沢さんが東京で活動をし始めて、poolでライヴをやったことがあったんですよ。近所だから観に行ったら、男性とデュオで出ていて」
滝沢 「そうだった、忘れてた(笑)」
テンコ 「土屋(光)さんていう、今HEADZで働いていらっしゃる方なんですけど」
――SNAC(東京・清澄白河)もやっていらっしゃる、あの土屋さん?
テンコ 「そう!当時土屋さんは“箱入り気分”ていうバンドのサポートでドラムを叩いていたんですけど、そのバンドのヴォーカルがいなくなっちゃって、ライヴ決まってるのにヤバい!みたいな状態になっていたんですよ。わたしはその日、フツーにお客さんで観に行っただけだったんですけど、後日ヴォーカルやりませんか?みたいな連絡が来て。わたしの歌なんか完全に聴いたこともないのに」
滝沢 「気になったから声をかけたらしいです」
テンコ 「でも当時わたしは何もやってなくてヒマだったし、大学生だし、まいっか、みたいな感じで加入して。わたしが入ってからはU.F.O. CLUB(東京・高円寺)とか無力無善寺(東京・高円寺)とかに出ました。その時に痛感したのが、わたしたちがライヴをやっているのに、なぜか自分がお金を払うということへの憤りだったんですよ」
滝沢 「ノルマね」
――それは……バンドあるあるですね(笑)。
滝沢 「わたしはあまりライヴハウス的なところには出たことがなかったので、そういう思いはしなかったんですけど」
テンコ 「わたしはどうしても許せなくて。ライヴに出させていただけることはすごく嬉しかったんですけど、なんでわたしが払わなきゃいけないんだ!ってすごく腹が立って。お客さんがいないのがすごく悔しくて。お客さんを呼べないのが悪いのはわかるんですけど、これじゃあ続くわけがないと思ったんですよ」
滝沢 「そうだよね、スタジオ代とかもあるもんね。わたしはバンドやってた時、スタジオ代を払うのが嫌で(笑)」
――滝沢さん、バンドもやっていらっしゃったんですか。
滝沢 「HALBACHっていうバンドに一時期いたんですよ。テンテンコさんの箱入り気分と同時期くらいに」
テンコ 「スタジオ代はまあ、練習だから良いんだけどさ、自分でお金払ってライヴをやるっていうシステムだけが本当に嫌で。だから、お客さんに来てもらうためにはどうすれば良いか考えて、どういう形でもいいから1回観てもらわなきゃいけないと思ったんですよ」
――それでDear☆Stage(東京・秋葉原)に入られたんですね。
テンコ 「そうです。とりあえず1回観てもらえば、そこから広がるんじゃないかと思って。その時は何もわからなかったから。当時はアイドルのこと全然詳しくなかったんですけど、でんぱ組.incとBiSだけは気になってたんですよ。たぶんTwitterでわたしがフォローしている人が好きだったからだと思うんですけど。それで全然知らないままディアステに入って。そこに行ったら観てもらえると思って入ったものの、お店の中で歌っているうちに、もっと外にも出られるんじゃない?とか思っちゃって(笑)。その時にちょうどBiSのオーディションがあったんです。本人たちに会えるオーディションだったから、ちょっと見てみたいな~と思って受けに行った感じですね(笑)。単純な興味もあって」
――でも、BiSの加入も志あってのことだったんですね。
テンコ 「うん。BiSはわたしが入る時から解散が決まってたし、おもしろいきっかけになるんじゃないかな、と思って。今後わたしがずっと続けていきたいことのためにも、良い経験になるかな、っていう」
――ノルマという制度が2人の運命を分けたという……。
テンコ 「そうですね(笑)」
――そういうテンコさんを、滝沢さんはどう見ていらっしゃったんですか?
