Interview | HELLCHILD


地獄童物語

 MESSIAH DEATHやNECROPHILE、TRANSGRESSORらと共に日本デスメタル黎明期を支えたバンドとしてのみならず、三多摩エリアのハードコアパンクとリンクする東京のバンドとして、CORRUPTEDやMULTIPLEXらとの共闘でSxOxB以降のエクストリーム・ミュージックを知らしめたパイオニアとして、パワーヴァイオレンス全盛の1990年代グローバル・ハードコア・シーンを駆け抜けたメタル・バンドとして、もしくは今や名門となったJacob Bannon(CONVERGE)主宰Deathwish Inc.の第1弾アーティストとして、圧倒的な存在感を放った異形、HELLCHILD。獰猛かつ内省的なスタンスでも異彩を放った彼らの原点と言うべき1992年の初CD作品『...To The Eden』が、結成時から同作までの貴重なデモ音源を収録するボーナス・ディスク付きのリマスター・ヴァージョンとなって4月にリイシュー。極初期のロウなスラッシュメタルから、デスメタルの向こう側へと飛び立つまでの変化を、一挙に味わえる内容となっています。これを記念して、Ritual Recordsを主宰し、HELLCHILDのプロデューサー / マネージャーとして共に歩んだ“Jumbo”こと早川朋尾氏と、HELLCHILDのメイン・コンポーザーにして名ギタリスト・鈴木英一郎氏に、結成当初からの思い出と、未来の展望を語っていただきました。

取材・文 | 久保田千史 | 2016年4月


――『...to the Eden』のリイシューおめでとうございます。オリジナルのリリースから20年近く経ったわけですね。

Jumbo 「24年ですね」
鈴木 「この頃はまだ20代前半でしたから」

――HELLCHILDは、結成から1992年の『...to the Eden』リリースまで数年の歳月を要していますよね。結成時からのお話をお伺いしてもよろしいでしょうか。
鈴木 「結成は高校3年生のときですね。中学が一緒だったドラムの内藤とヴォーカルの細野(孝正 / ゾスキア)と一緒に始めました。お互い違う高校に通っていたんですけど、たまたま道端で出会って、ノリでスタジオに入ることになった感じですね。2人はよくEXPLOSION(東京・神楽坂 / 現・TRASH-UP!!)にジャパメタのライヴを観に行ってたらしいんですよ。REACTIONとか、あのあたり。僕は海外のスラッシュメタルを聴くことが多かったんですけど」

――ライヴにも足は運ばれていたんですか?
鈴木 「高校生の頃はあまりライヴには行かなかったですね。サッカーやってたんで(笑)。ライヴを観るようになったのは、CASBAHがメイクを取るか取らないかくらいの頃だと思います。高校時代は平日サッカーの練習をして、日曜日になると親から上手にくすねた金でレコードを買いに行く、みたいな生活でした(笑)。毎週、KINNIE(キニー, 東京・新宿 *1)っていう輸入盤のレコード屋に通って。バンドを始めてから、何の縁だかDISARM(*2)とかとツルみ出して、GENOA周辺にどっぷり入って行った感じです」
Jumbo 「僕は同級生の奈良崎(伸毅 aka Narasaki / 臨終懺悔, COALTAR OF THE DEEPERS, DEF.MASTER, 特撮)に連れられてEXPLOSIONに行くようになったあたりでHELLCHILDを知りましたね」
鈴木 「そうそう、同年代の友達はジャパコアが多かったですね。臨終懺悔とか」
Jumbo 「ハードコアの奴らも当時けっこうEXPLOSIONに集まってたんですよ。まあでも、単に同世代で集まってる、みたいな感じだったのかな」
*1 DISCLANDに改名後、1990年代前半に閉店
*2 後のDRASTIC GUNSMITH

――メタルヘッズとパンクスが仲悪い、みたいなことはなかったんですか。
鈴木 「そんなの全然ないですよ。HELLCHILDはパンク系の対バンのほうが多かったかもしれないですね。半々くらいかな」
Jumbo 「同世代では、ハードコアの人たちもスラッシュメタルを聴いてたし、スラッシュメタルやってる人もハードコアは聴いてたし。別に敵対するようなところはなかったですよ」

――当時のHELLCHILDは、再発盤にも収められているデモでも聴けるように、スラッシュメタルだったわけですよね。
鈴木 「そうですね。スラッシュメタル。METALLICAよりもSLAYER、KREATOR、DESTRUCTIONみたいな感じ。周りはみんなMETALLICAって言ってたけど、METALLICAなんて軟弱だろ!みたいな。今聴くとMETALLICAすごいな、って思うんですけどね(笑)。高校生のときにSLAYERの2ndが大好きになっちゃって」

――デモは恥ずかしながら今回の再発で初めて拝聴したのですが、DESTRUCTIONもそうだし、初期のSEPULTURAとか、SARCÓFAGOみたいな感じもあって、めちゃくちゃかっこいいですよね。
鈴木 「あはは(笑)。ありがとうございます」
Jumbo 「細野はBATHORYとか、KREATORの1stが好きだったよね。HELLCHILDの1stデモに入っている“Endless Pain”ってタイトルはそこから取ってるんだと思いますけど(笑)」
鈴木 「DARKNESSとか、TANKARDとか、そういう速いジャーマン・スラッシュが好きだったね、細野は。僕はあと、GASTUNKとENGLISH DOGSがとにかく好きでした。高校の学園祭ではGASTUNKとか、THE CLAYの“The Middle East Combat Area”とか演りましたね」

