夏の大△

夏の大△, 2014

――ひとまず3人で、という感じで?特にコンセプトもなく。
矢代 「ないですね(笑)」
大城 「本当にただ3人でやりました、みたいな(笑)」

――それでも、それぞれが当時やられていたことを想定した上で、ということですよね。
矢代 「それはそうですね。ある程度どういう活動をしているかは把握していたので、3人が集まったら面白いことができるんじゃないかなっていう。ちょっと、見切り発車で(笑)」
川口 「それをきっかけに、だんだん3人でやることが増えてきたんだよね」
大城 「その展示のタイトルが“夏の大△”だったんですよ」

――タイトルは皆さんで決められたのですか?
大城 「いや、ヤッシーが考えたんじゃない?3人で集まって、呑みながらタイトルを考えたこともあったけど、結局決まらなくて。ある日突然“夏の大△”っていうタイトルが付いてて」
矢代 「ちょうど夏だったんですよ(笑)」
川口 「だから本当は、その展示1回限りのための名前だったんだよね。別に継続する意思もなくて」
大城 「そうそう。その後ICCで3人一緒にやった時は、“夏の大△”っていう名前じゃなくて、それぞれの名義で告知してたんですよ。でも、何かの企画に3人で呼ばれた時にフライヤーに勝手に“夏の大△”って載せられてたことがあって(笑)。それからバンド名みたいになったのかな。僕たちは特にそういうつもりはなかったんだけど」

――でも名前があったほうがインパクト強くて良いですよね(笑)。ざっくり言うと、お3方共に“サウンドアート”と呼ばれるカテゴリに入る機会が多いと思うのですが、夏の大△ではそういうの、どうでもよくなっている印象を受けました。
矢代 「そうですね。それは3人とも、ずっとそう思ってるんじゃないかな」
大城 「“サウンドアート”って僕らが学生の頃に注目された分野で、たぶん3人ともすごく影響を受けてはいるんですよ。でも、“僕たちサウンドアートやってるぜ”みたいな気持ちはないんです。少なくとも僕に関しては」
川口 「全くないよ、そんなもの(笑)。自分で決めることじゃないと思うしね」
矢代 「個人的な意見で言うと、“サウンドアート”と言ってしまうと、やっぱり美意識が似てきてしまうと思うんですよ。ある種共通の美意識、様式美みたいなものがあるような気がしていて。そういうものを自ずと拒んでしまっているところがあるんですよね。かといってラディカルに突っぱねるみたいなスタンスを持っているわけでもなくて。そのちょうど真ん中あたりを行ってるのかな、と自分では思ってるんですけど」
大城 「だから梅香堂での展示の時も、後々田さんはキュレーターとしてキャリアを持っている人だから、説明として“サウンドアート”とか“インスタレーション”っていうのを最初は提案してくださったんですけど、やっぱり“サウンドアート”って嫌だな、と思って外してもらったんですよね」
矢代 「夏の大△に関しては、“音楽”みたいな感じでやってると認識してます。“美術”っていうより、“バンド”みたいな。ライヴ感のある」
大城 「そうだね、“バンド感覚”に近いね。ソロの活動になるとちょっと曖昧になってくるんですけど、大△は完全にバンド感」

夏の大△, 2014

――でも大△、むしろソロでやられている時よりも“音”の要素が薄まっていますよね……。
矢代 「それも、“バンド”でそういうことをやる、という試みでもあったりするかもしれないですね。何て言ったら良いかわからないんですけど(笑)」
大城 「音は出ていなくてもバンド、みたいな。必ずしも音が出ている必要はなくて」
矢代 「そう。そういう感じになってきてますね。最初は出音も気にはしていたんですけど」
川口 「別に出なくてもいいかな、っていう。だから、ソロでやる時とは全然違う感じです。ソロではみんな、完全に“音楽”っぽい感じでライヴをやることが多かったりするけど、同じような機材を使っていても、3人集まると“音”の部分だけ欠落するっていうのがおもしろい。普通、音楽って色んな機能があるわけじゃない?僕たちは機能だけないんだからさ(笑)」

――パフォーマンス中は、バンドっぽくお互いのプレイを意識しているような感じなのでしょうか。
矢代 「意識はほとんどしてないですね(笑)。場所が空いてないから違うところに行こう、くらいの感覚しかないですね」
大城 「例えばヤッシーが何か組んだら、“そこに何か自分のものを足せるよね”とか、川口くんのが何か重なってるから“そこに何か載せよう”みたいなのはあるんですけど」
川口 「僕は普段インプロの人とやることが多いんですけど、それは“個人と個人が何かを一緒にやる” 感じなんですよ。でも大△では、自分と他の2人との距離とか境界がどんどんなくなってきている気がする。そこにある何かが自分の置いた物であっても、この2人の置いた物であっても、全然気にならないというか。」
大城 「そうだね。やっている途中で“どれが大城くんの作品なの?”って聞かれたことがあったんですけど、“いやもう、わからないっすよね”って言うしかなくて(笑)」
矢代 「お互いに、影響し合うような、し合わないような。影響する部分と孤立した部分が同時にあって、 “何かひとつのものを作ろう”っていう意識はなくても、自然とできてる。最初の頃は、3人で何かを構築していく感じも少しあったんですけど。それぞれのデヴァイスに何かしら関係性を持たせて。トリガーがあって、それが電気信号だったり、物理的な振動だったりで繋がっていくような」
川口 「そうだね、初期は繋げようとしてる感じがあったね。でもそれを続けていると、全部プラスみたいな状態になって飽和してくる」
矢代 「そうそう。静かに始まって、大きくなって、発散するカタルシスに繋がって終わりっていう。その構造自体がすごく音楽的だよね。そういうのから離れたいっていうのがあるのかもしれない」
大城 「こうしたらこうなるよね、みたいなね」
川口 「それ1回やっちゃったら、次からはそれこそ本当に“やり慣れたバンド”みたいになるでしょ。やり口を変えて“ただやる”みたいになったら最悪だからね。そういう風になっちゃったら、もう終わりだと思う」
矢代 「だから最近はむしろ“構築しない”、“目標を同じところに定めない”ようになってきていて。それぞれ違う方向を向いていて、やってることも違うし。何かを作り上げようとしてる感じではないと思います。すごく抽象的で、感覚的な話になっちゃうんですけど」
川口 「でも、それはすごくバンドっぽいよね」
矢代 「あと、一応“そろそろ終わるか”みたいな(2人を交互に見ながら)感じはあるね」
大城 「そうそう、終わりは共有できるね(笑)」
矢代 「そういうところは“バンド”でもあるし、“音楽”でもあるのかな、と思いますね」