滝沢 「このまま、どうなっていくのか……って……(笑)。でも今の話を聞いて改めてすごいと思いました。わたしはお客さんが全く入らなくても、それに対して何も思っていなかったので。そう思わなきゃダメだったんだろうな……って」
――う~ん。でも音楽活動に対するスタンスって、人それぞれ色々ありますからね。
テンコ 「そうですよね」
――その点では、お2人けっこう対照的なんですね。
テンコ 「たしかに。そうですね」
滝沢 「でも、でも、『ゴッドタン』(テレビ東京系)に出てるのを見て、めっちゃ羨ましかった。わたしもめっちゃ出たい!って思った」
テンコ 「えっ?そこ(笑)?」
滝沢 「すごいな、めちゃくちゃ羨ましいな、っていうのは常に思ってました」
テンコ 「へえ……」
――その羨ましさが、妬み嫉みに変わっていくようなことはなかったんですか(笑)?2時間ドラマみたいな感じで。
テンコ 「あはは(笑)。やだ~」
滝沢 「う~ん、妬んでもねえ……どうにもならないから……。でも、フロリダとして2人でやりたいね、っていうのはずっと話してたんですよ」
テンコ 「そうだよね、何年も。単純に“違う”んだよね。原点であるフロリダとBiSは全く別物だと思ってたし。BiSはBiSでおもしろかったですけどね」
――BiSでパフォーマンスすること自体にはやり甲斐を感じていたわけですよね。
テンコ 「はい」
――そうじゃなかったらやれないですよね、きっと(笑)。
テンコ 「絶対そうだと思いますよ(笑)」
――渡辺淳之介さんの無茶な要求とか、しんどくなかったですか?
テンコ 「そうですね……ツアーとか基本しんどかったですね」
――自分で運転して行くやつとか。
テンコ 「はい。本当に病気になったんで、みんな」
――がんばりましたね……。
滝沢 「うん、壮絶だ……」
テンコ 「いやいや」
――滝沢さんも入りたいと思いました?
滝沢 「思わないです(笑)」
――BiSが解散するにあたって、マネジメントに頼らず独りでやってゆくことを発表されて、研究員の皆さんはきっとびっくりされただろうと思います。でも結局、加入する前からそうなることは決まっていた感じなんですね。元に戻っただけというか。
テンコ 「そうですね。でも、けっこう悩みはしたんですよ。BiSには言うても1年ちょっとしかいなかったし、もう少しこういう期間が長くてもいいのかな、って。でもそれをやると、きっともう少し、もう少し、ってズルズルしちゃうと思ったんで。ここですっぱり止めようって決めて。もう全部自分でやるしかない、って」
――そうですね、長くなると今度は抜けるのが大変になりそうですもんね。
テンコ 「あと、年齢もどんどん上がってくるし」
――年齢ですか……。僕はおばあちゃんになってもやっていて欲しいって思いますけど。まあビキニ(BiSラストシングル「FiNAL DANCE / nerve」2014)とかは多少キビしくなるのかもしれないですね……(笑)。
テンコ 「ビキニはまあ、できなくてもいいですけど(笑)」
――滝沢さんはテンコさんのビキニ、どう思いました?
滝沢 「フツーになんか、良かったですよ。良い写真だな、っていう感じで」
――そうですね、良い写真でしたね。
テンコ 「わたしも気に入ってました(笑)」
滝沢 「すごく良かったよ(笑)」
テンコ 「あれはBiSが3年間かけて、わたしは1年間だけでしたけど、散々ヘンなことばかりやって、最後にアイドルっぽくビキニになるっていう壮大なギャグだったわけですけど、それをみんなわかって見てくれてたのが良かったですね。おもしろかった」
―― “BiSのテンテンコ”という印象はやっぱり強いと思いますし、そのイメージでフロリダを観に来られる方もたくさんいらっしゃると思うんですけど、そういう方々に……それこそ夏の大△のようなアヴァンギャルドなものを知ってもらいたいという意思もあるのでしょうか。
テンコ 「それはめちゃめちゃあります。わたしがおもしろいと思ったものを発信したいっていう気持ちがずっとあって。余計なお世話かもしれないですけど(笑)」
――そんな、僕がこうして取材しているほうがよっぽど余計なお世話じゃないですか。