HELLCHILD

――高校の学祭でTHE CLAYってシブくないですか?早熟ですね……。
鈴木 「そんなことないですよ。当時、深夜番組にGASTUNKとか出てたんで。HILLBILLY BOPSっていうロカビリー・バンドのヴォーカルがやってた番組に“インディーズ・フェスティバル”が出てきたり。あとは『DOLL』を立ち読みしたり……『ロッキンf』にもよくスラッシュメタルが載ってたんですよね。CASBAHとかJURASSIC JADEとか」
Jumbo 「SACRIFICEとかね」
鈴木 「うんうん。そうやってなんとか情報を集めて。新宿に行けばそういうレコード屋さんもありましたし。直接ジャケットを見て、裏の写真でメンバーが着ているTシャツをチェックしたり。そういう買いかたでしたね。EXODUSの1stとかはジャケが強烈で買ってみるとか。でも結局、本当に良いと思えるものにはなかなか出会わないんですよね。KREATORの2ndだって最初なんだこれ?って思ったし。聴くうちに好きになりましたけど」
Jumbo 「試聴もなかったしね」
鈴木 「店内で流れてるくらいだったよね」
Jumbo 「でもKINNIEは爆音で流してたから、そこでかっこいいと思って買うと失敗するんだよ。家に帰って聴いてみたら、アレ?っていうことが多かった(笑)」

――でもたぶん、いきなり『Hell Awaits』にはいかないじゃないですか。それ以前に、音楽が好きになるきっかけみたいなことはあったのでしょうか。
鈴木 「それはやっぱり、KISSですね。小学校4年のときに初めて聴いたKISS。同級生の兄貴が好きで。とりあえず血吐いたり、見た目からすごいじゃないですか。なんだこれ?みたいな(笑)。その頃、従兄弟がよくパチンコ屋に連れて行ってくれたんですけど、そこにKISSのシングルが置いてあって」

――ああ、景品で。
鈴木 「そうそう。“Shandi”(*3)のシングルが、初めて手に入れた洋楽のレコード。玉を拾い集めて交換したから、お金は出してないんですけど(笑)」
*3 『Unmasked』(邦題『仮面の正体』 / 1980)収録

――もしかして、ギターを始めたきっかけもKISSだったりするんですか?
鈴木 「本当にそうなんですよ。中3のときに内藤とバンドを組んで、KISSの曲を3曲やりましたね」

――そこから数年であっという間にスラッシュメタル。
鈴木 「そうですね。高校生って、血気盛んな時期じゃないですか(笑)。とにかく激しいものを探してました。もっとないのか?みたいな感じで」

――デモでも聴けるように、HELLCHILDの音楽性も徐々に変化してゆきますよね。
鈴木 「まあ、僕が曲を作っていたので、そのとき好きなバンドとか、影響されたバンドによって曲を変えていたのは事実ですね」

――でも、何かを境に全体的な雰囲気が大きく変化したような印象も受けます。
鈴木 「最初のデモはほとんど勢いだけで作ってた感じだったんですよ。真面目にバンドをやるというよりは、“とにかく激しいことをやってやる”っていうノリだったんです。でも2ndデモを作っていた頃、大学2年くらいかな、そのときには“音楽でやっていきたい”みたいな気持ちになっていたんですよね」
Jumbo 「2ndデモを出した頃、こいつが“もう速い曲はあまりやりたくない”たいなことを言っていたのを覚えてますよ。むしろもっとミドルテンポの曲を作りたいって。2ndデモは、そういう感じの曲調になってますよね。変わってきた。最初聴いたときは、遅くね?って思ったけど」

――“音楽でやっていきたい”という気持ちと、ミドルテンポへの変化にはどんな関係があるのでしょうか?
鈴木 「やっぱり、速いだけだと能がないな、って思って(笑)」
Jumbo 「当時EXPLOSIONで一緒にやるバンドは、基本みんな速いじゃないですか」
鈴木 「うん。速いと埋もれちゃう。それに、もっと内面から出てくる熱いものを表現したかったんですよ。あとはやっぱり、“良い曲”が書きたくて。ただ速いだけじゃなくて、練った曲を作るという考えかたになりましたね」

――『...to the Eden』リリース時に、関根成年さん(C.S.S.O., BUTCHER ABC / Obliteration Records / galeria de muerte)が発行されていたファンジン『Circle of the Grind』のインタビューでは、PARADISE LOSTやCONFESSORがお好きだと発言されていますよね。スローダウンにはそういう影響もあったのでしょうか。
鈴木 「それは相当あったと思います。CONFESSOR、ハマりましたね。今でも好きでよく聴きますし」
Jumbo 「CONFESSOR好きだったね。PARADISE LOSTの『Gothic』も当時、相当ハマってたよね」
鈴木 「PARADISE LOSTは1stから好きだったんだよ」
Jumbo 「この人はそういう遅い、ちょっとドゥーミーなものに反応するのが早かったと思いますよ。遅くなったAUTOPSYのシングル(『Retribution For The Dead』1991)にも反応してたし。俺は遅っせー!と思ってたけど。こいつは“それがかっこいい”って聴いてましたからね」

HELLCHILD '...To The Eden', 1992
HELLCHILD ‘...To The Eden’, 1992

――調べてみたら、AUTOPSYとHELLCHILDって結成年が一緒なんですよね。
鈴木 「あっ、そうなんですか(笑)」

――やっぱりHELLCHILDはすごかったんですよ。
鈴木 「たまたま東京に住んでいたから、情報が早かったというだけだと思いますよ」
Jumbo 「それにまあ、AUTOPSYのドラマーは、その前にDEATHもやってますからね。DEATHの2ndあたりはかなり聴いたよね」
鈴木 「うん。3rdも好きで、4枚目くらいからちょっとアレ?って思うようになって(笑)」

――4枚目というと、『Human』ですか。
鈴木 「そうですね。僕の中では3rdが最高ですね。僕的にはあれがDEATHの完成形かな(笑)。デスメタルに関しては、そこまで深く聴かなかったんですよね。周りの人はトレードとかしてテープとか聴いてたけど、僕はJumboにダビングしてもらう程度で。自分から買い漁ったりはしなかったですね」

