蓮沼執太 / 蓮沼執太フィル

蓮沼執太 / photo ©Takehiro Goto 後藤武浩

――めちゃくちゃ自然ですね。
 「とても自然ですよ。こうなりたい、こうやりたいっていう青写真を作ってから、よしやるぞ!みたいな感じではないですね。どちらかというと、制約がある中で、仕方ないから、みたいな感じも多いです(笑)。でも、制約がある中での制作は色々な部分が鍛えられます」

――でもフィルは、“やりたいこと”が先にあるようなイメージもあります。
 「その時々のコンセプトによってアプローチは異なるかもしれないです。蓮沼フィル結成のきっかけは、Oval(Markus Popp)が来日した時に、蓮沼チームのバンド編成に管弦楽器を増やした編成でライヴにしてくれない?というオファーからだったんです」

――HEADZのオファーで。
 「そうです。佐々木 敦さんに言われて。その時に“蓮沼フィル”っていう名前をつけたんです。でもそのライヴは、満足できるようなリハーサルを組めなくて、惨憺たる結果だったんです。それがとても悔しくて。そして、翌年に“ニューイヤーコンサート”っていうのをVACANT(東京・原宿)でやったんです。その公演に手応えを感じて、これは可能性がある、と思ってゆっくり続けていこうとしました。だから、仕方なく、というよりは前向きかもしれないですね」

――蓮沼さんてバンド編制の時、“バンド”と呼ばずに“チーム”って呼称しますよね。
 「そうですね、今は便宜上“バンド”って言いましたけど」

――それはどういった理由からなんでしょう。
 「なんでしょう……。別にバンドじゃないなぁ……って思ってましたからね、当時」

――どういう意味において?
 「えっ、なんか“蓮沼バンド”とか嫌じゃないですか(笑)」

――そういう理由(笑)。
 「ネーミングのニュアンスもあるし、2ドラム、2ギターに僕で、所謂“バンド”と呼ばれる編成ではないんですよね。僕のイメージでは、“バンド”の基本構成はギター、ベース、ドラムがいる、例えばTHE BEATLESのスタイルであるべきだと思うんですよ。蓮沼フィルにおいても、いわゆる西洋音楽的なフィルハーモニック・オーケストラではないのに、自分流の編成であることで“フィル”って呼んでるのと同じ発想だと思います」

――“バンド”だと“運命共同体”みたいだけど、“チーム”だと出入り自由みたいな、そういうイメージなのかな?って思ってました。
 「たしかに。そういう一面もあると思います。“運命共同体”という発想も、音楽業界が作り上げている虚構に思えたりもしますよね。でもチームのみんなとは、今もフィルのメンバーとして一緒に音楽をやっています。イトケンさん、Jimanica、サイちゃん(斉藤亮輔)、石塚くん(石塚周太 / detune.)」

――そうですよね。だから、“チーム”と呼ぶことによって、持続する力も生まれるのかな?っていう気もして。
 「う~ん……。例えば、“将来こうしたい”みたいな話をすると思うんですけど、僕はあまりそういう未来予想図を持ってないんですね。そもそも“将来こうしたい”っていうのがないために、その都度その都度、“今”が大切なんだ、というアプローチでやっていて。だからみんなも協力してくれるのかもしれないです」

蓮沼執太フィル

――さっきおっしゃっていたように、“あれ弾け、これ弾け”じゃなくて、各々の変化を善しとしているところも“チーム”っぽいです。
 「“あれ弾け、これ弾け”は僕の活動においては、できないですね。仮に、オーケストラ団体の委嘱みたいなことがあったらチャレンジしたいですし、そういった場面では僕とミュージシャンの関係性も異なりますよね。フィルの場合、これだけ弾いとけ!というトップダウン型の指示をすること自体が僕には想像できないです。それは僕がそうしているというよりは、メンバーがそうさせてくれているのかもしれない。メンバーの存在感、キャラクターや音楽性がユニークなんですよね。それらは自由に存在している形が一番しっくりくるんだと思います」

――なるほど。“チーム”と呼ぶ感覚には、人が入れ替わっても蓮沼さんの曲は生き続けるみたいな意味も含まれているのかと思っていたのですが、違うっぽいですね。それぞれが大事で、替えが効かないというか。
 「そうですね。『アントロポセン』では、当て書きというか、より意識的に演奏するメンバーに対して作曲していきました」

――それはすごく“バンド”っぽいですね。
 「まあね、それは“バンド”かもしれないですね。でもやっぱり“運命共同体”ではないかな(笑)。1日のスケジュールのために集まって、終わったらバラバラになって帰ってゆく感じなんです。さっぱりしています。僕にはそれがけっこう魅力的ですね。例えば、コンサートをわくわく楽しみにして、ある一夜に観に行って、ああ良かったね、って家に帰るみたいな。それくらいの出来事でいいじゃないですか。音楽を聴く側も演奏する側もそれくらいの方がいい。運命共同体で、世界取るぞ!とか、売れるぞ!みたい考え方は、やっぱり経済の話ですよね。本質的に音楽の話ではないですよ」

――そっかー、なるほど。おもしろい(笑)。
 「もちろん、そうも言ってられない場合があるのもよくわかりますけど。リスナーに聴いてもらって初めて音楽が人に繋がるわけですから」

――フィルって、曲作りにあたってメンバーとの意見交換とかあるんしょうか。
 「ありますよ。もちろん」

――それもちゃんと“バンド”っぽいですね。
 「譜面は書いてますけどね。もちろん譜面を使わない人もいるんで、そういう人には録音した状態のものを渡して。デモも作ります。譜面作りのプロではないので、完成度は低いかもしれないですけど、譜面を基にデモ音源を聴きながら頭に入れて、じゃあ練習してみましょう、みたいな感じが最近のベーシックなスタイルになってます」

――ある程度の骨子はあるにせよ、みんなガチで自由にやっているのかと思ってました。
 「それはないですね。あるフレームだけ作って、そこの部分は自由に、良い感じにしてください、というアプローチはやってないですね。その方法の良い部分と悪い部分は、はっきりしています。良い部分は演奏家の多様性を認める意味でもあるし、作曲家が中心から外れる環境を作ることで、作曲家にとって偶然性が生まれます。悪い部分は、その偶然を自分の音楽に取り入れて搾取に近いような状況を作ってしまう。劇伴などで、本当に時間がないようなレコーディングで行われたりもしますけど、僕は今の蓮沼フィルの状態で、すべてセッション的な自由を渡すことはしないですね。細かいアーティキュレーションの判断を相談して決めていったりはします」

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