テンコ 「何言ってるんですか(笑)?昔『ポンキッキーズ』(フジテレビ系)が大好きだったんですよ。子供向けの番組ですけど、ちょっと変わった人とかおもしろい人がたくさん出ていて、その人たちを逐一説明しなくても、ちゃんとそれぞれの魅力を伝えていたと思うんです。そういうことをやってみたいと思っていて。それで企画を何回かやってるんですけど」
――“ブタゴリラ”ですね。
テンコ 「そうです。わたしがおもしろと思った人をいっぱい観てもらいたくて。それが先々どうなるかはわからないんですけど、わからないからこそ、ひとつのデカいシーンみたいになったらめっちゃおもしろいな、と思ってやっていて」
――やっぱり志高いですね。
滝沢 「ねえ。大きい野望ですよねえ」
――そこにBiSで培ったリソースを全部投入してやれ、みたいな。
テンコ 「そうですね。そもそもBiSとかでんぱ組が好きな人って、もしかしたらわたしと同じものが好きなんじゃないかな?と思っていたところが若干あったんです。BiSとかでんぱ組って、わたしが観て興味持ったように、音楽が好きな人が好きになる傾向がある気がしてたんですよ。だから、わたしがおもしろいと思うものはみんなにも見せたいし、観ておもしろいと思ってくれたら嬉しい」
――しっかりしてますね。
滝沢 「明確ですねえ」
――逆に滝沢さんは、『私、粉になって』のイメージとフロリダでかなりギャップがありますよね。ラップしてる!とか。テンコさんにやらされてるんじゃないか?と思っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
滝沢 「あ~、なるほど」
テンコ 「たまに言われます。“やらせてるだろ!”って(笑)。わたしはそこ、ちょっと心配なんですよね……」
滝沢 「大丈夫だよ。わたしは人からどう見られてる、見られたい、っていうのを、全く無視してやってるから……」
――実際は自分の意思でやっているわけですよね。
滝沢 「そうなんですよね」
――ソロでもライミングが活きた歌唱をされてると思うんですが、ラップには元々興味があったんですか?
滝沢 「いえ、全然ないです……。超しっかりしてない感じ(笑)」
――ぱっと見、滝沢さんは熟考の上で何かをやっている印象なので、そのノープラン感は意外です(笑)。
滝沢 「ノープランではないんですよ!段階というものを踏まえずに活動をしているので、外から見られた時に“この人は今、何をやりたいんだろう?”って、全く見えてこないんだと思います。形になったものは、何かと紐付けて出すことはできるんですけどね。『私、粉になって』だったら“ソロの女の子がやってる歌もの”とか。レーベル(なりすコンパクトディスク)のオーナーはそういう流れに位置付けてると思います」
――柴田聡子さんがレーベルメイトですもんね。それは受け手のイメージでしかないということでしょうか。
滝沢 「まあ……言ってしまえばそうですね……(笑)。オーナーもそれは理解していると思います。だから、わたしのCDはどんな人が聴くのかな?って謎なんですよね。聴いていただけるのはすごくありがたいんですけど、誰が聴きたがるんだかわからない……。フォローし難い人材で申し訳ない」
――何を言っているんですか(笑)。テンコさんは、『私、粉になって』のリリースをどう受け止めましたか?
テンコ 「すげー!と思ってました。滝沢さんがパソコンで焼いた、デモのCD-Rはいつももらってたんですよ。それは1つ1つ自分で印刷して、詰めて、みたいな手作りCDだったから、製品として形になっているのを見て感動しました。それに、決意表明にも思えたんです。BiSをやっている時はなかなかライヴに行けなくて、滝沢さんがこれからどう活動していくのか、先のことに対してどんな気持ちなのか、よくわからなかったんですよ。でもCDが出たことによって、これからも音楽を続けていくんだな、って感じて。一緒にやろう!って誘っても応じてくれるんじゃないかな、って思えてすごく嬉しかったんです」
滝沢 「お~~……」
――泣かせますね……。
テンコ 「(笑)。それがちょうどBiSが終わる直前のことだったから、タイミングも良かったんですよね」
――そして念願のフロリダ再結成。再びの始動にあたって、何かコンセプトのようなものは定めたりしましたか?