――初期HELLCHILDのスローパートって、今聴くとCELTIC FROSTに通じる部分が多々ありますよね。
鈴木 「でも、CELTIC FROSTはあまり聴いてないんですよね……」
Jumbo 「メンバー間でCELTIC FROSTの話が出てきた記憶はないですねえ。僕自身も出てきた当時はそんなに聴いてなかったです」

――メタルクラストなんかにはハマらなかったのでしょうか。やっぱりAMEBIXとか、ある種近いムードがあるように思うのですが。
鈴木 「AMEBIXは好きですけど、聴いたのはだいぶ後になってからなんですよね。周りに好きな人はいましたけどね。ANTI AUTHORIZEのGoくんとか」
Jumbo 「SEDITION~SCATHAみたいなものを聴くようになったのは全然後になってからですね」

――でも、CONFESSORにハマったとしても、当時日本で、実際にスローな音楽をプレイするに至ったバンドはあまりいなかったのではないでしょうか。
鈴木 「うん……。でも結局、僕自身も遅さに拘ったわけではないんですよ。単純にかっこいいと思ったものを、スポンジみたいに柔軟に取り入れていきたかっただけで」

――そこにTsukasaさん(原川 司 / 現・SWARRRM)が加入したということも、変化に影響を及ぼしたのでしょうか。
鈴木 「それはありますね。自分の色を持っている奴だから。曲が変わっても声が変わらないならHELLCHILDはいろんな捉えかたができると思って、それまでとは違うことをやり始めたところはあると思います」

――たしかに。Tsukasaさん加入直後のHELLCHILDも、『Wish』の頃のHELLCHILDも、音楽性は全く違うけれどHELLCHILDであるということに全くブレはないですよね。
鈴木 「うん」

――Tsukasaさんとの出会いはどんな感じだったのでしょうか。
鈴木 「司は大学の後輩なんですよ。僕が副部長をやっていた軽音楽部に、メタル小僧がギターで入ってきて。John Sykesとか、Adrian Vandenbergとか……」

HELLCHILD

――えっ!全く想像つかないです!
Jumbo 「あいつギターだったんだ(笑)。僕も今知りました」
鈴木 「うん。その頃ちょうどHELLCHILDはヴォーカルをチェンジする、しない、みたいな話になっていたんですよ。細野っていうのはちょっと、いい加減な奴でね。まあ、今日も仕事で一緒だったんですけど(笑)。それで司にやってみない?って声をかけたら、たまたま力を発揮してくれて。水泳をやってたから肺活量がすごかったのかな、たぶん」

――水泳!
Jumbo 「あいつHELLCHILDに入ったばかりの頃は、家で枕に顔埋めてデス声の練習してるって言ってたよね」
鈴木 「うん。言ってた(笑)。下の階の人に“怪獣飼ってるんですか?”って言われたらしいです」

――(笑)。でも一番の驚きは、すごいヴォーカリストになるという前提でオファーしていなかったという点です。
鈴木 「たまたま近くにいたから(笑)」
Jumbo 「でも実際そのおかげで、周りの評価が一変したよね。僕も含めて。すごくなってないか?みたいなことになってましたね」

――Tsukasaさんが加入された頃は、日本でもすでにデスメタルが発生してきていた時期だと思います。一般的にHELLCHILDもデスメタルとして認知されていますが、当時周囲にはデスメタルで言えばどんなバンドが存在していたのでしょうか。
鈴木 「MESSIAH DEATHは地元が一緒で、仲良くしてましたね。あとはNECROPHILE(*4)、CRUCIFIXION、TRANSGRESSOR(*5)かな。DEATHPEED(*6)も名前は知ってた。XENOLITH OGERっていう、女の子4人組のバンドがいたんだけど、今思うとあれもデスメタルだったかもしれないね」
Jumbo 「当時はスラッシュって言われてたけどね。ただ、MESSIAH DEATHもNECROPHILEも、ライヴをそこまで頻繁にやるバンドではなかったから、対バンが多かったわけではないんですよ」
鈴木 「そうだね。一緒にやるのはGENOA、IDORA、GABISHとかが多かったかな。あとなんだっけ、『Break Confusion』ていうデモ出してた……」
Jumbo 「DISGRACEね」
*4 現・ANATOMIAのメンバーが在籍 / 元ギタリストの松永氏は一時HELLCHILDのベーシストも務めた
*5 現・ANATOMIAのメンバーが在籍
*6 現・UNHOLY GRAVE / Grind Freaksの小松氏が在籍

――DISGRACEってどんなバンドだったんですか?
Jumbo 「LAWSHEDのベースの吉田(拓)さんがLAWSHEDの前にやってたバンドです」
鈴木 「KREATORの2ndをもっと速くした感じのバンドですね」

――イイですね!
Jumbo 「めちゃめちゃかっこよかったですよ」
鈴木 「当時はとにかくGENOAの勢いがすごくて、アクティヴにいろいろやっていた時期だったんですよ」
Jumbo 「GENOAは“Thrash Lives in Savagery”っていう企画を月1でやっていて。その企画にHELLCHILD初回から出てるんです」

HELLCHILD

――HELLCHILDの軌跡を辿る上で、MULTIPLEXの存在も欠かせませんよね。合体バンドFORCEも結成しているくらいですから。
鈴木 「そうですね。同世代ということもあって、がっちり組んでやっていこうぜ、みたいな感じでしたね」
Jumbo 「夏目くん(夏目陽一郎 / MULTIPLEX, FORCE)とはバイトで仲良くなったんですよ」

――えっ!たまたま?
Jumbo 「たまたまというか、MESSIAH DEATH / 『Deathrash Mayhem Zine』の小久保くんが夏目くんの大学の先輩だったんですよ。小久保くんが周りの人を集めて渋谷の東急のアルバイトに連れて行っていたんですけど、そこに僕も夏目くんも呼ばれて」
鈴木 「Jumboが始めた企画も、MULTIPLEXと一緒にずっと続けてたんだよね」
Jumbo 「でも、企画のアイディア自体は、元々細野が考えたんだよ。細野がHELLCHILDを辞める前、まだ“Thrash Lives in Savagery”が終わってない頃かな、相模原の工場で一緒に働いていたんだけど、そのときに細野が新しく企画を始めるって言い出したんだよ。しかも、アンチ(Antiknock, 東京・新宿)、屋根裏(東京・下北沢 *7)と2万(20000V, 東京・高円寺 *8)で月3本やるって。そんなのあっという間に客が入らなくなって、ダメじゃないですか。でも細野は、その内の2万をJumbo仕切ってほしいって言ってたんですよ。そうこうしている間に細野はHELLCHILDを辞めて、企画も頓挫して。その後、司が加入したHELLCHILDを聴いて衝撃を受けたわけですけど、当時はまだレーベルを始めていなくて、ファンジン(『Total Gore zine』)しかやっていなかったから、そのすごさを人に伝えようにもファンジン以外の手段がなかったんです。そこで2万での企画の話を思い出して、始めたのが“Indrawn Stage”なんですよ。MULTIPLEXとかJESUS SAVE、EXPLOSIONでも一緒にやっていたVARAMっていうバンドとか、そのへんが集まって新しい企画を始めて。MULTIPLEXは札幌のSATANIC HELL SLAUGHTERとか、名古屋のGIBBEDみたいなバンドとの繋がりがあったんで、いろいろ拡がりました」
*7 2015年3月に閉店
*8 2009年に別階での火災のため閉店 / 現・東高円寺 二万電圧

――当時のフライヤーを見ていると、後に山本(将雄)さんが324を結成することになるERODEDをはじめ、“Indrawn Stage”には本当にいろいろなバンドが出演していますよね。
鈴木 「ERODEDはうちにデモテープが送られてきたんだよね」
Jumbo 「それを聴いてかっこよかったから、2万で2デイズをやるときに誘ったんだよ。初日の一番しか枠がなかったんだけど、それでも来てもらえますか?って聞いたら“行きます”ってすぐに返事をくれて。リハのときにタケダくんのドラムを観てその場にいた全員が驚愕したのを覚えてますね」

――324も、もっといろんな曲を聴いてみたかったですよね。
鈴木 「うん。本当にそうですね」

――現BLACK GANIONの宇野(雄幸)さんが在籍していたRESULTも共演していたんですね。
Jumbo 「やったやった。DISASSOCIATEのツアーのときなんかは名古屋でRESULT、S.D.S.、OUT OF TOUCHとかとやったんじゃなかったかな。クラストのお客さんが300人くらい来て、DISASSOCIATEが“なんで名古屋はこんなにクラストがいるの!?”ってびっくりしてましたね」

――DROOPもよく一緒にやっていらっしゃった印象があります。DROOP大好きなんですけど、HELLCHILDとやっているのは意外だった記憶があります。
鈴木 「DROOPかっこいいですよね」
Jumbo 「SWARRRMのKapoはそのへんからの繋がりですね。あいつがD.E.A.Dっていうインダストリアル系みたいなバンドをやっていた頃で、DROOPのマネージャーだった真野くん(Tag Rag, CH rec, Ignition Record)とKapoは仲が良かったんですよ」

――“Indrawn Stage”にSIGHが出演していたのも意外と言えば意外です。SIGH最高ですけど、少し毛色が違う気もしました。
Jumbo 「川嶋(未来)くんは、夏目くんの大学の同期なんですよ。それで紹介されて出演することになったんですよね。今SIGHでドラムを叩いているジュン(原島淳一 / HELLCHILD, 五人一首, SIGH)が元HELLCHILDっていう繋がりもありますけど」

――なるほど。しかし毛色という話であれば、HELLCHILDはデスメタル、MULTIPLEXはグラインドコアとして認知されていますし、僕の世代からすると東京におけるその2大巨頭というイメージもありますが、どちらもかなりカテゴリからだいぶはみ出た存在ではありますよね。
鈴木 「そうですよね。MULTIPLEXはグラインドというより、MULTIPLEXですよね」

――MULTIPLEXも、HELLCHILDも、フォロワーみたいなバンドがいないんですよね。
鈴木 「ああ……。いないですね。クセが強すぎたのかな……」
Jumbo 「MULTIPLEXは本当にそうですよね。夏目くんはメタルを一切通らずにパンクロックから急にグラインドコアにいった人だったんで。そういうところも独特だったのかな」

――ベースの赤間さんに至ってはAUDIO ACTIVEでもプレイされていたわけですし。
Jumbo 「そうですよね。AUDIO ACTIVEも赤間さんが弾いているときは何回か観ました。赤間さんはこの界隈で一際いろんなものに詳しかったですからね。だいたい何にでも精通しているような」

HELLCHILD 'Where The Conflict Reaches', 1993
HELLCHILD ‘Where The Conflict Reaches’, 1993

――HELLCHILDも、『Where the Conflict Reaches』や『Gleam in the Gloom』の時点でかなり、デスメタルなのか何なのか、よくわからなくなっています。
鈴木 「そうですね(笑)。『Gleam in the Gloom』は、CARCASSのオープニングをやることになって急遽リリースが決まったから、実はかなり無理矢理作ったんですよね(笑)」
Jumbo 「そうそう。いつまでに何曲作ってくれ!みたいな感じで(笑)」

――初来日のときですよね。リスナーとしては、CARCASSって聴かれてました?
鈴木 「もちろん聴いてました。まさか一緒にできるなんて思わなかったですけど」

――CARCASSはその前年に『Heartwork』をリリースしていて、メロディック・デスメタルなんて言葉も使われ始めていましたが、HELLCHILDはもっと以前からメロディを大事にした作風でしたよね。
鈴木 「そうですね、はい」