滝沢 「昔やりたいと思っていたことに、なるべく近づけるような感じで」
テンコ 「そうだね。だから、明確に“こういうもの”っていうのはないんですよね」
――なるほど、フロリダはその方が楽しいですね。“この2人は一体どうなってしまうんだ?”っていう。逆にそこが不安になる方もたくさんいらっしゃるとも思いますけど。
テンコ 「まあ、たくさんいるでしょうね……(笑)。う~ん」
滝沢 「うん。でも基本的に、わたしはテンテンコさんがおもしろいと思うことを尊敬してるから。自分をどんどん出すというよりも、その“おもしろい”をやりたいと思ってるんです。フロリダに関しては」
テンコ 「そうなの?マジで?初めて聞いた……」
滝沢 「それをわたしもおもしろがってるんだけどね」
テンコ 「そっか。たぶん、同じものをおもしろいと思うんだよね。昔からそういうところがあったと思う。好奇心旺盛な時代に一緒にいたから、同じものがどんどん好きになって。だからすぐに話が通じる。滝沢さんにこれおもしろくない?って言われたら、絶対おもしろいもんね」
滝沢 「背景が似てると、共通言語が多いからね。明確なコンセプトがなくても、お互いにおもしろいと思う部分が重なるし」
テンコ 「お互い、出してきたものが絶対ツボにハマるみたいなところが昔からあったもんね」
――まあ、友達っていうことですよね。
滝沢 「たしかに。まとめるとそうですね(笑)」
テンコ 「そうだね(笑)」
――そういうの、素敵だと思います。お互い、ソロは今後どうなる予定なのでしょうか。それぞれ現在のスタイルで続ける?
滝沢 「そうですね……ソロは続けますけど、どういった形でやるのかは今探っている最中です。色々試してはいるんですよ。歌が全くないライヴだったり、台詞だったり。模索を続けながら、これまでの歌ものスタイルも、もっと聴いてもらえるようにがんばります(笑)」
――テンコさんは?
滝沢 「めっちゃ気になる!」
テンコ 「わたしはやっぱり、TGとかノイエ・ドイチェ・ヴェレとかが好きなんで、そういう感じのものを自分なりにやれたらいいな、とは思っていて、試行錯誤中。それと併せて、今のところ自分では出来ないもの、『Good bye, Good girl.』もそうですけど、わたしの好きな人にお願いして楽曲を作っていただく、ということも定期的に続けたいです」
――タイトル・トラック「Good bye, Good girl.」を作曲されている方が誰なのかは、一応、内緒なんですか?
テンコ 「まあ、好きな人にはバレてると思うんで(笑)。今後も、作ってもらうほうの曲はテクノ歌謡っぽいものが良いですね。そういうのもすごく好きなんで」
――ソロのライヴではアポジー&ペリジー(三宅裕司 + 戸川 純)のカヴァーをやったりしていますもんね。
テンコ 「はい。あれのトラックはわたしが作ってるんですよ」
――色々やることがあって大変そうですね……。
テンコ 「大変は大変ですけど……。でもやりたいこと全部、やっていけるうちにやりたいと思う」
――次に楽曲の制作を依頼する人は、もう誰か想定しているんですか?
テンコ 「たくさん考えてる人はいるんですけど……でも今話をしてみようかな、と思っているのはサエキけんぞうさん。BiSが解散する前に、ぐしゃ人間の方に誘っていただいて出たトーク・イベントでサエキさんとご一緒して、意気投合したんですよ。だから作ってもらえたらいいな、とは思うんですけど……。今さら何だよ!って思われそうで恐い……」
滝沢 「サエキさんの曲すごく合いそうだよ!良いよきっと」
テンコ 「そうなるといいな……。アタックしてみます。手紙書こうかな」
――ちっちゃく折る手紙じゃなくて(笑)。
テンコ 「ちゃんとした綺麗なやつです!あとカメラ=万年筆の人にもお願いしてみたいな」
――カメラ=万年筆は滝沢さん周辺を通じてお話できそうですよね。色々環境整ってますね。こうなることを中学高校時代から2人で企んでいたみたいに(笑)。
滝沢 「あはは(笑)」
テンコ 「(笑)。でもそういうところはあるかもしれない」
滝沢 「そうだね」
テンコ 「フェスのデカいステージを観ていて、だんだん、観るのが嫌になってきたもんね。出る側になりたい!って」
滝沢 「そうだったそうだった。そういう時あったね。不意にね。今、あの頃の感覚を取り戻してきた(笑)」
――(笑)。でもだんだん、近づいてるんじゃないですか?
滝沢 「全っ然(笑)」
テンコ 「まだまだこれからですよ」
テンテンコ Official Site | http://tentenko.com/