――当時、デスメタルやグラインドコアの界隈でメロディを多用することに対して、抵抗はないのかな?と思っていました。僕は超初期のAMORPHISとかCONVULSEがジャパコアになったみたいに捉えてたんですけど。
鈴木 「(笑)。単純に、さっき言ったENGLISH DOGSとかTHE CLAY、GASTUNKとかのギター・ソロが好きだったんで。完全にその影響ですね」
Jumbo 「当時自分がHELLCHILDが好きだった理由のひとつはそこですね。メロディアスなソロは、他のデスメタルとかグラインドコアとは違っていたんで」

――かといって、所謂ヘヴィメタル的なメロディとも違うんですよね。そのあたりは意識的にそうされていたのでしょうか。
鈴木 「何も考えてなかったです。そのときに出てきたものをやってみる、みたいなノリのほうが強かったですね。あとはいろいろ試して、しっくりきたものを選ぶとか」
Jumbo 「この人、KISSは聴いてるけどオーセンティックなヘヴィメタルは全く通ってないですからね」
鈴木 「ヘヴィメタルはほとんど聴いてないですね。MTVで流れてたのくらいしか知らない(笑)」
Jumbo 「でもまあ、それでメタル系譜のメロディとは違うものになったんじゃないですかね。結果的に」

――そうなんですか……。鈴木さんはギタリストとしてかなり卓越されたかたなので、所謂へヴィメタル的な鍛錬を積まれているのかと思っていました。
鈴木 「練習はほとんどしていなかったんですよね……。週2でスタジオに入っていたんですけど、曲を作ることで精一杯で……。練習する暇があれば酒飲んでました。当時は」

――信じられないです……。鈴木さんみたいに弾けるかたって、なかなかいないと思いますよ。
鈴木 「そんなことないですよ。今の若い子たちのほうが全然巧いじゃないですか。僕はかなりテキトーにやってましたよ……」

――う~ん……。海外のバンドとの共演は、CARCASSが初めてだったんですか?
Jumbo 「たぶんそうですね」

HELLCHILD 'Gleam In The Gloom', 1994
HELLCHILD ‘Gleam In The Gloom’, 1994

――『Gleam in the Gloom』のリリース後は、DISCORDANCE AXISを皮切りに海外バンドとのスプリット作品が増えていきますよね。こういった繋がりはどのように築いていったのでしょうか。
Jumbo 「DISCORDANCE AXISとのスプリットは単純に、HG Factの佐藤(直)さんから誘っていただいた感じでしたね。それこそ僕、それまでDISCORDANCE AXISのこと知らなかったんですよ。スプリットのお話が決まって、音をいただいて初めて聴いたくらいの感じでした」
鈴木 「纐纈くん(RESULT, DEVOUR, 無我 / Devour Records)は関係ないの?」
Jumbo 「うん、そのときは。纐纈くんがDISCORDANCE AXISの1st(『Ulterior』1995)を出すより、HG Factのスプリットのほうが早かったんじゃないかな」

――その後も続いたHG Factからの一連のリリースは本当にかっこよかったです。HELLCHILDみたいにメタルフィールド寄りのバンドが、HG Factから出しているというだけでイカしてるじゃないですか。
鈴木 「うん、たしかに(笑)」

――HG Factからのリリースはどういった経緯で決まったんですか?
Jumbo 「当時、佐藤さんと親しかったんですよ。僕、一時期『FOOL’S MATE』でバイトしてたこともあって」

――ああ、そうなんですか!
鈴木 「佐藤さんにインタビューしていただいたこともあったよね」
Jumbo 「最初は、さっきも話に出てきた2デイズのイベントを『FOOL’S MATE』で取材してくださったんですよ。それがきっかけでいろいろお話をするようになって、だんだん近い存在になっていったんです」

――同じ頃にHG Factは、DEF.MASTERとDISCORDANCE AXISのスプリットもリリースしていますよね。今回のリイシューのライナーで、NarasakiさんがHELLCHILDでも一時期ベースを弾かれていたことがあると知って、びっくりしましたけど。全然知らなかったです。
鈴木 「あはは(笑)。EXPLOSIONから出たVHS(『VIDEO SKULL SMASH Vol.1』1989 *9)では奈良崎がベースを弾いてますよ。3人革ジャンで、1人だけネルシャツ、みたいな(笑)」
Jumbo 「そのビデオ、最後に奈良崎が客に突っ込むんだよね(笑)」
*9 HELLCHILDのほか、CASSANDRA、DEAD CLAW、DEATHBLOW、GABISH、JURASSIC JADE、RAGING FURY、SHELL SHOCK、XENOLITH OGERなどが参加

MULTIPLEX / HELLCHILD split 7", 1995
MULTIPLEX / HELLCHILD split 7″, 1995 HG Fact

――Narasakiさんは今や……トップ作家さんですよね。HELLCHILDでプレイしていたかたが、ももクロやBABYMETALの曲を書いているというのは……どんな気分なんですか(笑)?
2人「……複雑な気分(笑)」
鈴木 「BABYMETALは聴かせてもらって、すごいな、とは思いましたけど……」
Jumbo 「(笑)。でもね、奈良崎が書いたももクロの曲はYouTubeでやたら観ましたね。最初はよくわからなかったけど、やっぱり良い曲書いていると思いますよ。奈良崎とCOALTAR OF THE DEEPERSのドラムの菅野(俊嗣)くんは、DEEPERSの前にDISMEMBERっていうバンドもやってたんですよ」

――スウェディッシュ・デスメタルとは関係なくて(笑)。
Jumbo 「そうですね(笑)。クロスオーヴァー・スラッシュみたいなバンドでした。ベースを弾いていた誠くん(青木 誠)は、後にキミドリを結成するんですけど」

――ええっ!まじですか……。
Jumbo 「DISMEMBERかなりかっこよかったんですけど、音源が残ってないんですよね」
鈴木 「うちにデモテープあるよ」
Jumbo 「えっ!デモあったんだ!俺持ってないや……。でもDISMEMBERは短命で、その後に奈良崎と菅野くんが始めたのがCOALTAR OF THE DEEPERSなんですよ」

――HGからはカヴァーがメインのEP『In Words, for Words』もリリースしていますよね。HELLCHILDのブラストが聴けるのは、ここに収められているNAPALM DEATHのカヴァーだけだと思うのですが。
鈴木 「そうですね。何でこの選曲になったのか全然覚えてないんですけど……。ブラストはあと、Tottsuan(鈴木義智 / SxOxB *10)の追悼ライヴでSxOxBの曲をやったときくらいかな」
Jumbo 「MULTIPLEXとやっていた頃でも“ブラストはやりたくない”って言ってたもんね。自分がバンドを始めた後に出てきたものだから、それはやりたくないって」
*10 1995年に逝去

――その後リリースされた2ndアルバム『Circulating Contradiction』(1997)は、ある種ターニングポイント的な作品ですよね。楽曲も複雑さを極めて。
鈴木 「とにかく難しくしてやろうと思って作ったアルバムですからね。リフの数を数えていたくらい。13個繋がったぞ!みたいな(笑)」

――HGからリリースされたMULTIPLEXとのスプリット作に続いて、Midさん(Rob Middleton / DEVIATED INSTINCT, SPINE WRENCH, BAIT / The Bonehive)がカヴァー・アートを手がけているのがかっこいいんですよね。話が少し戻りますが、それもあってメタルクラストと関連付けようと考えていたのかもしれません。当時MidさんはSPINE WRENCHをやられていたと思うんですけど。
Jumbo 「DEVIATED INSTINCTのLPは持っていて、こいつにあげた記憶があるけど、」
鈴木 「もらってないよ……(笑)」
Jumbo 「絶対あげたって(笑)!でも、Midに頼もうと思ったのはDISCORDANCE AXISの1stのジャケットを見てからですね。かっこいいな、と思ってJon(Chang / DISCORDANCE AXIS, GRIDLINK, HAYAINO DAISUKI)に連絡先を教えてもらったんですね」

――DxAxですか。NAPALM DEATHとかでもなくて。
Jumbo 「そうです」

HELLCHILD 'Circulating Contradiction', 1997
HELLCHILD ‘Circulating Contradiction’, 1997

――なんだか意外なお話ばかりです……。『Circulating Contradiction』のリリース年には、CORRUPTEDと一緒にUSツアーにも赴いていましたよね。
Jumbo 「そうですね。CORRUPTEDがNYからLAまで来て、HELLCHILDがLAで合流して3バンドで一緒に西を1週間くらい回って、HELLCHILDとDISASSOCIATEは西からNYに戻る、っていうツアーでした」

――ツアーの共演ラインナップがヤバいですよね。当時最高峰のバンドばかりで。後にスプリットをリリースすることになるBONGZILLAはもとより、BLACK ARMY JACKET、BRUTAL TRUTH、CAPITALIST CASUALTIES、DYSTOPIA、GOB、MISERY、NOOTHGRUSH……。INHUMANやCOLD AS LIFE、EARTHMOVERなんかも共演されているんですよね。CATTLE PRESSなんて、今でも観てみたいです。
鈴木 「CATTLE PRESSはおもしろい人たちだったよね(笑)」
Jumbo 「最高だったね(笑)。ギタリストのEddie(Ortiz)がとにかく愉快な奴で」

――彼はSUBZEROのギタリストでもあるんですよね。
Jumbo 「そうそう。SUBZEROで来日したときにも会いましたね」
鈴木 「空手家なんだよね?」
Jumbo 「違う違う。ベースのJoey(Capizzi / DIM MAK *11)が柔術をやってたんだよ。」
鈴木 「あとやっぱりCANDIRIAはスゴかったですよ。なんじゃこりゃ!って思いました」
Jumbo 「すごかったね!ビビったもんね」
*11 かつて在籍していたIABHORHER(Slap A Ham Records)にはDave Witte(HUMAN REMAINS, DISCORDANCE AXIS, MUNICIPAL WASTE ほか)も名を連ねていた

――当時のそういう、エッジィなバンドと対等に、フツーにリアルタイムでやっているのは本当かっこよかったです。そうなろう、という狙いがあったのでしょうか。
Jumbo 「それもたまたまなんですよね(笑)」

――その後もコンスタントに海外ツアーを行っていますが、思い出深い出来事はありますか?
Jumbo 「“Clockwork Toy”の7inchをリリースしてくれたV Records(*12)のオーナーが用意してくれた家に泊まったとき」
鈴木 「あれは最悪だったなー!!」
Jumbo 「果てしなく汚くて」
鈴木 「床がベトベトで真っ黒で。床には絶対寝られないから、椅子とかで寝て」
Jumbo 「ソファの隙間に注射器の針とか落ちてたりね……」
鈴木 「あそこはヤバかった」
*12 HELLCHILDのほか、MASONNA、AUBEの7″ ヴァイナルもリリース

――V Recordsのオーナーって……たしか……。
Jumbo 「そうそう。Andrew W.K.なんですよ。その頃は15、6歳の少年だったから、Andrew W.K.としてデビューしたときは全然気付きませんでしたよ。デビューCDの帯に“パーティするなら俺を呼べ”みたいなことが書いてあって、それがあのデトロイトで会った奴だってわかったときにはハァ!?って思いましたね(笑)。でも、彼の名誉のために言っておくと、その汚い家はAndrewの家ってわけじゃなくて、仲間が集まって使ってるような家なんだと思いますよ。しかしあのベトついた床は……」
鈴木 「しんどかった本当(笑)」
Jumbo 「風呂場なんて、人が死んでるんじゃねーかっていうくらい汚かったよな?」
鈴木 「うん(笑)」
Jumbo 「そのときのデトロイトで他に覚えているのは、BURN THE PRIESTと一緒になったこと」

――後のLAMB OF GODですね。
Jumbo 「そうなんですよね。そのときヴォーカルのRandy(Blythe)と少し話して、BURN THE PRIESTのデモテープをもらいました」

HELLCHILD

――EU方面はいかがでしたか?
Jumbo 「ヨーロッパ・ツアーで覚えてるのは、UKで入国拒否されたことですね。Midに会えるのをたのしみにしていたんですけど、結局そんなことになって。未だに会えていないんですよ」
鈴木 「そうなんだよね。フランスからドーバーを渡ってフェリーで行ったんですけど」
Jumbo 「泊まる場所が決まっていなかったのがマズかったみたいなんですよね」
鈴木 「でもヨーロッパはたのしかったなあ」
Jumbo 「ヨーロッパって、向こうの文化で、演奏した会場なり、企画者なりが、寝床と食事を用意するのが当たり前なんですよ。どこに行ってもタダで晩飯が毎日食えたし、泊まる場所も必ず用意されてたんで。それはすごく良かった」
鈴木 「おもしろい経験をたくさんしたし。何百年も経った家に泊まったり」
Jumbo 「ベルギーな。築300年くらいの家に泊まらせてもらったんだよね」
鈴木 「一番印象に残っているのは、12月25日のポツダムですね。せっかく25日だから、現地の人に教会に行ってみたい、って頼んで、連れて行ってもらったんですよ。そうしたら、教会どこなの?みたいな真っ暗なところに連れて行かれて。お城みたいな教会に着いたんですけど、中も電気が通ってなくて、蝋燭なんですよ。クリスマスだからどんなに盛大なんだろう、って思ってたんですけど。暗くて」
Jumbo 「東西ドイツが統一してから数年経っていたんですけど、東側はまだ道路も電気も全然整備されてなかったんですよ」
鈴木 「そうそう。道もガタガタだったもんね。教会の中に入ったらかなり広くて、何千人もいてちょっとびっくりしました。蝋燭の明かりで、ものすごい静かな中でみんな聖書を小さい声で口に出して読んでいるんですよ。あの光景は忘れられないです。ドイツの東側は喧嘩も多かったね」
Jumbo 「みんなグチばかり言ってたしね。要するに、東西統一したところで、結局良い思いしてるのは西の奴らだけ、みたいなことですよ。僕らは西の奴らと回ってたから、そこで喧嘩が始まっちゃってね」
鈴木 「ライヴ中も横で喧嘩してたり。言いがかりなんですけどね。でも、仕事もないし、酔っ払いばかりで、可哀想でした」

――そのときはどんなバンドと回ったんですか?
Jumbo 「GOMORRHAとスプリット7inchを出して、ベースのStefan(Eutebach / APRIL, DEADSOIL, SIX REASONS TO KILL / Bastardized Recordings)ていう奴がツアーを企画してくれたんですけど、都合で結局GOMORRHAとは一緒に回れなかったんですよね。Stefanはずっと一緒に来てくれたけど」
鈴木 「ライヴも観てないもんね」
Jumbo 「彼らが使ってるスタジオみたいなところで練習を観たくらい」

HELLCHILD 'Bareskin', 1999
HELLCHILD ‘Bareskin’, 1999

――それは残念。当時Per Koro Recordsをレーベル買いしていたので、そこからHELLCHILDが出るのは嬉しかったです。
Jumbo 「Stefanが誘ってくれたお陰ですね」
鈴木 「あとヨーロッパ・ツアーではBOTCHと回ったのを覚えてます」
Jumbo 「BOTCHがちょうど2ndを出してヨーロッパ・ツアーをやっていて、オランダで合流して2回くらい一緒にやりましたね」

――それってBOTCHは完全に全盛期じゃないですか。すごいですね。HELLCHILDが1999年にリリースした3rdアルバム『Bareskin』は、当時のそういった息吹に呼応した部分も持ちつつ、独自性もかなり深みを増した作品でした。
鈴木 「『Bareskin』は、とにかく“ロック”っぽくしたかったんですよ。KYUSSとかELECTRIC WIZARDとか好きで(笑)。そのへんを自分なりに消化できないかな、と思ってましたね。だから、かなりKISSの影響が出たかな?と自分では思ってるんです。KISSをもっとうるさくして、グルーヴを出したらこういう風になるのかな?っていう」

――ENTOMBED的な発想ということでしょうか。
鈴木 「う~ん、よくわからないですけど、そうなのかな?」
Jumbo 「『Bareskin』のときはヤスオちゃん(佐藤保夫 / FROM HELL, FINAL COUNT, SLEEPERS *13)もいたしね。長いことハードコアをやってきた彼の存在で、いろいろと化学反応が起きたと思います」
鈴木 「そうだね。『Bareskin』のベースは最高だよ」
*13 2005年に逝去

――早くもその翌年にリリースされた『Wish』は、名匠Billy Andersonとのレコーディングでしたね。かなり殺伐としたムードのダークな作品で、これがラスト・アルバムになってしまいます。リリース直後にTsukasaさんが離脱するわけですが、どういった理由からだったのでしょうか。
鈴木 「最初に辞めるって言い出したのは、僕のほうだったんですよ。2000年の夏に1ヶ月半くらい、レコーディングを兼ねてUSツアーに行っていたんですけど、疲れちゃって。いろいろ。『Bareskin』を発展させたものを作りたかったんですけど、考える時間がなくて、正直ちょっと切羽詰ってしまったところもあって。こなすだけで精一杯。もう無理だな、って思ったんですよ。その場では年内まではやろう、っていう話になって、レコーディングとか、ツアーとか、決まっていたスケジュールは全部こなして日本に帰ったら、今度は司が辞めるって言い出して。理由を直接聞かないまま時間が過ぎて、『Wish』の発売記念でQUATTROでやったときに話したんですよ」
Jumbo 「2001年1月のレコ発東名阪だね」
鈴木 「1月だったっけ。2000年の秋くらいかと思ってた。JUDGEMENTと回ったのは覚えてるけど……。司はATOMIC FIREBALLに入るのが決まっていたのかな。話して、もういいや……みたいな気持ちになって……。そこで終わってしまった」

――なんだか寂しいですね……。
鈴木 「うん……。その後に一度だけライヴを一緒にやって。それきりですね」

――そのときは雰囲気悪くならなかったんですか?
鈴木 「まあフツーに“おう、久しぶり”みたいな感じ」
Jumbo 「『Wish』のとき、英一郎はうるさい音楽自体に疲れちゃってた感じがあったよね。レコーディング中も“疲れた”ばっかり言ってて」
鈴木 「うん……」
Jumbo 「それでHELLCHILDが終わって、こういう、うるさい音楽から少し離れたんだよね」

――うるさい音楽から離れたいというのは、どういう心境から?
鈴木 「他にもっと、自分にできることはないのか?っていう感じでしたね」

HELLCHILD 'Wish', 2000
HELLCHILD ‘Wish’, 2000

――でも、それって、ちょうど司さんが加入した頃の気持ちに似ていますね。
鈴木 「そうなんですよね、今考えると。それでドラムのジュンと一緒に他のバンド(靄々番地)を始めたんですけど、“音が変わっても結局HELLCHILDだね”って2人で話したりしていました。司が歌えば“これがHELLCHILD”って言えるんだろうな、って」

――Murochinさん(室田政孝 / ABNORMALS, BERSERKER, DOOOMBOYS, WRENCH)と一緒にWIGGLEというバンドにも参加されていましたよね。例えばMULTIPLEXがテクノに傾倒していったように、フィールドもまるで違うことに取り組むという意思はなかったのでしょうか。
鈴木 「一時期DECRYPTっていう、ベースの女の子が曲を作っている変拍子のバンドもやっていましたけど、まるきり違う何かをやることは考えなかったんですよね。ちょっと歌を歌ってみて、ダメだこりゃ、って思ったことはありました(笑)」

――長く続けていらっしゃると、そういうこともあるのでしょうね……。Tsukasaさんが加入してからのSWARRRMは観ていらっしゃるんですか?
鈴木 「何回かは観てますよ」

――それを伺って少しほっとしました。
鈴木 「あはは(笑)。バンドとしても何回か一緒にやりましたしね」
Jumbo 「うん、それで良いと思うんですよ。復活したHELLCHILDは新しいメンバーで良い感じだと思うし、SWARRRMは司が入って世界観がまたどえらいことになってるでしょ?TERROR SQUADとのスプリットでアルバムのときからさらに一段上になっていたじゃないですか。2つ良いバンドができたなら、結果としてはそれで良かったんじゃないかな」

HELLCHILD

――そうですね、今はまた、“現在のHELLCHILD”があるわけですもんね。でも、あれからどんなに時間が経っても、鈴木さんのギターの音はちょっと鳴らしただけで鈴木さんだとわかるので、感動しました。
鈴木 「だって、機材ほとんど変わってないですからね(笑)」

――出音を一聴して鈴木さんの音だとわかるというのは、やっぱりすごいなあ、って。
鈴木 「自分ではよくわからないです」
Jumbo 「(笑)。でもまあ、自分の音を持っているのはたしかですよね。機材を持っていかないで、会場にある借り物のMarshallとか使って、コンパクト・エフェクターを2つくらい並べるだけでも、ほぼ同じ音を出しますからね、この人は」

――好きな帯域が決まっているのかもしれないですね。
鈴木 「そうかもしれないです」
Jumbo 「サウンドの核の部分は出来上がっているっていうことですよね」

――ZENI GEVAとの2マンで復活してから、ライヴもいくつかありましたが、いかがですか。おもしろいですか?
鈴木 「名古屋で原爆さん(the 原爆オナニーズ)とか九狼吽とやれたのは良かったなあ。すごくおもしろいライヴになりました」

――最近、いいな、って思えるバンドっていますか?
鈴木 「最近正直、仕事だとかであまりライヴに行けてなくて、そこまで観てないんですよ」
Jumbo 「子育てもあるしね(笑)」
鈴木 「そうなんですよ(笑)。でもやっぱり、よく観る中でおもしろいのはCOFFINSかな。それこそCELTIC FROSTとかの速いパート、彼ら的に速いパートと言うべきかな(笑)、ツ、タ、ツ、タっていう。USじゃないですよね。ヨーロピアンな感じでおもしろい。あとREDSHEERもかっこいいですよね」

――Jumboさんの企画“Indrawn Stage”もまた始められたんですよね。復活初回はCOCOBAT、COFFINS、ミミレミミ、TERROR SQUADという布陣でした。
鈴木 「いろんなバンドが観られるっていうのが、懐かしい感じでしたね。“Indrawn Stage”は昔もいろいろ出てくるイベントだったから」
Jumbo 「僕はミミレミミにグラインドサアフのGentarowくんがいるって最近まで知らなかったんですよ。すごくかっこいいと思います」
鈴木 「あとは、長く続けているバンドの良さも実感しましたね。TERROR SQUADは僕が観た中で一番良かったし、COCOBATも安定感あったし」
Jumbo 「COCOBATは本当、どうなろうと絶対に解散せずにやり続けている坂本(猛)くんの意志は尊敬に値しますね」

――HELLCHILDだって、今またスタートしているというのはすごいことだと思います。Ritual Recordsもそうです。今後のリリース計画は決まっているんですか?
Jumbo 「特に考えてはいないんですけど、また古い音源の再発もおもしろいかな、と思っています。SATANIC HELL SLAUGHTERとか出せたらいいんだけど……。誰も消息を知らない森ちゃん(SATANIC HELL SLAUGHTER, 324)の承諾なしに、それはできないな。SILVERBACKの、今のSLANGのキヨさん(田中清久)も知らないって」
鈴木 「えっ!キヨさんて今SLANGのギターなの?良さそうだな」

――HELLCHILDは音源を作る計画もあるのでしょうか。
鈴木 「曲次第ですね。やり始めたからには、とにかく曲を作っていかないとダメだと思うんで。そこを今一番がんばりたいです」

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Ritual Records Official Site | http://ritualrecords.com/